都会のど真ん中、六本木ヒルズで田植えをするなんて―東京都港区を中心に都市再開発事業などを展開する大手不動産総合ディベロッパーの森ビル株式会社(本社=東京・六本木)ならではの発想だ。新規開発プロジェクトのプランニングを担当している平野文尉(ひらの・のりやす)氏は中央大学理工学部の卒業生。この人の手にかかれば、東京の街が変わっていく。
「街」は あらゆる活動の基盤。
だからこそ、住む人、働く人、訪れる人、あらゆる人に思いを馳せる。
都市模型には後楽園キャンパスが見える。
森ビルで制作している1/1000サイズの都市模型。プロジェクト地だけでなく都市・景観を俯瞰的かつ客観的に捉えるためのツールとして独自に制作し、計画の検討や関係者への理解促進など、実際の都市づくり、景観づくりに活用している。都市模型の制作は2003年。
たとえ森ビルという会社を知らなくても、六本木ヒルズ(開業2003年)、表参道ヒルズ(同06年)、さらには東京の新たなランドマークとなった虎ノ門ヒルズ(同14年)なら見たことがあり、行ったことがあるだろう。
1992年入社の平野氏は、都市開発本部計画統括部施設計画部課長。森ビルの進める新規開発プロジェクトのプランニングを担当している。
街づくりは地道な仕事の連続だ。六本木ヒルズは、約400件の地権者と17年以上の歳月を掛けて開発された。開発前の計画エリアには中小のビルや低層住宅が密集して立ち並び、狭い一方通行道路には消防車が入れない、防災上の課題を抱えた地域でもあった。地権者一人ひとりとエリアの将来について話し合いを重ね、行政や設計者、施工者など様々な関係者との協議を経て生まれたのが、オフィスや住宅、美術館、映画館、テレビ局、ホテルなどを擁する「街」、六本木ヒルズだ。
同社は、「都市を創り、都市を育む」の考え方のもとで、街を絶えず賑わいのある場所にする。例えば、六本木ヒルズにあるビルの屋上庭園には水田や畑が設けられており、田植えや稲刈りなど様々なコミュニティ活動が行われている。参加する地域の子供たちや外国人居住者にとって、都会のど真ん中で日本の伝統的な稲作文化に触れる体験は、忘れられない思い出になるはずだ。同社のビジョンを具現化していると言っていいだろう。
同社の街づくりでは、自分たちの開発区域だけでなく都市全体を俯瞰しながら、地域と共生する街を目指していくという。ビル単体の開発として捉えるのではなく、地域全体を捉えながら「街」を作っていくという考えだ。
その中で、平野氏が取り組むのは新規開発プロジェクトのプランニング。新たに進めるプロジェクトの用途構成などを計画するのが仕事だ。オフィスの側にホテルが欲しい。保育園はどこにあるのがいいだろう。「街」はあらゆる活動の基盤だからこそ、住む人、働く人、訪れる人、あらゆる人に思いを馳せる。「ゆくゆくは、世界中からも色んな人が目指して来るような街にしたい。その結果、世界の中で『東京』のポテンシャルを上げることが出来たら」
ディべロップメントからタウンマネジメントまで。地権者や行政、設計事務所、ゼネコンなど、多くの関係者とともに歩み、つくっていく。
あらゆることがそのフィールドにある同社の街づくりは、未来に関わる全てが仕事といえる。
仕事のスケールは無限大だ。
理系で文系就職
中大理工学部電気電子工学科(現電気電子情報通信工学科)では、携帯電話の無線通信などマルチメディア・IT系の研究をしていた。理系学生の就職活動は専門分野を生かして、大手電機メーカーの研究部門へ進むことが多かった。
平野氏らは「文系就職」と呼ばれた。理系では異色の存在。「一生に一度の就活ですから幅広く考えたかった。研究室の先輩から、森ビルを『面白いよ』と勧められまして」
森ビルの企業説明会に参加した。「衝撃を受けました」という言い回しで運命の出会いを語る。
説明会で紹介されたのはヒルズの原点・アークヒルズ(港区赤坂)。民間による日本初の大規模再開発事業により生まれた、24時間眠らない「複合都市」には外資系企業が多く入居していた。「アークヒルズには外国人ワーカーや居住者が多くて、海外旅行に来たようでした。次に森ビルが取り組む開発は六本木ヒルズ。大きなプロジェクトに若くても参加できると言われ、感銘を受けました。さらに『幅広い人材を求めています』と言われて、文系理系に関わらず、活躍できることも魅力でした」
が然興味を持った。文系就活と決めてから商社、金融、メーカー、エネルギー、マスコミなどを調べていたなかで、森ビルの存在が大きくなっていった。
中大就職課(現キャリアセンター)に感謝しているという。当時はインターネットがなく、就活情報は大学に集まっていた。「入りびたっていましたね。悩みも聞いてもらいました」。そこで気付いた。「売るのは自分しかありませんから、自己分析と志望動機をひたすら考えていました」
在学中はアルバイトにも思い出がある。大手企業の社内レストランだ。
1月には賀詞交歓会を間近で見た。社会人が何十枚もの名刺を持ってあいさつに回る。企業のトップがVIPを招く際には注意事項がいくつもあった。お客様用メニューには料金表示がない。メニューの出し間違いは許されない。
トップの嗜好も事前に叩きこまれた。快適なひとときを提供する舞台裏には、こんなにも準備が必要なのか。徹底したサービスを心掛けるスタッフに驚嘆したものだ。
学生には遠い世界だったが、アルバイトを機に、「社会を知り、社会の仕組みを知りましたね」
後楽園キャンパスでは、授業が終わるとバスケットボールに興じた。所属した「理工白籠会」は理工系大学リーグ戦やトーナメント戦に出場。中央区の一般大会にも参加した。
5階建ての5号館には教室・研究室・実験室のほかアリーナ(体育館)、学生食堂、生協売店などがあり、「一つの建物のなかにさまざまな用途がある。一日がそこで終わる。今思えば森ビルがつくる複合都市みたいですね(笑)」
未来をつくる
今後目指すのは、東京を世界一の都市にすることだという。
「日本はかつてアジアのヘッドクォーターでした。バブルがはじけて、その座は香港、シンガポールへ。日本はアジアの特別な国ではなくなりました」
「日本をアジアのヘッドクォーターにしよう。東京を世界一の都市にしようと本気で考えています。面白い会社です」
森ビルのシンクタンク「森記念財団」の調査によると、いま東京は世界第4位。首位はロンドン、2位ニューヨーク、3位はパリだ。
「何をすれば1位になれるのか。考えて街づくりをしています」
未来は与えられるものではなく、自分たちでつくりあげるものだという。東京の未来は平野氏の手にかかっている。
- 平野 文尉(ひらの・のりやす)さん
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■略歴
1969年 埼玉県出身
1992年 中央大学理工学部電気・電子工学科卒業。
1992年 森ビル株式会社入社
2010年 オフィス事業部マーケティング室オフィスグループ 課長
2015年 都市開発本部計画企画部計画推進部 課長(現職)