学生にとってお父さん世代がお気に入りのテレビ番組がある。日曜日朝のTBS系『サンデーモーニング』、番組後半のコーナー「屋根裏のプロゴルファー」に登場するタケ小山さん(49)は中央大学の卒業生である。
米国生活18年、独自取材網で得た国内や欧米の最新ゴルフ事情が新鮮で興味深い。視聴者は“タケ情報”をつい誰かにしゃべりたくなってくる。ゴルフ界の話題の人物といっていいだろう。
TBSテレビ「屋根裏のプロゴルファー」のスタジオ風景、自作のボードを手に解説する
(写真提供=株式会社三桂)
番組のテーマアップ・構成は任されている。水曜までにパワーポイントで伝えたい内容を担当ディレクターに送り、金曜・土曜の会議でプランを練る。ここに番組司会者の関口宏さんが参加する。
「デジタルのなかでもアナログ感を出したい」とタケさん。心がけるのは分かりやすい解説だ。ルールやギヤ(道具)の説明には手作りの模型を使うこともある。模型づくりに4~5時間かかるが、その甲斐もあって、約10分間の担当コーナーは不定期の出番ながらファンが多く、高い視聴率をキープする。
「サンデー~」は2009年1月から出演、“ゴルフの祭典”マスターズを独自の視点で13週も特集した。石川遼選手が脚光を浴びてきたころ。明解なタケさんのゴルフ解説も時代のトレンドになっていった。
ことしのマスターズに出場した昨年賞金王の藤田寛之選手。2月に右肋骨(ろっこつ)の疲労骨折が判明し、周囲を心配させていた。そんな折り、番組では米国の小さな試合に出場する動きをキャッチ。「極秘映像」として回復目覚ましい姿を紹介した。
米国事情に明るく、スター選手と親交があるタケさんならではのビッグニュースだった。 テレビに出演する前には、2008年4月から外国語放送を中心としたFMラジオ局「インターFM」に登場。土曜朝の番組『グリーンジャケット』でこの日ゴルフに行くアマチュアゴルファーに“得する情報”を伝えていた。
グレグ・ノーマン(豪州)がかつて空軍のパイロットで、いまはジェット機操縦の免許を取得している。ボーイング737を購入したものの自ら所有する飛行場には、機体が長すぎて降りることが叶わなかった。ニック・プライス(ジンバブエ)は双発機を操る。世界超一流プレーヤーの、こうした話がポンポン飛び出してくる。
好評につき4月からは放送枠が繰り上がって朝5時にスタート、8時までの3時間となった。1人でトーク、トーク、またトーク、歯切れがいいから心地よい。とんかつ屋で聞くキャベツを刻んでいる音に似ている、と評した放送人がいる。
持って生まれた才を感じさせるのだ。「うーん、よく言われますが、話すのは得意ではなかったんですよ」
米国に18年間
1982年、中大経済学部に入学した。2年生の84年12月に「アシスタントプロ資格テスト」に合格、“ノンプロ”と呼ばれた。もともとプロ志向で、米国でプロゴルファーとして活躍したかった。
中大で在籍した「アルバトロス同好会」の2年先輩が米国にいて、複数のゴルフ場を運営し、MBA(経営学修士)取得者でもあった。知己の言を得て89年6月に渡米。フロリダ州オーランドに居を構え、米国を中心にカナダ、オーストラリア、カリブなどを転戦した。
日本に帰ってきたのは2007年。この年の国内ツアーに参戦し、日本オープンにも出場した。しかし翌年は予選を通過できずにいた。このとき転機が訪れた。
インターFMで「ゴルフの分かるDJ」を探している。前述の関口さんからも「テレビに出てみないか」と誘われた。08年4月に入学した早稲田大学大学院スポーツ科学研究科でトップスポーツマネジメント(修士)を学びながら、週末はテレビ・ラジオの世界に身を置くようになった。
インターFMのスタジオ。電子画面が並び、出演者は意外と離れて座っていた
「いまでも小さな大会には出ています。ゴルフは自分が辞めたというまでできるスポーツ。仕事との掛け持ちですね。現場を知らないとダメで、ギア、ボールなど次々に新しいモノが出ています。ボール一つとっても何万個とあります」
NHK・Eテレで大好評だったゴルフレッスン番組「藤田寛之のシングルへの道」。タケさんは番組進行を務めた。ここではトークをぐっと控えて、前年賞金王の経験に基づいた金言をすべて引き出した、といわれる。日ごろの親交から藤田選手の性格を知っていて、ツボを得た聞き手としての評判もいい。この秋には続編が放送された。
得意ではなかったという「おしゃべり」が、現在までになったのは、元アナウンサーによるアドバイスがあったから。
「放送は送りっ放しと書くけど、録音・録画してチェックしておくと次からぐっとよくなる、と言われまして。いまでも放送中、CMなどの合間に直前3~5分間の内容を聴いています。しゃべるのはわりと短期間で身につきました」
中大時代、ゴルフ同好会に在籍していなかったら、先輩とも知り合えず、米国への道は開けなかったかもしれない。日本に帰ってツアーから遠ざかったとき、「じゃ試合に出ないんだね」と関口さんに巡り会わなければ、タケさんの人生は変わっていたかもしれない。そしてお父さんたちゴルファーは、土日の朝がつまらないものになっていた…。
提供:『HAKUMON Chuo』2013秋号 No.233