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柳家 さん喬さん

柳家 さん喬さん 【略歴

米国で落語を教えています

柳家 さん喬さん/落語家

 落語家・柳家さん喬師匠(63)は、満員の寄席でファンを魅了する一方、米国北東部バーモント州の大学で日本語を教える言葉の練達者だ。同師匠は中央大学附属高校出身。中大生にあこがれ、教師志望だった進路がなぜ変わったのか。

あこがれの中大生

――中央を選んだのは

 中央大学を選んだ大きな理由は、実家≪東京・墨田区本所=編集室挿入、以下同じ≫の隣に小さな鉄鋼屋さんがありまして、鹿児島から出てきた青年がおりました。昼間働いて夜は中央大学の夜間部へ。うちは洋食屋で、朝そういう方のために当時200円か300円の朝ご飯をお出ししていました。会社から帰ってくるとまたうちでご飯を食べて中大へ。当時はこういう苦学生が大勢いらした。その方が私にとって理想のお兄さんだった。それで中央大学へ行きたいと思ったんです。附属高校へ行けばなんていう甘い考えもありましてね。将来は学校の先生になりたいな、と。夢だったのですよ。

 学生運動が激しいころでして、大学への夢が挫折。あの学生運動が進路を見定めさせてくれたような気がします。成績もおしりから数えたほうが早く、先生が「どうするんだ」と心配してくだすって。そのときです。「いいんです、僕、落語家になるんです」と、ぺろっと言っちゃった。その場しのぎでしたが、それを言って自分で意思が決まったような気がしますね。人前で何か話すとかパフォーマンスをすることが、自分にとっての夢だったんだなと思いますね。やっぱり潜在的なものというのはあるんだなと後年思いました。

教えて勉強になる日本語教育

――米国で大学生に日本語を教えています、ことしで7年目ですね

 正しい日本語は先生方が教えてくださるので、僕たちのは教材としての落語です。落語を通じて日本語を覚えてほしい。アメリカで、ある女子学生が「師匠、もう一つご質問を申し上げてもよろしいでしょうか」という言葉で接してきた。丁寧語として、ここまで使う必要があるだろうか。私は言いました。「師匠、もう一つお聞きしてよろしいですか」。これでいいんですよと。貴女の使っている言葉は間違いとは言いませんが、そんなに丁寧に使う言葉は、日本語にそうはありませんよ、と。

 授業では落語を聞いていただきます。落語で日本語の短いセンテンスの比喩、表現を分かってほしい。「ばか」という言葉でも、人をばかにしている言葉の「ばか」のほかに愛情を持った「ばか」もある。「お前、ばかだねえ」という言い方ですね。

発想が豊かな外国人学生

――外国人学生が日本語で落語を演じると聞きました

 「あくび指南」という噺を途中で切ってしまい、あとは学生さんに考えてもらう。≪あくびの稽古場で、一緒に来た男はさんざん待たされて、あーあ退屈でならねえや。師匠が感心して、お連れさんのほうがお上手だ≫。

 彼らは既成の「あくび指南」ではないものを考え出す。あくびを教わって「ああ、どうもうまくいかない」。明くる日、船に乗ってぼんやりしているとファーッとあくびが出る。「あっ、きのうはこれでよかったんだ」。あるいはハックショーンとくしゃみをしてしまう。「くしゃみは隣で教えています」と、見事に噺を変えてくる。

 去年すごいなと思ったのが、「ぞろぞろ」という噺。≪はやらない髪床の親方が、ご利益に授かった身近な者をまねて稲荷に祈願後、客が急に群れをなしてやってくる。親方は喜んで一人の客のひげにカミソリをあてると…≫。この後半を変えましょう、と。

 ある奥さんがお稲荷さんに頼む。「子どもがいません、どうぞうちにも授けてください」。見事に妊娠して病院で赤ちゃんが産まれる。次から次へと、ぞろぞろと。こういうのもあります。まんじゅう屋が困っている。この頃はだれも食べてくれない。お稲荷さんに、皆さまに食べていただきたいとお祈りすると翌日から「まんじゅう、くれ」「まんじゅう、くれ」。ご利益でありがたいと思っていた。ひと月くらいしたらお客さまがパタッと来なくなった。おかしいなと町に様子を見に行くと、糖尿病がぞろぞろ。すごい発想です。しかも日本語で作り出すんですから。

外国人が正しい日本語を話す

――驚きましたね

 アメリカでね、学生さんが小咄を覚えた。「こんにちは、このウナギは中国料理ですか、日本料理ですか」「いえ、養殖(洋食)です」。

 それを彼らは正しい日本語でいまのようにやるわけです。外国人が日本人に質問している。これを演じるときは日本人がもつ外国人へのイメージがあって、「ゴメンクダサイ。コノウナギハ、チュウゴクリョウリデスカ、ニホンリョウリデスカ」となる。彼らは正しい日本語を使おうと思うから、「ゴメンクダサイ~」というのは日本語ではない。私たちは外国の方と接するとき「わ・か・り・ま・す・か」とか言いますが、これはダメなんです。ちゃんとした日本語で「わかりますか」と伝えなければいけない。正しい日本語で話さなければ、彼らのためによくない。

 「どうも」と言うだけではいけない。「どうもありがとう」なのか、「どうもすみませんでした」なのか。それを「どうも」だけで片付けてはいけない。勉強になりましたね。11月、幸いにしてパリ(フランス)、プラハ(チェコ)、ブタペスト(ハンガリー)の大学に行きます。ちょっと年を取りすぎましたが、天が与えてくれたライフワークなんだなって思います。皆さんとお勉強を共有できる立場になってきたということは先生の立場なんですよ。ほんの少し先生になるという夢がかなったのか。自分の夢は一回途絶えたけれど、違う道に歩んでいるうちに、小さな望みで持っていた夢が、ひょっとしたら、かなったのかなという感じはします。

柳家 さん喬(やなぎや・さんきょう)さん
本名・稲葉稔=いなば・みのる。1948年8月4日、東京・本所生まれ。63歳。中央大学附属高校卒業後の67年に五代目柳家小さんに入門し、前座名「小稲」。72年11月、二ツ目に昇進して「さん喬」と改名。81年に真打ち。
87年、文化庁芸術祭賞など受賞多数。落語協会常任理事。趣味は日本舞踊、創作料理。演劇鑑賞。実家は東京・本所吾妻橋のキッチンイナバで下町グルメの人気店だ。