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木村 清

木村 清 【略歴

日本のすし文化を世界に広げていきたい

木村 清さん/「すしざんまい」チェーン喜代村社長

 2012年1月5日、東京築地の初競りで、青森県大間産のクロマグロが一匹5649万円という史上最高値で競り落とされたというニュースは記憶に新しい。「ご祝儀価格」でもある初競りでは高値がつくものではあるが、それにしてもキロあたり21万円、度肝を抜く価格だった。

 競り落としたのは、寿司チェーン店「すしざんまい」を展開する「つきじ喜代村」社長の木村清さんだ。

 このところ3年連続で最高値をつけ落札している香港の業者と、共同購入している東京銀座の老舗高級寿司店を相手に回し、一歩も引かなかった木村さんの胸には「東日本大震災もあり、今回は日本勢ががんばらないといけない」との熱い想いがあった。

本気のエネルギーが生み出すアイデアの数々

 15歳で航空自衛隊に入隊した木村さんの夢は戦闘機パイロットになることだった。しかし、事故で目を悪くして操縦士の道を閉ざされてしまう。絶望の中で一転、最難関である司法試験合格を目指して、中央大学法学部通信教育課程に進んだ。すさまじい勉強ぶりで、2年で択一式試験まで合格したが、学資が続かず、第二の挑戦も断念せざるを得なかった。

 百科事典セールスのアルバイトなどを経て、大学在学中に大洋漁業(現・マルハニチロホールディングス)の関連会社に入社した木村さんは、「仕事の方がおもしろくなってしまった」為、本格的に水産の道へと進むこととなる。

 操縦士、司法試験とは畑違いの道のように見えるが、土台には「仕事をするうえで大事なのは心を込めてやる、一生懸命やることだと思っている」という心構えがあった。

 本気のエネルギーからは次々とアイデアが生み出され、実行に移された。

  たとえば、その頃捨てられるばかりだった小さな切り身を寿司ネタにすることを思いつく。カットした切り身として回転寿司屋に売り込むと、これが当たった。

 ビアガーデンに売っていた冷凍枝豆が夏を過ぎると売れなくなると知れば、屋内ビアガーデンを作りストーブもつけた。枝豆は冬も売れるようになった。

 「どうしたら売れるか、どうしたら人が喜ぶか」木村さんは常に、そのことを考えていた。

 1979年には早くも独立して、木村商店を創業。思いついたことは全て実行してみる精神で、経験した業種業態は90以上にのぼった。

 食材開発、温かい弁当屋、コンビニ、カラオケ、レンタルビデオなど、誰も手を染めていない時代に、木村さんは溢れ出すアイデアと抜群の行動力で、「あらゆること」をやったという。

24時間年中無休のすし屋誕生

 そんな木村さんも、一度事業を辞めようと思ったことがある。バブルがはじけた金融危機のさなか、銀行が数千万円の借入金の一括返済を求めてきたのだ。返済を滞らせたことは一度もない、長い付き合いのあった銀行からの仕打ちに、怒りよりも空しさを感じた。会社を整理して事業から撤退しようとさえ考えたという。

 しかし止めるなという周囲の声に踏みとどまり、小さな一軒の寿司屋を作った。後の「すしざんまい」の原型となる「喜よ寿司」の誕生だった。回転寿司より高品質、一般の寿司屋よりも低価格で明朗会計の「喜よ寿司」は瞬く間に行列のできる人気店となった。

 その成功に目をつけたのが築地の関係者たちだった。当時、買い物客が減る一方で勢いが衰えていた築地に「人を集めてほしい」、「華やかさと力を取り戻して欲しい」と頼まれ、木村さんは立ち上がった。

 木村さんは、ここでも誰もやっていなかったこと、寿司屋の24時間年中無休営業を思いつく。新鮮なネタをいつでも供給できるルートは既に持っていた。長く水産業界に身を置き、世界を歩いてマグロを知り尽くし、独自の流通システムを自分自身で開発してきたからこそ、可能になったことだった。

 また、出店は売上計画に合わせてではなく、従業員が揃ったところで出す方針で、人材育成にも力を入れている。そのために、職人を育成する塾も作ったという。素人に2日目から寿司を握らせ、2年で一人前の寿司職人に育て上げるのだ。

 2001年「すしざんまい 本店」オープンにあたり、木村さんは3つのコンセプトを掲げた。(1)入りやすさ、(2)食べやすさ、(3)高い質の接客だ。

 『ネタよし、味よし、値段よし』の「すしざんまい」は大成功を収め、次々と店舗を増やしている。2017年には店舗数302強、売上高1000億円超を見据えているという。

おいしいものはみんなでわけあう幸せ

  怒涛の勢いでチェーン展開しながらも、木村さんの胸には常に「採算」より大切な、「おいしいものはみんなでわかちあう」気持ちがある。

 初競りで競り落とした5649万円のマグロもそうだ。

 店に出すには、赤身で1万円、中トロで1万5000~2万円、大トロで2万~3万円にしないと元は取れない。だが木村さんは、「最高のマグロを皆さんに食べてもらいたい」と、赤字覚悟の通常価格で提供した。

 去る1月14日には、中央大学駿河台記念館で行われた『白門の集い-東日本大震災の復興を祈願し-』で、被災学生やOBに寿司1,300食を無料で振舞った。

 また被災地には8度にわたって足を運び、無料で寿司を配布するなど支援を続けているという。

 「山・海・川といった自然の中で、大地の実りや海の幸に恵まれ、生きいきと過ごせる――そんな理想郷を「喜代村」と名づけた。おいしい食の提供を通して、豊かな地域社会づくりに貢献したいと思っている」

 屋号「喜代村」には、木村さんの夢が込められている。

 そして今日も「喜代村」には、“おいしいもの”と“幸福”のお裾分けを求め、たくさんの人が集う。

木村 清(きむら・きよし)さん
1952年、千葉県生まれ。パイロットを志望し15歳で自衛隊に入隊するが、事故で目を患い断念。中央大学法学部で学び、その後、水産会社などを経て独立。1979年に「喜代村」を創業し、多くの事業を立ち上げる。2001年に「すしざんまい」本店をオープン。現在は水産食品事業をメインに、寿司店、鮮魚店を直営する。一方、寿司職人を育成する塾を運営するなど人材開発にも力を入れている。