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熊坂 隆光

熊坂 隆光 【略歴

新聞業界40年 メディアの舞台裏

熊坂 隆光さん/産経新聞社代表取締役社長

 10月29日、駿河台記念館で開かれた評議員会で、本学OBで産経新聞社代表取締役社長の熊坂隆光さんに、「新聞業界40年 メディアの舞台裏」と題してご講演いただいた。熊坂さんは、マスコミを志望したきっかけや報道現場の裏話、新聞の現状と未来などについて語った。今回の「人-かお」は、熊坂さんの発言を引きながら、講演内容を紹介する。

時代の風潮に反発、マスコミへ

 熊坂さんが中央大学法学部を卒業されたのは、40年前の昭和46年(1971年)。ちょうど時代は「70年安保」の混乱期だった。学生が「学費値上げ反対闘争」として大学一帯で学生運動をしていたが、熊坂さんの目には、「学生運動」というより「政治運動」と映ったと振り返る。大学では結局、学期末試験も学年末試験もほとんど経験することなく卒業を迎えた。

 「当時はファッションとしての左翼思想、ファッションとしてのリベラルな動きに疑問を持っていました。時代の大勢に流された、ポピュリズムと呼ぶべきような動きに反発したのかも知れません。マスコミを志願したのも、この時代の風潮について『何かがおかしいのでは?』という思いを抱いたのがきっかけ。ニュースの現場にいれば、本当のことがわかると思ったのです。今は経営陣の一角ですが、心はいつも新聞記者のつもりです」

 卒業の年に産経新聞社に入社した熊坂さん。やがて政治記者として永田町を駆け巡り、特派員としてワシントンでも活躍した。今は社長として企業経営の手綱を握る立場だが、70年安保での経験が、新聞の仕事の原点であることに変わりはないようだ。

「なりちゅう原稿」にだまされるな

 「新聞記者なのだから、なんでも知っているだろう」。そんなふうに思われるのが一番困ると打ち明ける。多彩な分野の記者を擁する新聞社といえども、日々の紙面づくりで、記者が苦しまぎれに専門外のニュースを書かざるを得ないことがあるという。そこで活躍するのが、原稿の最後を「成り行きが注目される」と結ぶ、「なりちゅう原稿」なのだそうだ。

 例えば大事件が起きた時、その分野の担当記者が偶然不在でも、デスク(紙面内容を決めるベテラン記者)は当日の紙面向けに記事を用意しなければならない。そこでデスクは、専門外の記者に「ちょっと、なりちゅう原稿を書いてくれ」と注文することになる。

 なりちゅう原稿には多彩なバージョンがあり、突発事態で先行きが予測できないなら、「事態は思わぬ展開になった」という表現が記事に盛り込まれる。解決に時間がかかりそうであれば、「予断を許さない情勢だ」と書き、問題が多方面に影響するとなれば、「投げかけた波紋は大きい」となる。「なんでも知っている」わけではない記者が、本来はニュースの背景や分析を交えて執筆しなければならないところ、こうした常套句で逃げつつ冷や汗をかきながら書き上げる記事を、「なりちゅう原稿」と呼ぶのだ。さらに、「関心はいやがうえにも高まってきたと付け加えると、もう、これだけで立派な原稿ができてしまう」と熊坂さんは笑う。

 テレビも事情は同じだ。急に現場中継をすることになった駆け出し記者に便利な表現は、「はい、こちら事件現場です。事態は思わぬ展開になって、予断を許さぬ情勢となっております。投げかけた波紋は大きく、関心はいやがうえにも高まっております。今後の成り行きが注目されるところです」というもの。確かにどこかで耳にしたようなフレーズだ。

 ここで熊坂さんが強調するのは、「新聞やテレビがこういう常套句を使って報じているときは、『これは何かおかしいぞ』と疑ってかかる必要がある」ということ。「なりちゅう原稿」は今や、記者が自戒を込めて使う表現だが、マスコミの内側から発せられる「賢い視聴者(読者)たれ」というメッセージは、とても納得がいく、身にしみる話である。

