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島袋 洋奨

島袋 洋奨 【略歴

初の春季リーグ戦で新人賞受賞。プロ視野に、まずは体力づくり

島袋 洋奨さん/中央大学硬式野球部(商学部1年)

 東都大学野球春季リーグ戦で、栄えある新人賞を受賞した。成績は5試合に登板して1勝3敗、防御率0・99。リーグ2位の防御率で、東都を代表する藤岡貴裕投手(東洋大学4年)、東浜巨投手(亜細亜大学3年)を上回った。ルーキーとしては立派な戦績だ。

「もうちょっと勝ちたかった」

 だが、「正直もうちょっと勝ちたかったです。勝てる試合を負けてしまったのが、すごく悔しい。防御率が低いのは、他の投手より登板回数が少ないからで、自分が新人賞をもらっていいの?と思いました」と表情は今ひとつ晴れない。

 周囲の期待度は高い。高校時代の昨年(2010年)、興南高校(沖縄)のエースとして、史上6校目となる甲子園春夏連覇の偉業を達成した「甲子園のスター」だからだ。甲子園で11勝、130奪三振の記録を残し、鳴り物入りで中央大学に入学し、硬式野球部寮に入寮した2月2日以来、マスコミからもその一挙手一投足が注目されている。だが、大学初勝利までの道のりは決して平坦ではなく、また長かった。

開幕戦で無念の黒星デビュー

 4月5日対駒澤大学戦で、新人としては高橋善正監督以来、48年ぶりとなる開幕試合のマウンドに立った。2日前に高橋監督から初登板を告げられ、「試合の流れをつくりたい」と挑んだが、結果は5安打4失点(自責1)で4回に降板し、無念の黒星デビューとなった。その後も開幕戦を含め、先発して3連敗。4月21日の3度目の登板では、9回2死まで無失点と好投したが、同点打を許して、土壇場で初勝利を逸した。

 負けず嫌いだけに、「大学デビュー戦で負けたときは相当落ち込みました」という。強く感じたのが、高校野球とは全く違う大学野球のパワーだった。「高校の金属バットが大学では木製バットになって、そんなに飛ばないと思っていたけど、違いました。高校では三振がとれていたコースがファウルにされたり、打たれてしまった」といきなり課題を突き付けられた。

落ち込み、先輩がアドバイス

 開幕戦の試合前、寮で同部屋の副主将、西銘生悟選手(法学部3年)から、こうアドバイスを受けた。「お前は絶対打たれるから覚悟しておけよ。高校生で凄いって言われた選手でも、大学にくると最初は必ず打たれる。そこからみんな這い上がっていくんだ」。

 黒星デビューとなり、落ち込んでいるとき西銘選手から、またこう言われ、励まされた。「言っただろ。でも、ここから気持ちを切り替えることが大切だ。試合は続くんだから、気持ちを切り替えていこう」。2008年春の甲子園で優勝した沖縄尚学高校の主将だった沖縄の先輩、西銘選手の言葉は重く響いた。

 沖縄の家族からの電話にも支えられながら、連敗の中を苦しみ抜き、待望の初勝利を手にしたのは5月13日の対亜細亜大学戦。2008年春の甲子園の優勝投手(沖縄尚学高校)の東浜投手との投げ合いとなったこの試合で、1対0と1点リードで9回を迎えた島袋投手は1死後連打されてランナー1、2塁のピンチに立たされた。島袋投手の頭を「ここで打たれたら、あの時と同じで同点に追いつかれてしまう」と嫌な予感がよぎった。

苦しみ抜いて得た初勝利

 いたたまれずにマウンドに歩み寄った高橋監督は、島袋投手に「今日の試合の勝ち負けはお前で決めるから、延長戦になっても代えるつもりはない。だから思い切っていけ」と叱咤した。これが功を奏し、続く打者を二者連続三振に打ち取った島袋投手は、ようやく大学初勝利を手にした。

