1982年、中央大学法学部卒業の三遊亭竜楽師匠は、85年5代目三遊亭円楽に入門、93年真打昇進した期待の実力派落語家であり、独演会を重ねる傍ら、「笑い」をテーマに様々な講演を行っている。一般向けには『笑いとコミュニケーション』、企業向けには『経営に役立つ面白落語講座』など、円滑な人間関係を築くための手段として「笑い」を追求する竜楽師匠は、まさに笑いの指南者である。
呼吸のように自然に笑い、可笑しさは苦もなく生まれるのだろうか。だが竜楽師匠の笑いは天性のものではなかった。
自分の中にない笑いをもとめて
竜楽師匠が落語家になろうと三遊亭円楽に入門したのは27歳の時だった。中央大学法学部を卒業後、弁護士を目指し司法試験を受験したが、自分には向いていないと自覚した。基本的に法律が好きではなかったのだ。
だがその意味では、落語についても向いているとは言い難いのかも知れない。なぜなら、竜楽師匠はそもそも人前で話すことが大嫌いだったからだ。むしろ人前で話すことは苦手の域を超え衆人恐怖症と言っても良い程で、大学では研究発表が嫌でゼミを辞めてしまったくらい。自身が笑いに縁があるとも思えなかったそうだ。
27歳という年齢もさることながら、あまりに向いていない分野ではと、周囲がその選択に腰を抜かすほど驚いたというのも無理はないと、当時を振り返る。
葛藤の末、それでも落語に魅せられ入門を決意した竜楽師匠は、遅いスタートの焦りもあって、連日夜中まで懸命に稽古した。だが、竜楽師匠の落語はウケなかった。「フラ」と言われる、その人が持って生まれた面白さの雰囲気が竜楽師匠にはなかったのだ。
それならば描写の芸で勝負をしようと、登場人物を巧みに演じることに力を入れようとすると、さらに表情は固くなった。「面白くない」「お前のは落語じゃない」兄弟子たちから投げつけられる言葉に、憂鬱と不安に押しつぶされそうな日々が続いたという。
立ち直るきっかけとなったのは、東京と大阪で活動する若手落語家が交互に催す東西交流会だった。知人もいない大阪で関西弁に囲まれれば心細く、東京の芸風は嫌われるに違いないと、考えるのは悪いことばかり。だがマイナス100パーセントのその気持ちが、お客様の反応を気にせず自分の落語をやるだけだという、開き直った強さにつながった。すると客席から、笑いが生まれた。いつしか竜楽師匠は、楽しんで落語を演じている自分に気づいたという。
その後も、即興である「なぞかけ」に苦手意識を持ち半ば恐怖症に陥ったり、女性の色気を表現できず「女」を演じるに試行錯誤したり、竜楽師匠は落語家として幾つもの壁にぶつかるが、それもまた生真面目ゆえの、頭脳派ゆえの、人となりを感じさせる。
自分の中にない笑いをもとめて苦しんだ竜楽師匠を支えたものは、円楽師匠の言葉だったという。
「お前みたいなタイプの方がいろんな噺ができるんだよ。フラに頼った人は大成しないことが多いんだ」
苦心して、コツコツと作り上げた自分ならではの笑いが、竜楽師匠の力となっている。
世界を巡る落語の伝道師
竜楽師匠は平成20年から、欧州で字幕・通訳無しの現地語口演を始めた。6ヶ国語を駆使する語学の天才か! と思うが、竜楽師匠はその国の言語が日常会話として話せるわけではない。外国語は落語限定。それでも寄席と変わらぬ笑いがはじけるそうだ
竜楽師匠が世界へ飛び出した理由は何か?
古典落語が生まれてから二、三百年ともなれば、生活様式の変化や日本語そのものの変化によって、伝わらない、わからない部分が生まれてきてしまうのはいたしかたないことだ。とりわけ世代間の意識の差が広がり、10代20代になってくると、「火鉢」も「長屋」も「縁側」も知らないことが珍しくない。
共通認識が持てない。竜楽師匠はむしろそのことを逆手に取った。ここまで共通認識が持てないなら、反対に、世界に広げても良いのではないかと。
海外で落語をやるときに、事前に説明することは多くはない。「扉」とは違う、「戸」の開け方と閉め方を理解してもらえれば、それで伝わる噺もある。字幕を使う落語家の海外公演は多いが、わずかな首の動きで人物が変わる落語の魅力を伝えるには、その土地の言葉が不可欠と竜楽師匠は考え、現地語口演にこだわっている。フランスで、イタリアで、ドイツで、人々の間に飛び込んで、国や地域による笑いの共通点と違いを楽しみながら、世界に日本の話芸を伝えるべく奮闘中だ。
竜楽師匠は、海外で落語をやることは、日本で10代から20代の人の前で落語をやるのと、ほぼ同感覚の部分があると言う。それは同時に、日本の若い人たちが、海外の人たちと同じほど、生まれ育った環境も、言葉も、習慣も違う、近くて遠い存在であることを意味する。
言語能力の欠如とあわせて、コミュニケーション能力、とりわけ受け止める力の低下も危惧される。
もちろん笑いのプロとして、嘆くばかりではいられない。伝わりにくいものを、伝えてみせる。海外での活動から得たものをフィードバックして、日本の若い人たちにも、落語に縁遠い人たちにも、古典落語ならではの「言葉の妙味」を伝えていきたい。竜楽師匠は「えいやっ」とばかりに気合を入れて高座に向かう。