「会社のおカネを使って失敗していいんだから、どんどん失敗しなさい」
野島さんは社員に対していつもそう言っている。
ノジマでは、社長である野島さんのものも含め、失敗は常にオープンにされ、次の仕事の糧となる「よい失敗」例は社内に蓄積されるのだ。そこには、失敗こそが会社の財産であるという野島さんの経営哲学がある。
電気屋は嫌いだった
両親が電気屋を始めたのは、野島さんが小学生の頃だった。商売は順調で、開店から約8年のあいだに三回も店を建替え、ついには地上三階地下一階のビルが竣工した。社員も10名以上となり、年商は一億五千万円になっていた。
けれど野島さんは、電気屋が嫌いだったという。中学生の頃から店を手伝い、アンテナの取り付けなどもやったが、アルバイト代はもらえなかったし、経営をめぐり対立する両親の姿を見ることも辛かった。
小学校の作文には「サラリーマンになりたい」と書いたこともある野島さんだが、その希望は叶えられなかった。会社の経営が上手くいかなくなったのだ。売上は落ち込み、借金もあった。野島さんは仕事を手伝わざるを得ない状況となり、大学を卒業後、有限会社野島電気商会(現・株式会社ノジマ)に入社した。
オーディオが好きだった野島さんは、単品コンポーネントオーディオの売り場を新設することを思い立つ。挑戦は成功をおさめ、5年後には単品コンポの売上が神奈川県でトップクラスとなっていた。野島さんは続いて、オーディオ・ビジュアル・コンピュータの専門店を展開することで他社との差別化を図る。
瀕死の状態にあった会社は見事立ち直り、野島さん入社当時5000万円だった年商は、1989年売上で100億円を突破するまでに成長した。
空白の1年間で得たもの
1991年は、野島さんの人生で忘れられない年となった。順調に売上を伸ばし規模が大きくなった会社でこの年、組織変更が行われ、野島さんは課長から専務となった。役職はあがったが、実際は会社における権限を奪われ『棚上げ』されてしまったのだ。社長である母と、常務として自分の上に立つ弟、その組織変更に賛同した社員。みなに、裏切られた気持ちで一杯だったという。
会社をここまで大きくしたのは自分だという自負もあり、野島さんはふて腐れた。会議にも出席せず、一年に亘り仕事に背を向けた。
一年後、急速に下がる売上に堪りかねた幹部たちに請われ、野島さんは仕事に復帰した。相当な葛藤があったと言うが、野島さんは、社内の混乱を二度と起こさないよう会社運営を見直し、経営の建て直しにとりかかった。
会社に在籍はしていても実際にはいないという「空白の一年間」だったが、社内では体験できない時間を過ごし、多くの時間を読書や思索に費やした充実した時だったと野島さんは振り替える。
それまで、不遇で不運だとばかり思っていた自分の人生を、いつしか「苦しいことがあればあるほど、それを克服したときの達成感は大きい」と肯定的に捉えるようになっていた。
失敗のすすめ
復帰後、社長となった野島さんは売上高1000億円を夢見て突っ走った。企業規模拡大の為、白物家電の販売会社など9社の子会社を設立したが、これは失敗に終わり、9社のうち8社は解散、損失額は20億円ほどにのぼった。子会社の責任者たちがノジマの成功哲学を実践しなくなったことが原因だった。
「おカネや地位のために仕事をするな。お客さまに喜ばれることをせよ」
野島さんが教えてきた、ただ一つのことを、子会社の責任者たちは忘れ利益ばかりを追いかけるようになっていたのだ。外部から招いた経営者だけでなく、社内の生え抜きの管理職までもがそうであったことに、野島さんは愕然とした。
精魂込めて育てたつもりでも、自分の教えは何一つ伝わっていなかった。
自分のしてきたことは無駄だったのか。自問自答の中で野島さんは、「本当に大切なことは教えるのではなく、自分で気づくしかない。」という答にたどり着いたと言う。
納得するまで気づかせるには、本人が実際にやってみて、失敗を重ね、痛い思いをしなければならない。
それこそが「失敗のすすめ」の原点だった。
デジタル一番星を目指して
地上デジタル放送移行が終了(東北3県を除く)し、2011年11月には薄型テレビの販売金額が前年同月比の9割減となるなど、家電販売市場には逆風が吹き始めた。海外メーカー参入による単価ダウンも収まらない。
苛烈な低価格競争の中、ノジマは中堅ならではの機動力と独自戦略で、大手家電量販店との違いを打ち出している。郊外の単独店、ショッピングセンター内の店舗、駅ビルへの出店など、店にはチェーンストアにはない個性がある。
店舗を出している地域の人に喜ばれ、電気製品を購入するときはノジマに行こうと思ってもらうことが、野島さんの目標だ。
発光ダイオード(LED)の取り扱いを先行するなど、優れた技術の物を多く紹介する。安さだけをアピールするのではなく、来店者のニーズを汲み取り、各メーカーの製品を比較して要望にあったものを提案する。
野島さんが目指すものは「デジタル一番星」だ。夕暮れの空に真っ先に見える星のように、デジタル関連の商品・サービスに関しては常に先頭をきっていたいと思っている。