トップ>人—かお>中大落研初の真打昇進−中大で出会い中大から夢を叶えた−
才紫改め 桂やまと師匠【略歴】
才紫改め 桂やまと師匠/落語家
在学中は落語研究会(以下、落研)で活躍、今回の真打昇進は中大落研出身者では初の慶事である。
あたしが落語をナマで初めて聴いたのは19才、2年目の浪人の時でした。
うちは先祖代々、東京の荒川なんで寄席も近いんですが、それまではまるっきり興味がなくてね。二浪で一気に予備校の窓際族になっちゃった時、落語好きのあたしの爺ちゃんが病気で寝たきりになっちゃって。新聞屋さんが毎月爺ちゃんにくれる寄席の招待券を持って「もう何処でもいいや、これ持って行ってみるか」と。……ほんとにやけっぱちで行ったんです。
そんな感じで足を踏み入れたのが、浅草演芸ホールなんですよ。そこで全てが変わりました。
これもタイミングだと思うんですが、そんなことがあってから月に2度ずつ、招待券を持っては浅草へ行ってました。違う寄席にも行ってみたいと自分の小遣いはたいて上野鈴本へも行くようになって。自分にとっては、ちょうどいいストレス解消でしたね。それを商売にしようなんて、ひとつも考えてなかった。
当時はとにかく大学に行きたかったんです。
お陰様で合格して中央大学へ入学すると、新歓ってえのがありますよね。あたしがまっつぐ目指したのは、古いサークル棟にある落研の部室。
コンコンと叩いて扉を開けて、「入りたいんですけど」
「おっ、本当に!座って座って!!」
そこに先輩が3人いたんです。
受付係として新入生をなごませているんだろうなと思ってたこの3人が、実は全ての部員でした……。あたしが入った頃は落研も40年近く経ってましたが、潰れかけてたんですね。
でもその年になんと1年生が10人くらい入って、一気に活気づいた。先輩たちも大事にしてくれて、あたしたちも卒業まで10人中8人がちゃんと残りましたからねェ。またこの8人がライバル心の強いといったらない。「絶対負けない」って必死に稽古してすごく刺激がありました。
メガネ&私服姿のやまと師匠
正月に爺ちゃんが亡くなってからいろいろ考えた。真剣に考えた。考え抜いた末の1年生の終わりには、噺家になると決めました。決して勢いで決めた訳じゃない。自分の一生だから。
そこで両親に言う訳ですよ、「噺家になりたい」って。
父はね、「冗談言っちゃいけねえ。2年も浪人して、何考えてんだ!?」
「でも、俺は本気だ」と、とにかく引かなかったですね。
そしたら父が条件を出してきた。
「4年で卒業したらいいよ」
当たり前のような条件ですが、あたしは1年生の頃はずっと部室にいて、取れた単位は半分以下。親にしてみればね、留年してくれて、何処かほかの会社に入ってくれた方がよっぽどマシだと思ったんでしょう。
2年生からきっちり勉強して、4年生の終わりには卒業見込みが出ました。いま思えば早くにやりたいことが決まってポーンと言っちゃったのがよかったのかな。親が条件を出してくれたタイミングもよかったんでしょうねェ。
中大落研はプロが代々教えてくれるという全国でも珍しいサークル。うちの師匠の才賀は歴代の指導役なんです。『笑点』に8年出てたし、あたしも『笑点』はずっと見てたし。
初めて会った時も「あっ、あの才賀師匠だ!」ってね。強面でドスの利いた声ですが、懇切丁寧にいろいろと教えてくれて、相談にもよく乗ってくれました。
師匠はあたしだけじゃなく、部員みんなを可愛がってくれて、よく飲ましてくれました。師匠の噺も聴きに行って、4年生になった時には「才賀師匠の弟子になりたい」と思うようになったんです。
でも「4年で卒業しなくちゃダメ」という親との約束があったんで、そっちを優先しました。そう、うちの師匠には卒業するまで「弟子にしてください」って一度も言わなかったんです。
「よし、じゃあ大学やめてきな」って言われたら、親との約束が果たせないじゃないですか。これじゃ契約不履行だ。いかんいかん。だから親との約束を最優先しました。
卒業式の翌日、師匠を訪ねたら千葉にいるとわかって急いで追っかけました。
「弟子にしてください! お願いします!!」
素直に驚いてましたね。
「へっ!? 俺か、俺かよ」って。
「うーん、まあ、ねえ、どうしようかねェ。親御さんとちゃんと話さねえとなァ。師匠は弟子の命を預かるからな。親の了解がない限り俺はとらないよ」
才賀師匠(左)と2ショット
千葉から東京に帰って、すぐに両親が来てくれて、いろいろと話して。
「いいんですか、大切なお子さんを。大学まで出して。水商売といっても売れるか売れないかでこんなに差のある商売もないし、売れる保証すらない。修行は昔から厳しいし、体だって壊すかもしれない、野垂れ死にするかもしれない。どうです、よろしいんですか?」
それを聞いた父が言ったことをはっきり覚えてます。
「当人がなりたい商売につけることほど幸せなことはないので、お願いします」
「お父っあんがそう言って頭下げたから、弟子にしたんだ。親に感謝しろ」
その後も師匠によく言われましたねェ。
それまでは相談に乗ってくれる、ご馳走してくれる、優しいおじさんだと思ってた師匠が、入門したとたんガラッと変わった。プロとアマチュアは違う。アマチュアの芸なんて、何の役にもたたねえ。素人了見を捨てさせるところから始まって。
2ヶ月間は名前もくれなかったし、噺も教えてくれなかった。ただただ朝から夜中までずっと叱られてましたね。
前座のうちは毎日師匠の用事をこなして、寄席で働きます。4年間休みはありません。ええ、一日もね。だから気を抜く暇がないのよ。いや、気を抜いたら破門だもん……常に緊張感を持って働いてましたねェ。
二ツ目になると羽織を着て、「落語で独りで稼げるようになれ」と。師匠の側にいるよりもどんどん飛び回らないと、今度は真打になったときに飛べない噺家になっちゃう。シビアな世界ですよ。
自分も落語が好きだから生業とさせていただいている訳で。落語って本当に面白いですよ。あたしはそれを知ってるからはっきりそう言える。あたしもまだまだこれからなんで、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。