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小林 昭彦さん

小林 昭彦さん 【略歴

異色のキャリア 中大卒で天台宗の最高位僧に

小林 昭彦さん/天台宗大僧正・長命寺住職

 東京の新名所・東京スカイツリーの近く、墨田区向島に天台宗長命寺(ちょうめいじ)がある。住職の小林昭彦(こばやし・しょうげん)氏(73)は中央大学で日本文学を学び、卒業後僧侶になるため大正大学大学院へ進んだ異色のキャリアの持ち主だ。実家の長命寺を継ぐには「回り道をしました」と言うものの、数々の人生経験が仏道を修行する身に役に立ったという。厳しい修行を積み重ね、昨年6月には天台宗の最高位である「大僧正」に就任した。

仏門の中学に背を向けた

 袈裟をまとい、経を読む姿のどこにも「CHUO」の印象はない。中大卒と知らない檀家もいる。

 生家は東京・向島の名刹、長命寺。近くにプロ野球の通算最多本塁打記録868本を持つ王貞治選手(元巨人、現福岡ソフトバンク・ホークス球団会長)が野球を始めたという隅田少年野球場がある。名物「言問だんご」や「桜もち」でも知られる東京・下町の名所だ。

 寺の長男である小林住職は、父親の方針で僧侶になる専門校ともいえる私立の中学・高校に1952(昭和27)年に入学した。

 王選手が早稲田実高のエースとして甲子園の高校野球選抜大会を制したのが1957(同32)年。平成生まれが多い今の中大生にはセピア色の時代だろうか。

 「長命寺の息子だから、成績はよくて当たり前、先生に優等生とみられて、入った中学は息苦しかったです」

混声合唱団で全国優勝

 転校を決意した。中学2年から公立校へ。混声合唱団に入り、NHK全国ラジオ唱歌コンクールでいきなり全国優勝した。

 「パーッと視野が広がったようで、うれしかったです。よく覚えています」

 高校も公立へ。大学進学では「国文学が好きだったから」と中大文学部を選んだ。

 自宅の長命寺にある松尾芭蕉「いざさらば」の句碑は有名だ。

 『いささらは 雪見にころふ 所まで』

 墨田区によれば、全国に千五百あるといわれる芭蕉の句碑の中でも、蒲鉾彫り(中心部をカマボコのように山なりにすることで立体的に見える工法)のこの句碑は、碑としても大変に優れたものだという。自宅近くに森鴎外住居跡や国学者の橘守部・橘冬照墓などがあり、多くの文化財に恵まれた。

 文学に熱中していると、同級生は2学年から次々に転部していった。法学部や商学部へ進み、司法試験や公認会計士などの資格取得を目指した。

 「私は就職が(寺に)決まっていますから、好きな本ばかり読んでいました。本は財産です。授業は真面目に出席して、友人の代返もした。試験前にはずいぶんと頼りにされました。単位が取れない友人のために教授のところへ一緒に行ってお願いしたこともありましたなぁ」

 文武両道を志し、「国文・武道」の両立を期した。

 「ロバート・ケネディ議員が来日した時でした…」。

 1962(同37)年、「日本文化をみたい」とケネディ米大統領の実弟が都内新宿区の道場にやってきた。中大合気道部の小林さんも道場にいた。

 好きなことを存分にした、充実の学生生活。卒論には小説「山椒魚」「黒い雨」で知られる井伏鱒二を選んだ。文学を通じて親しくなった東大講師が直々に指導してくれた。才能を認められ、大学院へ進み国文学を極める道を勧められたが、僧侶になる道に戻った。人より10年ほど遅れての仏門入りだった。

3年分の勉強が待っていた

 東京・巣鴨の大正大学大学院へ入学。講義は仏教学部卒を前提にして進む。遅れて入学した小林さんは、学部生3年・同4年・院生1年と計3学年の勉強をいっぺんにこなさなければならなくなった。

 天台学概論、天台宗教史特論、宗教哲学特論、宗教思想史(心理学、民俗学、民族学、社会学)特論…。通常は大学1~2年で宗派を超えた仏教史と基本的思想などを学び、3~4年で各宗派の思想研究など専門的分野を深めていく。卒塔婆に書く梵語(ぼんご)梵字の授業もあった。

 「通常2年で修士を終えるところ、論文もあって、私は3年かかりました」

幼稚園で合気道

 卒業後は長命寺へ。父の代から幼稚園主事として後を継いだ。

 「回り道をしました、広く社会を勉強したと思っています」

 併設の幼稚園「言問幼稚園」では今でも年長児に合気道を教えている。「週に1回。まねごとですが、挨拶ができるだけでも素晴らしい」。卒園前には中大合気道部から学生を招いて模範演技を父兄に披露する。

 「きびきびした姿を見てもらいたい、きっと“いいなぁ”と思ってくれる。実際に見ればよく分かりますよ」

 合気道のほか、園児に「食事の仕方・姿勢、ハシの持ち方、いただきます、ごちそうさまを言えるように教えています」「(来賓として招かれた)近くの小学校の入学式、うちの園児がきちんと挨拶できて、行儀よく座っている姿を見るとうれしくて」

長男も同じ道

 長男も現住職と同じような道を歩いている。都立高から中央大学、大正大学大学院へ。「寺に生まれた者はいずれ寺で働くが、それぞれ好きな道も大事にしてやりたい」

 出生時から将来の仕事、地域での役割が決まっている。「宿命」といってしまうには、割り切れないものがある。環境や価値観が目まぐるしく変わる時代に、仏の道だけが従前通りでいいというのか。幼いころから門前で経を読んできた小林住職は、他人の釜の飯を食っては経験を積み、人生の他流試合を重ね、社会と仏門との距離を知った。

 長年の仏道が認められ、昨年6月には京都・比叡山延暦寺で天台宗最高位の僧階「大僧正」を天台宗の最高峰“お座主様“から授与された。東京・丸の内の東京會館で行われた「大僧正補任祝賀会」には中大関係者を上回る大勢の支援者が集まった。

小林 昭彦(こばやし・しょうげん)さん
1939(昭14)年生まれ。中央大学文学部卒、大正大学大学院修士課程修了。長命寺第三十二代住職、長命寺は隅田川七福神の弁財天。長命寺の由来は、三代将軍家光が鷹狩りに出向いた際、腹痛に苦しんだ。当時の住職が加持した庭の井の水で薬を服用したところ痛みが治まったので長命寺の寺号を与えたといわれている。家康との説もある(出展・すみだ史跡文化財めぐり)。白門墨田支部元支部長、現在は顧問。