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塩浦 慎理さん

塩浦 慎理さん【略歴

世界水泳で歴史を塗り替えた

塩浦 慎理さん/中央大学水泳部選手(男子水泳自由形・世界水泳出場銅メダル獲得)

 バルセロナ(スペイン)で世界水泳選手権が開催された7月末。中央大学法学部4年の塩浦慎理選手は、大会期間中4回の記録更新、男子100m自由形で日本人初の準決勝進出に加え、男子4×100m メドレーリレー決勝ではアンカーを務め、銅メダルを獲得した。

 大会を終えた塩浦選手は「他の選手も一丸となって応援して、みんなで戦っていく雰囲気をつくるのが、日本の良さだと思う」と話した。メダル獲得にはこの「日本の良さ」が大きく関わっていた。

 世界の舞台は、デカかった。「僕で華奢なほうですよ」。入場時、前を歩く選手の体が大きすぎて視界がふさがれたのだという。身長188㎝、体重89㎏で「華奢」なのだ。普段と違うのは戦う相手だけではない。水質も会場の雰囲気も全く違う環境下、いつも通りの自分を保つことは難しい。

 そんな中、選手は“陸の上”でも戦っていた。大会初日、塩浦さんは、観客席の応援リーダーを務めていた。日本代表選手は男女総勢31人。仲間のために、周りを盛り上げ、旗を振る。

 「水泳は個人競技ではあるけれど、気持ちとしては団体に近い」。違う環境やプレッシャーに誰もが必ずナーバスになる。世界大会では、実力やタイムはもちろん、個人のプレッシャーを周りが補い合っていく、チームとしての強さも試されるのだ。

 7月31日、男子100m自由形予選。7組に出場した。トップで折り返してそのまま1着でゴール。自己ベストを更新、全体の4位で準決勝へ進んだ。この種目で日本人初の準決勝進出。体力的に劣るといわれた自由形で、日本人の存在を世界に見せつけた歴史的瞬間だった。

 同日の準決勝。1組の第5レーンに立った。50mを3番手でターンした。ここから順位を落としてしまい5着に終わった。2組を合わせた全体の10位。8位通過までわずか0.05秒差で、惜しくも決勝には進めなかった。

 「今回の目標は決勝に残ることでした。(準決勝進出が)日本人初だと周りが喜んでくれるのはうれしかったが、やはり決勝で泳ぎたかった」と悔しさをにじませた。

 敗因は「最後の10m」だという。前半はかなり速いペースで泳げていたのに、最後でペースが落ちてしまった。今後の目標に「全力で泳げる距離を伸ばすこと」を挙げた。

花形の自由形

 出られなかった決勝の試合は満員の観客席で見た。日本ではあまり人気ではない自由形だが、世界水泳でその決勝を見て、改めて花形種目なのだと感じたという。会場の盛り上がり方が段違いだった。ほかの選手も、自由形には一目置いている。

 「やっぱりかっこいい」悔しさを忘れて見とれた。

 チームの中では「盛り上げ役」だという塩浦選手は、率先して雰囲気づくりに徹した。「笑顔が出るとストレスが減るから、無理やりにでも笑った方がいい」雰囲気を和らげて笑顔の出る環境をつくる。これもまた大事な仕事だ。

 しかし、リレーの入水直前は飛び込み台の上で一人、緊張で爆発しそうだった。8月5日、男子4×100mメドレーリレー。日本は第2レーン。塩浦選手の右隣、第3レーンのロシアが予想以上に速い。

 メドレーリレーの目標は「メダルの獲得」だ。ほかのチームのタイム平均を計算し、ロシアを指標に泳ぐ作戦を立てていた。ロシアに勝たなければ、メダルはない。

 4レーンのアメリカ、6レーンのフランスもスピードを上げている。日本はこのとき、4番手だった。

 ヤバイヤバイヤバイ! 気持ちが焦った。

 「いけるよ! 大丈夫、がんばれ!」

あこがれの北島選手(左)とツーショット=塩浦選手提供

 後ろから励ましの声が聞こえた。すでに泳ぎ終えた北島康介選手(第2泳者)と入江陵介選手(第1泳者)だ。飛び込み台の上は一人。しかし全員がチームの強さを試されている。「大丈夫」仲間を信じて飛び込んだ。

 入水の感覚が、期間中一番よかった。アメリカにフランスが続き、オーストラリア(第5レーン)がそれを追いかける。日本はロシアとの4位争い。熾烈な競争の中、塩浦選手は粘った。

 結果は3分32秒26。4位だったもののアメリカの失格で繰り上がり、銅メダル獲得に漕ぎつけた。期間中、全員で戦い、全員で勝ち取ったメダルだった。選手たちの胸で、いっそうまぶしく輝いた。

つなげた つなげる

 北島選手は、目標であり、あこがれであり、夢であった。

 中学1年の塩浦少年は、2004年アテネ五輪で北島選手の100m、200m2種目制覇をテレビに食い入るようにして見た。「オリンピックに、絶対出たい」

 今年の世界水泳では背中を追い続けた、その選手と一緒にリレーを組めた。「続けていてくれてよかった」と心から思った。

 就職が内定し、水泳を続けられる環境を得た今、「僕も、子どもたちに信頼される選手になりたい。僕の泳ぎを見た子どもたちが『俺も自由形やってみようかな』って思うような選手になりたい」と北島選手にあこがれた少年時代を思い出すように語った。

 日本を背負ってメダルを獲得した4人を、画面の向こうから、何百、何千もの水泳少年たちが、この日もまた見つめたのだろう。2020年には東京五輪が開催される。夢をつなぐリレーもまた、繰り広げられていく。

提供:『HAKUMON Chuo』2013秋号 No.233

塩浦 慎理(しおうら・しんり)さん
1991年11月26日生まれ。神奈川県出身。2010年に湘南工大附属高校卒業後、中央大学法学部法律学科に進学し、現在4年在学中。身長188cm・体重89kg。2004年中学1年時の夏季ジュニアオリンピック、50m、100m自由形で優勝し、高3の夏にインターハイ2冠を達成。2011年ユニバーシアード代表に選ばれると50m、100m自由形で銅メダルを獲得。同年のインカレでは50m自由形で自身初となる日本タイ記録を樹立。2013年4月実施の第89回日本選手権水泳競技大会で初優勝を果たす。同年8月実施の第15回世界水泳選手権大会男子400メートルメドレーリレーでは、入江陵介、北島康介、藤井拓郎と共に出場し銅メダルを獲得し、現在に至る。