難関の公認会計士試験(論文式)の平成26年合格者が昨年11月に発表され、中央大学史上最年少合格者が誕生した。現役で入学し、18歳11カ月で達成した伊藤凌さん(商学部会計学科)=県立岐阜商高=で、従来の現役入学2年生の合格記録を塗り替えた。
伝統の公認会計士試験合格、新たな歴史の始まりである。
あったぁ206972番
中大からは今回、前年比7人増の8 7人が合格した。屈指の伝統と実績を持つ学内のダブルスクール「経理研究所」で学んだ学生は75人(データは経理研究所独自調査、公認会計士白門会の調査による)。
そのなかの一人、伊藤さんは合格発表の日、官庁街の千代田区霞が関へ。発表会場の金融庁に受験番号「206972」があった。友人が先に見つけ、伊藤さんが確認した。合格者掲示板を写真撮影し、母親に送信した。中大OBで県岐阜商高の恩師や友人らにも送った。
「帰りの電車の中でずっとしゃべり続けていたのを覚えています。ハイテンションでした」。猛勉強の末につかんだ合格だ。興奮ぶりが伝わってくる。その夜は同じように合格した先輩と中大近くの焼き肉屋で祝った。
今回の合格者は全国で1102人(合格率10.1%)、大学1年生を含む20歳未満は12人と少数だ(全体比1.1%)。合格そのものが難しいうえ、未成年の合格となると門はさらに狭くなる。伊藤さんに中大史上最年少合格への強い意識があったわけではない。結果がそうさせた。
県立岐阜商業高校時代
高校進学時、各種資格取得の可能性が広がる県岐阜商を選んだ。姉が通学して身近な存在でもあった。全国トップレベルの同校簿記部に入り、1年生で日商簿記検定1級を取得した。高校在学中に取得できれば上出来といわれる難関を早くにパスした。
今後どうするか。簿記部顧問の先生と話し合うなか、公認会計士に惹かれた。
「よく知らなかったけれど、先生からいろいろ聞いて魅力ある仕事だと思って。将来の夢というのでしょうか、初めて公認会計士を意識しました」
2年生で税理士試験合格に必要な5科目中2科目を取得した(簿記論、財務諸表論)。3年生になると、公認会計士試験を真っすぐに目指した。
部活動は平日が午後3時半から同6時半まで。土曜になると午前8時半から午後4時半まで8時間。同校は「商業教育日本一、部活動日本一、進路達成日本一」を掲げる。力の入れ具合は相当なものだ。
「炎の塔」との出会い
学生研究棟「炎の塔」
年が明けたころ、高大連携プログラムにより、中大進学が決まると、同じ志を持つクラスメート約10人で多摩校舎を見学した。高度な教育と研究、施設の充実、キャンパスの広さ、木々の緑の美しさなどに驚き、経済学部棟近くの学生研究棟「炎の塔」の重厚な玄関ドアを押した。
勉強モードを感じた。案内されて個人研究室へ。約2 0 0 席あるという。「ここで勉強するんだ」。先輩から存在を聞いてはいても実際に見るのは初めて。がぜん、やる気がわいてきた。入学後はこの炎の塔で勉強した。
「朝は8時に入っていました。受験前は夜11時くらいまでいました」。開門を待ってキャンパスに入り、閉門時刻ぎりぎりまで机に向かった。コーヒーで眠気を覚まし、高校からの友人らと励まし合った。アパートの自室では寝るだけだった。
規律なくして自由なし…の精神で見事最年少合格!
昨年8月末に挑んだ平成26年公認会計士試験(論文式)。全国に1 1ある会場の一つ、早稲田大近くにホテルを取り、試験の3日間、リラックスして臨んだ。というのも「今回は経験するだけでいい、あわよくば…」の気持ちでいた。
合格の秘訣を聞くと、「カリキュラムを自分でつくり、自己管理しました。モチベーションが上がります」。担当教師が熱血指導した高校時代から一転、1日24時間の使い方はよくもわるくも自分次第という環境が奏功した。規律なくして自由なし、である。
合格者の平均年齢は26.8歳(今回)。「僕にはあと3年、学生生活があります」。今後について、「勉強しかしてこなかったので狭い世界にいました。海外留学など見聞を広めていきたい」
その目が、カッと見開いた。
【公認会計士とは】
財務書類の監査、証明について、法律で義務付けられている各種法人の検査証明や財務に関するコンサルティングを行うための資格。司法試験と並ぶ難関の国家資格試験( 中央大学Concept 2015より)。
【高校、大学の先輩・高木千愛さん(商4)からのメッセージ】
(現役入学、2年次に公認会計士試験合格、プロボクサーでもある)
「最年少合格おめでとうございます。とても誇らしいです。早期合格の良さは、周囲の方々と比べ、たくさんのことに挑戦することができ、選択肢も広がることだと思います。さまざまなことに挑戦し、よりいっそう活躍してほしいです!」