梁瀬 峰史さん【略歴】
梁瀬 峰史さん/箱根駅伝3度出場、第68期司法修習生
梁瀬さんは箱根以外の駅伝でも活躍した。3年次に全日本大学で区間賞を獲得している。なぜ駅伝と司法 試験の両方で結果を残せたのだろうか。誰もが聞きたがる答えはこうだった。「毎日続けることですかね、駅伝練習も勉強も」
多くの経験者によると、長距離走で良い成績を収めるには「距離を踏む」という言い方をする。弛まぬ練習という意味だ。
長距離走は短距離走と比べ、才能より努力で開花する種目ともいわれている。練習量や精神力が成績に影響する。毎日が自分との闘いだ。
中大駅伝チームは代々自主性を重んじている。チーム練習は週3日。水曜、土曜、日曜のポイント練習と呼ばれるハードな内容。これ以外は自主練習で、週4日はすべての時間管理を任される。「自分だけですからね、人が見えません」と梁瀬さん。己に克つことの難しさが垣間見える。
練習環境は恵まれていた。中大南平寮周辺には川沿いにジョギングコースがある。中大バスで約10分のキャンパスには立派な陸上競技場 がある。「アクセスが抜群ですし、喧騒から離れていたのもよかったですね」
都会の誘惑に惑わされず、自分のペースで存分に練習できる。自主練習の後は多摩学生研究棟「炎の塔」などで勉強した。
寮生活ではテレビを見ることも少ない。チーム練習、自主練習、授業、勉強と自らつくった時間割で生活した。
もし選手管理に厳しい大学だったら、勉強を一時中断して、競技に専念しなければならなかったのかもしれない。
2010年の卒業後は中大法科大学院に進み、最難関の国家試験とも言われる司法試験に挑戦する日がやってきた。
「一生懸命にやったんですが、手ごたえがなかった」。不合格だった。これを機に「本気になりまして」と少し照れたように話した。2014年9月、2度目の挑戦で見事に合格した。「今でも合格の実感はないです。あの生活をもう1年送るのは嫌でしたから、これで解放されるかと思うとホッとしました」
宮城・仙台育英高時代、全国高校駅伝3連覇を成し遂げた。2年次にはアンカーを任され、現在も破られていない歴代最高記録を打ち立てた。自身も区間賞を獲得した。
高校卒業とともに、実は陸上競技に終止符を打とうとしていた。厳しい練習、激しいレギュラー争い、強豪校ゆえのプレッシャー。心身ともに満身創痍(そうい)だったのだろう。箱根駅伝の出場権のない大学で「競争の世界から逃れたかった」と笑った。
熱血漢の中大・田幸寛史監督(当時)が食い下がった。熱心な勧誘が続いた。夢だった法学部進学。中大なら弁護士の道が開ける。法学部法律学科入学を決めた。
大学で印象に残るレースが2つある。2年次の箱根と3年次の全日本。箱根ではレース直前に5区出場予定 選手にアクシデントが生じ、急きょの当日変更で抜てきされた。
山登りが待っている。前半は快調にペースを刻んだが、後半失速し、順位を落とした。自らの「限界を超えた走り」も体験した。結果は区間14位。「ゴール地点で本来走る1年下の選手が泣きながら謝って来ました。『申し訳ないな…もっと僕が走れていたら…』」。今でも忘れられないエピソードだ。
全日本では区間賞を獲得した。全国規模の大会で区間賞を取ったのは高校2年の全国高校駅伝以来。久し振りの区間賞ということもあり、とてもうれしかったそうだ。
箱根の3度出場は1年生で1区を任された(区間17位)。2年生の5区はメンバー変更があった(同14位)。3年生は4区(同23位)だった。
入学してから3年間、全ての大学三大駅伝(出雲、全日本、箱根)に出場し続けたが、4年生ではけがのため、一つも走ることができなかった。
出雲はチームの若手起用の方針で、全日本と箱根はけがで欠場した。学生最後の箱根は給水係として7区を担当。“力水”を手渡したのは同じ4年の高橋靖主将だ。わずか数百メートルだったが、苦楽をともにしてきた仲間と最後の箱根路を駆け抜けた。
「僕は箱根を目指して大学に入ったわけじゃなかったんですけど、卒業してから違う世界(法曹界)に飛び込んでも、みんなが(箱根出場を)知っている。すごい大会だと思います。結果を出せなかったのはすごく悔やまれます」
「人の痛みが分かる弁護士になりたい」という。人の痛みが分かるというのは、辛い経験をいくつも乗り越えてきた人。経験は人を成長させる。思いやる、優しい言葉をかける、手助けするというのは誰もができることではない。
高校で3連覇。箱根では区間最下位を経験した。チームメートの激しく揺れる心情も肌で感じた。注目される大舞台で浮沈の経験があるからこそ、人の痛みが分かるという言葉に深みを感じる。
山形県出身。子どものころ地元で起きた法律問題を機に弁護士を目指すようになった。父母は教育熱心で、息子の希望を後押ししてくれた。
箱根に出場して、司法試験に合格する。「二兎追う者は一兎も得ず」とことわざにあるように、そんなことができるのかと思う人が多いなか、梁瀬さんは成し遂げた。
現役引退後、試験勉強のため走らなくなり、体重が10キロ近く増えている。今では会う人に「本当に箱根を走ったの?」と半信半疑で見られるそうだ。ひまをみつけては皇居ランと通勤ウオーキングをする。
かつては白地に真っ赤な『C』マークのユニホームがきまっていた梁瀬さん。今はスーツ姿がよく似合う。襟元には司法修習生のバッジが輝いている。