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トップ>人―かお>売り手よし、買い手よし、世間よし ―ウィンの3乗で事業を拡大する―

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元谷 拓さん

元谷 拓さん【略歴

売り手よし、買い手よし、世間よし ―ウィンの3乗で事業を拡大する―

元谷 拓さん/アパホテル株式会社 代表取締役専務

 北海道から沖縄まで全国に展開するホテルは124ホテル、2万5945室(9月末現在)。首都圏には39ものホテルを有するアパホテル(株)代表取締役専務の元谷拓氏(39)は中央大学の卒業生だ。事業拡大の原点は中大時代にあるという。

全国から学生を集めている中央大学に入学

アパホテル&リゾート(東京ベイ幕張)全景。ホテル単体としては日本最高層のホテル(写真提供=アパグループ)

 アパホテルの「アパ」とは、Always Pleasant Amenity(いつも気持ちのよい環境を)の略称である。心のこもった企画やサービスの司令塔が元谷専務だ。

 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長で元総理の森喜朗氏を輩出した石川県立金沢二水高から中大経済学部に入学。指定校推薦制度で高校3年の11月に合格が決まると、宅建と呼ばれる国家試験「宅地建物取引主任者」の資格取得に励んだ。

 大学入学後は、夜に専門学校へ通う「ダブルスクール」にて勉強し、10月の試験では史上最年少の合格者となった。家業は不動産や都市開発を事業とする。父外志雄氏が代表、母芙美子氏が社長。宅建の資格取得は近い将来を見据えてのものだった。

 「学生時代は一人でも多くの友達をつくろうとしましたね。中大には全国から学生が来ています」

 入学式からすぐに行動した。隣席の同じ新入生に「理事長の話、ありがたいですよね。と勇気をもって話しかけました」。高校卒業まで石川県を出たことがない。右も左の席も知らない人ばかり。「自分と同じ田舎っぽさで安心したのか、話しかけたら趣味が同じで、サークルも一緒になって」。以来、信頼関係が続き、友人の中大生は卒業後転職を経て、現在はアパグループで働いている。

 「ちょっとしたことで人生は変わりますよね」

元谷タクシー!?

 元谷氏は自家用車を持っていた。大学4年間、愛車トヨタマークⅡで通学した。当時アパグループはレンタカー会社を経営していて、「実家に帰ると中古のレンタカーがいっぱいあって」。車で何をしたかというと「友人が、きょうが10代最後の日だ、湘南の海が見たい! なんて言いだして。男ばかり5人で車に乗って行ったことがあります」

 入学間もないころ、愛車を持っている学生はそうはいない。「みんなの足になりましたよ。私の名前は“拓”だから元谷タクシーなんて呼ばれて…」

 練習は試合前だけという軟式野球のサークル、数々の友人や仲間との思い出は財産です。「もちろん勉強中心ですが、その時代、その年齢じゃないと体験できないことがある、味わえないことがあります。好奇心旺盛だから」

 卒論で異彩を放った。1000人を超える経済学部4年生の中から7人という狭き門の優秀卒論と称えられた。ゼミの古郡鞆子先生(経済学教授=労働経済、社会政策)と再会した10年ほど前に先生から教えられた。それまで知らなかった。

ヒルトップのソフトクリーム

 「私はヒルトップが大好きでした。1階のトムボーイ(店名)のソフトクリームは最高。抹茶がとくに好きでした。ある日、2階の食堂が満席。チキン南蛮定食をペデ上で太陽の光と風を感じながら食べた友人とのランチは楽しかったです。1日1000円あれば学食で3食食べられた」

 「3年生の就活時に携帯電話が普及した世代」。社会の変化を感じながらの就活は厳しい時代だった。大学3年の1997年は11月に拓銀、山一証券が相次いで経営破たんした。

