平成21年に新築した事務所
昭和42年にタオルと造船を地場産業とする愛媛県今治市(県庁所在地を除けば四国で最大の都市)で生まれ、中央大学に進学することで地元を離れたものの、平成8年に司法試験に合格した後、平成11年から地元今治にて弁護士業を営むことになった。
同年即独に近い形で開業し、現在、「弁護士法人しまなみ法律事務所」の代表として地元今治に密着している。
田舎弁護士の誕生
糸山(今治市内側)から臨む来島海峡大橋
平成11年と言えば、しまなみ海道が全面開通した年である。その年に開業することができる、その幸運に、「当事務所がしまなみ海道の美しい橋のように、地域の法律との美しい架け橋になれたら」との想いが強まり、「しまなみ法律事務所」と命名することにした。弁護士の名前を冠する事務所が多い中、珍しいと覚えられることも多く、またなにより、愛媛弁護士会、今治白門会、裁判所、地域の皆様に支えられ、当初から事務所の経営を軌道にのせることに成功した。
春、桜色に染まる島からのしまなみ海道
当時は今治支部における実働弁護士の数も4名程度(現在は16名)であり、常時5件程度の国選弁護事案、愛媛弁護士会や本学の先輩でもある髙井實先生をはじめ先輩弁護士からご相談者の紹介をいただき、初年度から赤字になることもなく、まずまず好調な滑り出しだったと思う。
また、今治白門会に主催していただき、開業パーティーをも開催することが出来た。その際には、当時今治市長に就任したばかりの繁信順一氏に乾杯の挨拶をいただき、これがきっかけで、以降、様々な行政委員等今治市関連の業務にも携わらせてもらえることとなった。
縁が仕事をつくる、今治で生きていくとはそういうことなのだ、と先輩諸氏に身をもって教えていただいた、と今更ながら思い知らされる。
縁は待っていても寄ってこない
縁とは、自分で引き寄せるものである。
元々は私が受任した相手方側の損害保険会社の仕事をいただく機会を得たことがある。
受任したのは被害者事案、事故態様はいわゆる信号対決事案(お互いの青信号を主張している事案)で、非常に難しい案件であり時間もかかった事案だったが、依頼人の主張がほぼ認められ、依頼人にとっても満足できる結果となった。
判決が確定し支払いが終了して暫くして、相手方だった損害保険会社のセンター長が当事務所を訪ねて来られ、今後当社からの事案を引き受けて欲しいという。当時は被害者事案しか扱っておらず、やはり経験及び知識が不足しており、それを補うという意味もあって引き受けることにし、以来15年以上のお付き合いをさせていただいている。
過払いバブル、そして…
平成15年ころからは、いわゆる過払い事案が増え、平成18年ころは、当事務所でも過払いバブルといってもよい程売上げが急増した時期があった。過払い事案は一過性のもの、という頭での理解はあったが、バブルの中にいる間は、まだ続くだろう、まだ大丈夫だろうという気持ちが働き、支店を出そうか等と考えてしまう程だった。
過払い事案については、交渉ではなく訴訟での解決を原則としていたことから、訴訟の手持ち事件は以前の数倍となり、仕事の量も増えた。それまで経験したことがないような売上げであったことから、まるで成功したベンチャー企業のような雰囲気だったことだろう。
なお、先ほども書いたが、訴訟での解決を原則としていた理由は、回収額は100%を目指す、という私の信念のようなものに根底をなしていた。訴訟は時間がかかる。交渉だと、額は減るものの、早く回収できる。ある時、後者でいいのでとにかく早く手持ちが欲しいというクレームが入ったことがあった。どちらがいいのかは、お客様が決める。私の方向性が思った以上の結果をもたすことがあっても、お客様の意向に反することが多少なりともあってはいけないのだと、お客様に教えられたケースであった。
過払いバブル終演の頃、弁護士2名体制となったものの、大手消費者金融が倒産した平成22年ころから以降急激に過払い金の相談が減少し、それに伴い売上げも毎年大幅に減少し、現在、過払い事案はほぼ0の状態である。
結局のところ複数の支店を設けることもなく、積極的な規模の拡大を図らなかったことが、現在につながっていることは確かである。
発信が人をつなぐ
