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加藤 弾さん

加藤 弾さん【略歴

裁判は他人事ではない!?

加藤 弾さん/広島地方・家庭裁判所判事補

1 素朴な疑問~裁判官って何者?~

「裁判官はどんな人だろう?」

「どうやって裁判官になるのだろう?」

「裁判官は普段どんな仕事をしているのだろう?」

 裁判官についてそんな疑問を持っている人は多いかもしれません。あるいは、そもそも疑問を抱くこともなく過ごしているのが普通かもしれません。

 私自身も、もともと身内に法曹関係者がいるわけでもなく、法学部に入学した頃は、裁判官についてほとんど何も知りませんでした。そればかりか、法律、弁護士、裁判所といった言葉を聞いただけで、何とも難しそうに思え、敬遠したくなるような気持ちがしたものです。そういう意味では、私が法学部に入学したこと自体が不思議ですが、ましてや、自分が裁判官になる将来像など、大学に入学した頃は、頭の片隅にすら描いていませんでした。実際にも、大学入学後しばらくは、授業をそれなりに受け、アルバイトをし、車の運転免許を取り、友人や彼女と遊ぶといった普通の大学生と変わらない生活でした。

「裁判官はどんな人だろう?」

 その答えの一例としては、私のように、何も特別でない普通の人です。私の場合、偶々縁があって特別な職業を選択したに過ぎません。

 ただ、私の場合は、もともと専門的で特別な仕事をしたいという考えがあり、多くの法曹を世に送り出してきた中央大学の環境の中で、同じ目標を持つ仲間に恵まれ、家族に支えられ、先生方のご指導も得られたことが、私が裁判官になるまでの道の出発点となり、現在の私の礎となっている特別な環境であったことは確かです。

2 裁判官の「あるある話」

 裁判官についてよく尋ねられる話があります。そのひとつが、「裁判官は法廷で木槌を叩くの?」という質問です。ですが、実際には、日本の裁判所に木槌はありません。おそらく、アニメや外国の映画などのイメージが一般化されているのだと思います。

 また、裁判官の判決について、なぜ難しい言い回しや回りくどい表現を使うのかと尋ねられることがあります。一例としては、「あるとはいえない」や「ないとはいえない」といった表現があります。これは、裁判所が判断の対象とした事柄が、何かが「あること」なのか、「ないこと」なのかを区別しているからです。つまり、「あるとはいえない」と「ない」とでは、異なる意味で使い分けているのです。

3 裁判官になるということ~その仕事の魅力~

 裁判官になるためには、司法試験に合格する必要があります。もっとも、司法試験の合格者には、裁判官だけでなく、検察官や弁護士という選択肢もあり、むしろ、裁判官を選ぶ人は少数です。私自身も、当初は、裁判官についてほとんど知りませんでしたし、弁護士になって、不条理な状況に置かれている人を助けたいと思っていました。

 ところが、司法修習生となってから、裁判官に対するイメージが大きく変わりました。以前は、裁判官について、真面目で理屈っぽく、機械のように事件を処理する冷たくて怖い人なのではないかと、偏見ともいえるイメージを多少持っていましたが、実際には、裁判官は、丁寧に指導をしてくれ、冗談を言うこともありましたし、判断の過程で、悩んだり迷ったりして、議論や相談をすることもあり、裁判官も1人の人間として裁判を担当し、争いの解決方法についてあるべき姿を追求しているように見えました。

 また、裁判官の仕事内容も、とても魅力的でした。裁判官は、誰かの命令や指示で働いているわけではなく、特定の立場に縛られることもありません。法服が黒色である所以が何色にも染まらないものと言われるように、中立かつ公平な立場から、どんな事実があったのか、あるべき法解釈は何かといった事柄について、自ら判断を示します。もちろん、客観的に正当な判断であることが求められ、常に批判にさらされますが、裁判官の判断にはそれだけ重要な役割と意義があります。実際に裁判官となった今でも、日々、裁判官の仕事に大きなやり甲斐を感じています。

4 裁判は他人事ではない!?

 さて、ここで少し身近な話題として、みなさんと裁判との関係の話に移ります。身近な話と言ったそばから裁判の話か、と思った人は、むしろ、要注意です。

 私は、これまで、民事事件も刑事事件も担当し、裁判員裁判を担当した時期もあります。裁判官のキャリアはまだ長くはないですが、実は、裁判は、決して他人事ではなく、身近にあるかもしれないと思うのです。

 例えば、民事事件に関しては、あなたが誰かの誤解を受けたり、トラブルに巻き込まれたりした場合、訴えられれば、あなたからみて理不尽な訴えであったとしても、裁判の相手方にならなければいけません。また、交通事故の当事者となることは、昨今では珍しくないと思います。人が社会で生活していくためには、他人と接することが避けられず、世の中には、様々な価値観があり、自分と異なる捉え方や考え方をする人たちもいます。そのため、他人との争いが発生する可能性は、普段の何気ない生活の中にも溢れているのかもしれません。

 また、刑事事件に関しては、民事事件以上に、自分には関係がないと思っている人が多いでしょうか。ところが、そうとも言い切れません。人は、複雑な感情を持ち、さほど精神的に強い生き物ではありません。誰しも、精神状態や、人間関係、生育環境、生活環境など周囲の状況によっては、犯罪に関わる可能性はゼロではないと思うからです。

 例えば、赤信号の無視や飲酒運転などは、ひとつの落とし穴を端的に示していると思います。つまり、交通ルールがあり、これに違反すれば法律違反となることを知っているはずなのに、「今は車が来ていないから。」、「急いでいるから。」、「少ししか飲んでいないから大丈夫。」というような自分の都合や解釈で、交通違反をしてしまう人もいます。これは、状況次第ではルールを破ってもよいという考えともいえ、特に比較的軽微な犯罪に対する抵抗感の薄さに繋がります。重大な結果を招きかねない行為であっても、事件となるまでは、「発覚することはないだろう。」、「大した問題にはならないだろう。」と考え、その考えが自分本位の願望にすぎない甘いものであることに気づかず、それに気づいたときに後悔しても、大きな何かを失うこともあります。

 また、その他の犯罪についても、強い怒りや欲求、周囲の理不尽さ、過大なストレス、孤立状態、飲酒による自制力の低下などの様々な条件が重なれば、過ちを犯しかねないというのが本音ではないでしょうか。

 裁判員として裁判を経験した一般の方々のアンケートで、良い経験をしたという回答が比較的多い理由は、普段はできない経験だったということが大きいのだと思いますが、私には、刑事裁判が決して他人事ではないと感じたことも理由のひとつなのではないか、そして、ときには、ルールの大切さや、自分自身とその周囲の人たちの大切さについて、改めて心に留めてみることは、とても大事なことではないかと、そう思えるのです。

加藤 弾(かとう・はずむ)さん
広島地方・家庭裁判所判事補
神奈川県出身。1984年生まれ。
2006年中央大学法学部法律学科卒業。
2008年中央大学法科大学院修了。
2010年1月和歌山地方裁判所判事補。
2013年4月千葉地方・家庭裁判所松戸支部判事補。
(2013年4月から1年間、外部経験として民間企業に勤務)
2015年4月から現在まで広島地方・家庭裁判所判事補。