「会社の名前は北海道地図株式会社ですけど、地図の美しさと精度は全国レベル。行政地図を任せたら、日本一…いや、それは言い過ぎでも、業界最大手といえる会社です」
デフレ経済の煽りを受け、低迷している北海道は旭川の底冷え経済の中で、世界を見据え、ひときわ頑張っているローカル企業の社長がいた――秋山一司さん、51歳。
昨年、北海道地図株式会社の社長に就任したばかりの本学OBである。
カーナビと共に
北海道地図株式会社の創業は約60年前の1953年。初代社長は当初、測量士として行政機関を相手に道庁や北海道開発局等の役所をまわっていたという。そのうち、青焼き以前のもっと古めかしく正確性に欠ける地図にみすぼらしさを感じ、これを改善したいと思ったところから地図作りが始まった。
その後、土地改良や農地改良があり、高度経済成長やバブル期を経て、地図産業はどんどん大きくなり、カーナビの導入によって会社は大きく売り上げを伸ばしたという。
「日本ではパイオニアが初めてカーナビを導入したんですが、我々はここと組んで地図を作りました。カーナビは、自動車が売れるところでは必ず売れる。我々は香港のカーナビも作りましたが、今後はタイやマレーシア、シンガポールといった東南アジアの地図データの加工も請け負う予定です」
秋山さんは中小企業の長短所を考え、時間と労力のかかる現地調査には手を出さない。商社を間に挟んでデータを獲得し、それを加工して地図を作る。香港は高級車にしかカーナビを載せないので、カーナビはステイタスになるという。富裕層が増えている伸び盛りの国では、まさに穴場産業。それでいて、このノウハウは一朝一夕には得られないところに成功の秘訣がある。
黒子としての会社
秋山さんは自らの会社を「黒子」と称する。自分たちはあくまで地図を利用してビジネスをする会社の黒子である――と。地図データは全国津々浦々、あらゆる企業に提供しているが、社名はほとんど出ないという。
「うちは地図技術・地図製作ノウハウを提供することに徹しているんです。その部分をしっかりとこれからも任せてもらいたい」秋山さんは確信を持って己が会社の生きる道を説く。
「わが社がめざすのは、あくまでもパートナービジネス。スタッフも技術系が多く、営業スタッフは少なめ。自分たちが得意としている地図データを売っていただけるパートナー企業を探しています。そのために見栄えよく精度の高い地図を作り、“地図といえば北海道地図株式会社”――そういう風にいつも連想していただける会社をめざしています」
秋山さんのビジョンは、作っている地図のように正確でつまびらかだ。
全員がレギュラーで試合に臨む
秋山さんは大学入学当初スキークラブに入部したが、1年で辞めたという。本格的なサークルになると、レギュラーにならなければ大会に出場できないからだ。
なんとか全員が出られるものはないか――。そこで秋山さんは同郷の友人と共に、調布に住む中大生を集めて草野球サークルを作ったという。
チーム名は、「調布軍団」。
普通のサークルと異なるところといえば、全員がレギュラーで試合に参加できるということ。対戦相手は京王タクシーの運転手など、社会人が主だったという。
世代を超え、社会人とも交流しながらネットワークを築き、“全員参加”をモットーとする仲間と大学時代を過ごした。この精神は、はからずとも秋山さんの“今”につながる大きな要素になっている。
改善提案制度
草野球チームの発想は現在の会社の「改善提案制度」の中に生きている。秋山さんは簡単な書式の「改善提案」を社員に広めているという。
「複雑な書式だと誰も書かないので、できるだけシンプルなものを気軽に書けるように工夫しているんです。要素は3つだけ。まず標題を書いて、①現状どこに問題があるのか、②それを改善するにはどうしたら良いのか、③どんな結果が得られるか、そのたった3つだけを書いてもらうんです。そのフォーマットで特許技術をあげるような提案をしてもいいよ、と社員には伝えています」
秋山さんの考え方は単純だ。
要するにハードルを低くしなくては母数が集まらない。技術開発なんかを最初から求めては駄目、まずは分母をたくさん増やして、全員参加させることから始めるというのだ。
「集まった提案書は技術や営業の人間によって評価されます。イントラでそれを公開し、本当に使えるものであれば、表彰して賞金を出す改善提案発表会なども行っています」
秋山さんの「草野球チーム」の発想は、“今”も会社で生きている。
For First Call Company
「うちはもともと行政地図が得意だから、震災の時こそ、できることがあるんです。」
3.11の震災から早くも1年以上が経過しているが、当時の衝撃はほとんどの日本人の記憶に新しい。特に震災後の原発騒動は、政府の対応の遅さ、SPEEDIなどの放射能拡散地図が、国内ではなく海外からもたらされるという実態があり、国民の不安を掻き立てた。そんな中で、秋山さんは震災後すぐに、自社ホームページで福島原発を中心とする東北地方放射線量・津波到達マップを公開していたという。
「放射線量・津波がどういう風に拡散していくか、日頃からお付き合いのある大学の専門家の先生にデータを提供してもらって、それをうちが持っている地図にあてはめて作ってみたんです。アクセス数はかなりありました。震災のあった沿岸部の3Dプリンターで作った立体地形模型も無償で行政に提供しました。自分たちで何ができるか。あの時はそういうことを考えていました。計画停電マップなども、震災後すぐに出しました。色分けされているので、多少は参考になったと思いますよ。我々は行政関係や研究機関とお付き合いもあるので、そういう仕事は得意なんです。震災で皆が大変な時だからこそ、いち早く情報を提供したい。こんな時、行政地図を作る仕事というのは、社会貢献そのものなんです」
そう語る秋山さんの会社が掲げる社訓は、“For First Call Company”。
パートナーシップビジネスを大前提にしている会社だからこそ、社会にもっとも近い場所にいて、最初に声をかけてもらえる会社でありたい――そんな想いが根底にある。
「地図で困ったな、と思ったときに、パッと思い浮かべてもらえる身近な会社でありたいですね。そのためには精度と品質をあげて、信頼されることが必須です」
現在技術部隊60名、営業部隊25名、総勢85名の北海道発中小企業は、高邁な精神で今日も世界を相手に地図作りに専念している。