地元民放シニア向け番組の撮影を、事務所内で。左側は番組司会の桝形浩人さん(劇団P.Sみそ汁定食主宰)
開業当時は、インターネットといっても、今ほど情報が得られるような時代ではなかったために、知識は専ら書籍によるしかなかった。インターネット、SNSが当たり前になってきた現在でも、そのスタンスは変えていない。とはいえ仕事の量が増えてくると、仕事に追われるために、書籍を読む時間が不足する。しかし書籍による知識は、弁護士業にとっては必要不可欠な「仕入れ」である。
そこで、強制的に書籍を読む手段として、平成17年から「田舎弁護士の訟廷日誌」というブログを執筆するようになった。最初は、旅行等の柔らかい記事も書いていたが、次第に、顧問先関係等の仕事の影響で、企業法務、金融法務、交通事故、相続等を中心とする記事が多くなってきた。
地方都市では、マルチプレイヤーが要求される。そこで、離婚や相続については、家庭裁判月報(現在は家族と法)を定期購読し、ブログ「家庭弁護士の訟廷日誌」に関心のある裁判例等を紹介するようになった。
交通事故については、前述の損害保険会社とのこともあり、取扱量が桁違いに多い。それに対応すべく、より専門的に学ぶため、日本損害保険協会や自研センターでの研修のほか、日本交通法学会、日本賠償科学会の会員となり、定期的に研修に参加するようにしている。専門誌も、交通事故民事裁判例集や自保ジャーナル等を定期購読し、ブログ「交通事故弁護士の訟廷日誌」に関心のある裁判例を紹介することにした。
それを重ねているうちにいつしか、インターネットが当たり前の時代になった。自分の勉強のためにと始めたブログだったが、気がつくと10年を超えて続けてきたこともあってか、最近は名刺交換の際に「田舎弁護士の方ですね」と声をかけられることも少なくない。
それを機におつきあいをいただいている人も、少なからずいることを考えると、これもやはり自らが発信し続けたことにより引き寄せられた「縁」だと言えるだろう。
今までも、そしてこれからも。
えひめ結婚支援センターでは定期的に講師を務める
法律事務所と雖も非常に競争が激しい時代になった。前述のとおり、今治の弁護士人口はこの17年間で4倍にも増えた。地域の一番店として当事務所が生き残っていくためには日々の試行錯誤が要される。
縁が縁をつなぎ、(株)フジ(東証一部上場企業・年商3000億円)や(株)田窪工業所(非上場・年商130億円)の社外役員への就任、また、内部通報制度の社外窓口の電話を事務所内に設置するなどと、地方の弁護士としては珍しい仕事をさせていただいている。さらには、県の事業であるえひめ結婚支援センターの顧問をさせていただくなど幅広くやっていけているのも、やはり引き寄せられ引き寄せてきた縁に起因するものだと、痛感している。
中央大学から受験時代、修習と今治を離れた時期があるからこそ、見えてくることもある。ダイヤモンドのように煌めく瀬戸内海、世界にも通用する美しいしまなみ海道の袂で、田舎弁護士ここにありと言えるよう、人をつなぎ、人との縁を大切に、生きていく。
- 寄井 真二郎(よりい・しんじろう)さん
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しまなみ法律事務所 所長
■略歴
昭和42年 愛媛県今治市生まれ。愛媛県立今治西高等学校卒業
平成2年 中央大学法学部卒業
平成8年 司法試験合格(51期・高松修習)
平成11年4月 愛媛弁護士会登録、同年9月 しまなみ法律事務所開設
平成20年10月 法人化、弁護士法人とする
今治市顧問、今治警察署協議会副会長、えひめ結婚支援センター(愛媛県法人会連合会)顧問と地域に密着した役職に就く傍ら、(株)フジ(四国最大のチェーンストア・東証1部)社外監査役、(株)田窪工業所(鋼板製物置業界大手)社外監査役を務める。その一方で、保険会社や商工会議所でのセミナー講師も多くこなす。
田舎弁護士らしくオールマイティーではあるが、特に交通事故には精通し、関わった判例が雑誌等に掲載されることも多い。
■執筆
「銀行法務21No.769」(経済法令研究会・2014年3月)、「市民と法No.98」(民事法研究会・2016年4月)等
■HP
しまなみ法律事務所
しまなみ法律事務所 交通事故被害者のためのホームページ