文系大学卒業のフリーライターが2011年4月、東邦大学医学部客員教授に招聘された。異例のことだという。テレビ・新聞などで医療問題を解説する医学ジャーナリストの松井宏夫さん(61)は中央大学商学部の卒業生。フリーランスの苦難な時代を乗り越えて、医学ジャーナリズムという新しい分野を確立した。成功へのキーワードは”誠実”だった。
大卒月収3万円
大卒後は映画助監督、そして週刊誌記者。事件事故、政治、芸能、スポーツなど世間の最大関心事を夢中で取材していた。若さゆえの失敗もあったが、よくかわいがられた。
ある実力者が大きな事業を興すというので抜てきされた。しかし事業計画は頓挫。膨らんでいた希望はしぼみ、青年実業家のはずが失業者と呼ばれた。28歳の秋だった。
先輩の事務所に机一つを間借りした。300を超える知人友人に独立せざるを得なかった事情と決意を知らせる挨拶状を送った。
収入は月3万円。かつての職場が企画案との名目で援助してくれた。2010年、人気漫画家になるまでの水木しげる氏を描いたNHKドラマ「ゲゲゲの女房」をよく見ていた長男が言った。「あれってウチのことだよね」。「貧乏だったわよ」夫人がダメを押した。
毎日書きまくった
転機は挨拶状が運んできた。就職情報誌から原稿依頼がきた。以前に取材したところだった。求められた記事は短いながらも蘊蓄(うんちく)があり、読者をうならせる。これを数多く書いた。就職情報誌は求人情報の掲載が主であり、誌面にはハコが並ぶ。ハコが足りずに空きが出ることもある。ここを補うのが求められた記事だった。
次は学習誌から小説の打診だ。3本書いた。中学の時から小説が好きで小説家志望。ラジオ局からは番組の構成作家やディレクターを任された。中大附属高時代は、放送部員だった。
続いて有名政治評論家のデータマン。ところが2年目でその政治評論家は急逝…。次に月刊誌から依頼を受けたのが医療記事だった。全国の大学医学部24,歯学部12を訪ねて連載した。
「来る仕事は拒まなかった。しゃにむに書いた。書くことが文章上達の道と思っていた。32歳のころ、毎月どれくらい書いているのか数えたら400字詰め原稿用紙に250枚。フリーの私に休みはないから毎日8-10枚。寝る時間はなかったけど、ありがたかった」
再度の暗転
順調な仕事が、ある日突然暗転する。7-8本あった週刊誌などの連載が1本を残してばたばたと終了した。大幅な収入源だ。
「連載をもてると最高、持ったら逃すな。安定収入がなくなる」というのがフリーの世界。恐れていたことが現実になった。
神奈川県内の借家を出なければならない事情も重なって「お金がない、どうしよう、どうしようと。毎日、頭を抱えていました」
ベストセラー
初めての著書「名医名鑑」(日本工業新聞社刊)と「病気別全国名医730人徹底ガイド」(主婦と生活社刊)。週刊誌・新聞連載を本にした2冊が急に売れてベストセラーになった。1992年、41歳。医学ジャーナリストの仕事が軌道に乗った。
「助かりましたよ。マンションの頭金が出ました」
名医本のパイオニア誕生である。以来、著書は43冊。
当時の医療記事は科学部記者やOBの書いたものが中心だった。週刊誌記者時代にたたきこまれた、中学生にもわかる文章を書け、との教えが役に立ち、一般家庭でも分かる医療記事が社会に受け入れられた。
また、大都市に暮らす人々は「かかりつけ医」を持っている人が少ない時代ということも名医本の支持を広くしていった。
45歳以降、医学ジャーナリスト一本に仕事を絞り、医師と患者の間に立った解説・執筆活動を続けている。もちろん、「中学1年生にも理解できる文章」がモットーだ。
近著「こんなときどうする? 症状からわかるあなたの病気と治療法」(実業之日本社刊)は、日本の医療界をリードする有名専門医がこの本で的確なアドバイスをしている。「そのままだと危険! 恐ろしい結果を招く前に自分の症状をチェック!」できるのがセールスポイント。患者と医者の懸け橋になったのが松井さんだ。
頭痛ひとつとっても8項目あって、「片頭痛」「群発頭痛」「緊張型頭痛」から生命の危機にも及ぶ「硬膜動静脈ろう」まで詳しい説明が続く。「硬膜動静脈ろう」とは、片側の目の奥に拍動性のズキズキする激しい痛みが生じる重病。患者が今ほしい情報を提供する。
26人の名医を紹介した巻末の「先生一覧」は、松井さんならではの貴重な資料だ。この本は内容の充実が支持され、韓国でも出版された。
自由のないフリー?!
「いつクビになるか分からないから、フリーは不安との戦いです。ずっと十二指腸潰瘍と過敏性腸症候群を患っていました」
苦労を笑顔に包んで述懐した。
「人との付き合いは何より大事。態度悪く取材に行っていたら仕事は来なかった。誠実に対応する。手を抜かない、つまらないと思っても引き受ける、いずれ役に立つときがきっと来る」
高名な医学博士の自宅を訪ねたある日。取材が終わり、書斎の書棚に目を転じると直木賞作家・佐藤雅美氏の作品が多数あった。
「先生、小説のほうが医学書より多いですね」「これは面白いよ」「先生、私、佐藤さんとよく酒を飲みました」「えっ」「週刊誌時代の先輩記者でしたから」「きみ、時間まだあるだろう。ビール飲もう。佐藤雅美ってどんな人だ?」
こうして話が弾む。さらに一歩、取材相手の懐に入る。何が役にたつか、分からないものである。