 元谷氏は数社から内定を得たが、選んだのは北陸銀行。父、母、兄が金融機関出身だったことにふと気が付いた。「銀行なら地元に貢献できると思いまして。営業、融資、出納などを担当。ATM(現金自動預払機)が壊れたと言われ、ダッシュして行って直したり、現金輸送車に毎日乗ったりなんて仕事もしました」

 思い出に残るのは名古屋支店勤務時代。ある会社を粘り強く訪問して、融資する銀行に北陸銀行を選んでもらえるよう努めた。地元銀行から北陸銀行に変えてもらった。

 「銀行はまた取引先のA社とB社を結ぶこともできます。双方をご紹介することでプラスが生まれ、その運転資金が必要とならば、銀行にとっても新たなプラスを生み出せます」

 北陸銀行を3年で退職し、入ったアパグループでこうした経験が生きてくる。宿泊者サービスでヒットを放つ。

 アパホテルのサンプリングサービスをスタートさせた。大手コンビニ1社だけ利用可能な大手ビール会社発行の人気のビールの無料券をアパホテルだけに限定配布する。

 宿泊者にとっても、コンビニもビール会社もホテルも、それぞれにウィンウィンウィンの関係ができるのが特徴だ。

 「売り手よし、買い手よし、世間よし。これは近江商人の考え方です。人の役に立つ、社会に貢献できる。商売は長続きしないと。こうした流れをメーカーさんと一緒に行っています」

 元谷氏はこれをサンプリングと呼び、これまで約200もの事例を成功させた。リポビタンD300万本、オロナミンC100万本の実績が光る。

 グループのホテルは1984年に第1号を金沢片町でオープンした。2004年に1万室を達成し、2012年には2万室を超えた。

 利用者を満足させようと元谷氏はアイデア満載の企画を展開中だ。プロ野球選手やタレントのトークショー。個食、業務用合わせて100万食を達成したアパ社長カレー。アパ社長カレー専用のゴールドスプーンも企画してつくってしまう。

後輩へ一言

母校への恩返し。中央大学商学部<働くこと入門>総合講座での講演の様子

 「社会に出たら給料をもらい、親孝行ができる。責任ある仕事をしてはじめて、人や社会から評価される」

 中大生にメッセージを残した。

 「学生時代に一生の友を一人でも多くつくってほしい。私はいまでもお付き合いをしている人がたくさんいる。お世話になり、助けてくださる仲間が人を育てる。先生や先輩らを大切にして縦・横・斜めの人間関係をフル活用する」

 「卒業後いつかは母校中央大学に恩返しをしたいと思っていました。昨年12月、商学部の総合講座<働くこと入門>『新都市型ホテルの独創的戦略とプロフェッショナル仕事術』と題して話をすることができました。300人くらいの人に聞いていただき、夢が叶いました。親孝行と同じように母校や勤務する会社に恩返しをする。それをする人は強いです。学生には、自分の好きなことしかしない、自分のことだけ考える人にはなってほしくない。資格を何か一つ取って就活に使えるようにもしてほしい」

 元谷氏はさらに付け加えた。

 「白門祭で私たちのサークルは豚汁をつくって出すことにしました。ある後輩が油揚げをそのまま1枚、切らずに鍋に入れているのを見てびっくりした。くじだったら、それは当たりなのか、外れなのか。1枚まるごと器に入った油揚げを喜ぶ人はいないだろう。常に顧客の視点に立って考え抜く。あのことが商売の原点だったかもしれないですね」

提供:『HAKUMON Chuo』2014秋号 No.238

元谷 拓(もとや・たく)さん
1975年5月21日石川県小松市生まれ。県立金沢二水高等学校卒業。中央大学経済学部を卒業。大学1年時に宅建に合格。1998年北陸銀行に入行、名古屋支店にて3年間勤務。2001年にアパグループ取締役、2003年に常務取締役、2007年にアパホテル株式会社代表取締役専務に就任。
ホテル・マンション・ゴルフ場の集客イベントやレストラン企画も手掛け、アパホテルのサンプリングや各企業とのコラボレート、不稼働不動産の稼働化を実現させている。