OECDのパリ本部で、加盟国の拠出額や拠出金ルールの取り決め、経費のモニタリングや分析を担当する伊藤敦人氏。さまざまな経歴を経て、現在は国際機関の基幹部門で活躍する伊藤氏のルーツとは? 多国籍な人々の中で日本人が対等に働くために必要なこととは何だろうか―。
OECDには現在34カ国が加盟。文化や考え方が異なるさまざまな職員がともに働いている。公用語は英語とフランス語。会議はもちろん、同僚との会話もすべてこの2言語を同時に使用する。そのため、母国語ではないコミュニケーションがとても重要だ。部署内でも明確かつ的確な伝達方法に注意を払わなくてはならない。その積み重ねがOECD全体の潤滑なコミュニケーションに繋がっている。
伊藤氏がもっともやりがいを感じる瞬間も、そうした国籍や考え方が異なった人々や部下と同じ目標を達成したときだ。また、OECDの予算や財務を総括している官房部門で働いていることもあり、OECD全体の業務効率化に貢献する点にもやりがいを感じるという。たとえば、財務諸表や活動レポートが加盟国や監査に評価されたとき、また新たに効率的なファイナンスシステムをOECD全体に導入し、それが見える形で業務の効率化につながったときなどだ。
総合政策学部で培った幅広い知識と専門性
伊藤氏は学生時代、総合政策学部と総合政策研究科に在籍。授業やゼミを通して、幅広い知識と自らの核となる専門性を身につけた。これは現在の仕事にも活かされているという。
大学院では、大橋正和教授の指導により、情報システム・ネットワークに注力した。情報処理や情報科学・工学をはじめ、幅広い分野で活躍する教授の下、英語やフランス語、政策、国政政治、文化にも興味を持ち、夢中で学んだ。
総合政策学部は、自らの専門分野に特化するだけでなく、国際関係、法律・法学、語学取得の積極的な推奨など、幅広いラインナップが魅力だ。たとえば文化人類学の授業では、レポートの一環として、電気も水もないセネガルの奥地に数週間滞在。村の学校で衛生教育を教えるボランティア活動を通して、共生のテーマについて調査研究を行った。このような活動も現在、途上国でのビジネス、あるいは経済発展を考える際などの礎となっているという。
また、学生時代に個性的な仲間たちと多く出会えたことも、伊藤氏の人生において、かけがえのない財産となっている。「当時の友人は、さまざまな分野で活躍していますが、今でも変わることなく、いろいろなアイデアや世界情勢、ビジネスにまつわる意見交換をしあっています。」
「能ある鷹は爪を隠す」は通用しない
OECD本部前にて
「日本ではグローバルという言葉だけがただ一人歩きしているように感じます。」
世界を舞台に活躍する伊藤氏は、日本の現状についてこう指摘する。
「英語がネイティブの欧米人は、自分たちがグローバルで自分たちの仕事の進め方こそグローバルだと思っています。日本は、それに合わせることがグローバルだと思っている人も多いように見えます。」しかし、単に英語が流暢なだけがグローバルではない。たとえば、今後インドや中国が世界をリードするようになったら、ヒンズー語もしくは中国語が話せて、文化に精通した人がグローバルということになるだろう。
では、真のグローバル人材とはいったいどのような人物なのだろうか。それは、語学に長け、仕事ができるだけではなく、世界に日本人として出て、いかに国益・企業の利益、ひいては自分自身のために益となるようなものを見据え、交渉でき、相手を自分に感化させる、説得できる人材、いわゆる「図太い人間」になれるかどうかということに帰着すると伊藤氏はいう。
「私はヨーロッパ・アフリカ・アジア含めて6カ国に住み、現在もアメリカ人、イギリス人、フランス人、韓国人、オーストラリア人など多国籍の人々と仕事をし、日々出会う環境にあります。そのような中で、いつも感じているのは、日本人が一番おとなしいということです。」
一人ひとりの日本人の能力は勤勉で優れているのに、海外では主張が不足し、能力が発揮できなかったり、損をしていることも少なくないようだ。
日本社会で美徳の奥ゆかしさや、「能ある鷹は爪を隠す」は、世界では通用しない。さまざまな国籍の人々で構成されている国際社会や欧米社会などは、日本でもなければ、同じ文化土俵でもないのだ。
今後、グローバルな社会になればなるほどいわゆる「待ち」の体制、だまっていても、誰かが目を配ってくれている、わかってくれているという姿勢では、相手にされなくなる。「大事なのは、知識や語学を修得する以前に、まずは世界で、『図太く』意見を主張し、自分の目的のために相手を感化・説得できる人間になる、ということです。」