Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>人―かお>流れるままに~LET IT BOO!!

人―かお一覧

高木ブー

高木ブー 【略歴

流れるままに~LET IT BOO!!

高木ブーさん/コメディアン・ミュージシャン

 経済学部卒業の高木ブーさんは、「ザ・ドリフターズ」での活動を代表としたコメディアンとしての顔とともに、ミュージシャンとしての顔を持つ。

 ドリフターズのメンバー、仲本工事さん、加藤茶さんと共に結成した「こぶ茶バンド」では全国各地で、笑いを織り込んだライブやディナーショーを行い、「高木ブーとニュー・ハロナ」では、ライフ・ワークであるハワイアンの音楽活動に力を入れている。

ウクレレのブーさん

 高木さんが手にする楽器はウクレレ。ギターに良く似た小型の弦楽器は、ふっくらした高木さんの手の中では、何ともかわいらしく歌い、「演奏」することに躊躇していた多くの人々が、楽器を手にし、音楽と触れあうきっかけになっている。

 そんな高木さんとウクレレの出会いは中学3年生の時、お兄さんからの誕生日プレゼントだった。教則本も、教えてくれる人もない中、高木さんは数ヵ月後、夏祭りのステージでバンドデビューしてしまう。そしてウクレレの虜になってしまった。ウクレレ一色の高校生活を経て、中央大学在学中は、ハワイアンバンド「ルナ・ハワイアン」のメンバーとして活躍。アルバイトのバンド活動も順調で、大学卒業前にプロのミュージシャンになることを決意した高木さんは、東京ガスの内定を蹴り、卒業と同時に「高木智之とハロナ・セレナーダス」を結成、プロ活動を始める。

第5の男「高木ブー」誕生

 ハワイアンからジャズ・コーラス、そしてエレキサウンドへと、様々なバンドを渡り歩き、手にする楽器も、ドラム、バンジョー、エレキギターなどに変わっていった。試行錯誤と言うほど堅苦しくなく、あまり肩に力を入れないで流れていく高木さんの目の前に現れたのが、「ザ・ドリフターズ」のいかりや長介さんだった。

 1964年、高木さんがメンバーになった当初、ドリフターズはコミック的要素を取り入れたロカビリーバンドだった。各人が楽器を手にし、その実力は、ザ・ビートルズ日本公演の前座を務めたほどであった。

 後には視聴率50パーセントをたたき出すまでになった『8時だヨ! 全員集合』がスタートし、ドリフターズは快進撃を続ける。バンドとしてのドリフターズは事実上活動停止、高木さんも楽器を手放し、コミカルな脇役としてカラーを確立する。演じるのはチームのお荷物的存在。

 バンドマン時代、高木さんはリーダーやメインボーカルとしてステージの中央に立つことが多かった。だがドリフターズのステージでは一番隅っこに立つようになる。その立ち位置を、高木さんは誇りを持ってこう表現する。

 自分はドリフターズの中では5番目の男。どこにでもいる、普通の人。でも、いなくてもいいわけじゃない。「高木ブーという位置」にこそ意味があるのだと。

ハワイアンとの再会

 怪物番組『8時だヨ! 全員集合』終了と共に単独での活動を始めた時、高木さんは50歳を過ぎていた。がむしゃらに働き続けた30代、40代を経て、これからは自分のペースでやりたいことをやろう、家族との時間も大切にしよう。そんな風に思っていた時、高木さんはハワイアンと再会する。ビール会社の音楽イベントで歌ったことをきっかけに、音楽活動を再開し、かつての仲間たちを中心に、「高木ブーとニュー・ハロナ」を結成する。

 ウクレレ講師としてのテレビ出演、ライブ活動、「モーニング娘。」とのコラボレーション、ソロアルバムのリリース、麻布十番にハワイアンバー「ブーズバー・ハロナ」をオープン(2006年7月まで)、高木さんの活動と、バブル崩壊後という時代背景もあり、多くの人が「ウクレレ」という楽器を再発見した。

 若い世代にハワイアンミュージックを伝えていきたい。

 高木さんの想いは海を越え、ハワイにも伝わった。カメハメハ大王の直系の子孫であるルビライト・カウエナ・ジョンソン氏から、ハワイ文化の普及に対する貢献を評価され、ハワイ語でハワイアンネームを授かったのだ。「ホアコクア」というその名には、ハワイ語で「友達を助け支えになる。精霊を分け与える」という意味があるそうだ。

No Rain,No Rainbow

 雨が降らなければ、虹も出ない。高木さんが好きな言葉だ。

 人生の多くの変化の中で、高木さんは、あまりキリキリと頑張らない。流れるままに、多くを望まず、今置かれている境遇に満足を感じている。

 高木さんは「人生は運と実力とチャンス」と言う。3つの要素があわさって初めて道が開けるのであって、才能があっても実力があっても、うまく行かない時もある。

 大切なのは、くさらず、気持ちにゆとりを持つこと。そして何よりも、流れがきた時に最大限の努力をすることだ。

 高木ブーさんは78歳、まだまだ現役だ。こんな時代だからこそ、あたたかい音楽を奏でたい。背伸びをせず、これからも自分のペースで歩き続けようと思っている。雨あがりの虹を夢見て。

高木ブー(たかぎ・ぶー)さん
1933年、6人兄弟の末っ子として、東京都巣鴨に生まれる。中学校3年のとき、兄から贈られたことがきっかけでウクレレに熱中。中央大学経済学部在学中は、「ルナ・ハワイアン」に所属し、音楽三昧の学生生活を過ごす。その後プロのミュージシャンとして活躍中、いかりや長介にスカウトされ「ザ・ドリフターズ」に参加。1966年には、ビートルズ日本公演で前座を務めた。天井知らずの人気を誇った『8時だヨ!全員集合』終了後は、単独での活動を始める。ウクレレ奏者としての活動が盛んで、ライブ活動と共に、通信講座「高木ブーの楽しいウクレレ」の講師も務めている。本名は、中央大学第21代総長と同姓同名の高木友之助であり、このことをきっかけに、両者の間に親交が生まれた。