 「これだけたくさんの種類のメディアが存在し、いろいろなニュース報道があふれる中で、何が正しいのか、本物は何かを是非、見極めていただきたいと思います」

不振にあえぐ新聞業界

 新聞業界を「斜陽産業」だという人もいる。欧米では新聞社の倒産が相次いだ。熊坂さんが社長に就任したときも、尊敬する先輩から「グーテンベルクが活字を発明して以来の大変な時期によく社長になったな」と言われたそうだ。

 新聞社は今、厳しい逆風にさらされているのは確かだ。その原因は三つあると、熊坂さんは語る。一つは新聞の部数そのものの減少。二つ目は広告収入の減少。三つ目は新聞業界の構造的問題。部数と広告は理解しやすいが、三点目の「構造的問題」とは何だろう。

 製造業なら海外に工場を移す対策が可能だが、電力、鉄道会社や新聞社は、事業の性質上、海外進出に壁がある。新聞の場合、印刷には資金を要する工場が必要だし、新聞を宅配する仕組みは合理化しにくい。こうした事業構造が新聞経営を困難にしているという。

 しかし熊坂さんは、「新聞社にはまだまだ生き残る道がある」と強調する。産経新聞社は小回りのきく新聞社を目指しており、会社の規模をひたすら追求する「大艦巨砲主義」は念頭にないという。新聞社であるという既成概念を前提とせず、「できることがあれば、儲かることがあれば、何でもやろうじゃないか」という姿勢だ。

 その一例に、発行媒体の多様性があげられる。一般的な新聞社は、発行する新聞は一種類だが、産経新聞社は『産経新聞』のほかに、『サンケイスポーツ』というスポーツ紙、『夕刊フジ』や『フジサンケイビジネスアイ』というタブロイド紙、さらにはネット時代の若者向けに、写真や短い記事を多く掲載した横書きの新聞『SANKEI EXPRESS(サンケイエクスプレス)』を発行。発行媒体数は他の新聞社と比べて群を抜いている。

変わらぬ記者の「足」の取材

 それでも熊坂さんが、自信をもって「生き残っていける」という背景には、インターネット時代となっても、結局は生身の人間が動かなければ、「ニュースが流れない」という事実がある。「ネット時代に新聞は不要」と言い切る若者もいるが、ではネットに流すニュースを誰が作るのか。パソコンが人の話をまとめて記事を仕上げてくれるはずもない。ニュースを書くのは結局、記者に他ならない。取材を受けてくれる確証がなくても、手間を惜しまず取材先に足を運び、そうして書かかれた「特ダネ」が、紙の新聞でも、ネット上でも、たくさんの人に読まれる。人間のアナログな作業こそが、デジタルを支えているのだ。

 インタビュー記事を書く際、時間がなく、やむを得ずEメールで質疑応答をやりとりして取材を済ませてしまう場合があるそうだ。しかし、Eメールで取材したインタビューは、ベテラン記者が見ればすぐにわかってしまうという。「取材相手が質問に顔色を変えたとか、頬の筋肉がわずかに動いたとか、そういう反応を見て次の質問を変える真剣勝負を経て書かれたインタビュー記事」(熊坂さん)は、やはり本質に迫る原稿に仕上がるそうだ。

 「だから社員には普段から重ね重ね、こう伝えています。『我々はデジタルの最先端を行く技術革新に取り組んではいるが、その根底には徹底したアナログの努力の積み重ねが必要なのだ』と。記者や営業、販売の担当者が自分の足で取材先や取引先へ行き、実際に顔を合わせて人間関係を築くことの重要性を、繰り返し述べているのです」

  熊坂さんは時に熱を込めながら語り、一時間あまりの講演をこう締めくくった。

 「新聞業界がこれからどうなるか。『今後の成り行きが注目されます』と申し上げて、結びにしたいと思います。ありがとうございました」

  来場者は思わず頬を緩め、会場は拍手に包まれた。講演は新聞への不安を一掃してしまうほど力強く、興味深いものであった。本稿も今回ばかりは、「講演が聴衆に投げかけた波紋は大きく、新聞界への関心はいやがうえにも高まった」と結んでみたい。

熊坂 隆光(くまさか・たかみつ)さん
神奈川県出身、中央大学法学部卒。昭和46年(1971年)、産経新聞社入社。ワシントン支局長、政治部長、東京本社編集局長、日本工業新聞社代表取締役社長、産経新聞社専務取締役大阪代表・大阪関連会社担当を歴任し、平成23年6月から現職。62歳。