 「勝ててほっとした。正直焦っていたのですごく嬉しかった」と素直に喜びを表す。マスコミ各社のインタビューを受け、大分時間が経って神宮球場を出てきた島袋投手をバス車内で待ち受けたチームメイトから、「お疲れ」「ナイスピッチング」と祝福の言葉が飛んだ。「本当にありがたかったです。ウイニングボールは、とっておいてくれた西銘さんからもらいました」。

 大学初勝利の記念のウイニングボールを寮の自室にしばらく置いていた島袋投手は、「大切なので、無くなったら困る」と6月初めに3ヶ月ぶりに沖縄に帰った際に持ち帰り、生涯の記念として実家に大事に保管した。

高橋監督の下で、と中大進学

 「高校球界のエース」だった島袋投手が、いろいろ選択肢がある進路の中から中央大学への進学を決めたのは、「実力の東都大学リーグで試合をやりたかった。その中でも投手としてプロ野球で活躍され、投手コーチも長くやられた高橋監督のもとで、技術的な面を伸ばしていきたかった」からだ。

 独特の左腕からのトルネード投法は、「小学校のときの監督に『お尻からぶつけていけ』と言われた」のがはじまりだった。高校2年で甲子園に出場し、周囲から「トルネードだ」と言われるようになり、それから意識するようになった。

 「僕の投げ方はちょっと変わっているので、体が開いたり傾いたりしちゃうんです」と自己分析する。「コントロールのことしか言われない」という高橋監督からは、「(体がブレないように)1本のまっすぐな軸を持って投げろ」と指導されているという。

高校で培った『和知魂』

 島袋投手の育成について高橋監督は、4年計画で考えており、高校時代の恩師である沖縄・興南高校の我喜屋優監督からも、「1年で活躍しようと思うな。4年あるんだから焦らず、4年間で成長してこい」と言って送り出された。

 「高校3年間で考え方が相当変わりました」と言う島袋投手は、教育者としても知られる我喜屋監督から野球の技術的な面だけではなく、人間性についても教えられた。興南高校の中庭には、『和知魂』(コンチワ)の碑がある。「魂を込め、知識を広げ、仲間たちの和、チームワークを大切にする」という教えだ。

 とくに我喜屋監督からは「5感を活性化させて、第6感をつくれ」と言われ続け、「人生のスコアボード」を掲げて人間力を高めることでも教えを受けた。

 興南高校野球部は「朝の散歩」を日課にしており、散歩が終わると恒例の「1分間スピーチ」がある。

 監督から誰が指名されるか分からないので、選手たちは散歩中にスピーチに備え、道端に咲く花を触ったり、匂いを嗅いだり、音を聞いたりと5感を活性化させる。一見、野球と関係ないようだが、島袋投手はこう言う。

 「小さなことにも目を向けることで第6感が働き、大きなことにも気付くことができると教わっていました。試合でも相手のねらいに気付けるようになるんです」

下半身を鍛えて、体力づくり

 島袋投手は身長173センチ、体重71キロで自己最速148キロ。目指すプロ野球で、憧れの選手は「ヤクルトの石川雅規投手です」ときっぱり。「石川さんは体が小さい(身長167センチ)からというのでなく、球が速く、インコースをつかってピッチングを組み立てているところが尊敬している」と理由も明確だ。

 大学に入ってからは、体づくりに力を入れている。特に下半身を鍛えるため、自主的にウエイトトレーニングを取り入れている。「高校と一番違うのは自主的に練習をしなければならないことです。手を抜いたら落ちて行くだけなので、勝つための練習を自分でやっています」と自己管理は怠りない。

 今年1年の目標に「1シーズンをしっかり投げる」ことを掲げ、そのために「体をつくり、変化球できちんとストライクがとれるようにしていきたい」と自らに課題を課している。

 「東京は人が多いし、みんな急いでいて……。沖縄がいいです。海がきれいだし、住みやすいし、人が助け合っている感じがすごく好き」。沖縄の話になると、自然に人懐っこい笑顔が浮かぶ。そこには故郷を思うルーキーのさわやかさがあった。

Hakumonちゅうおう2011夏季号 学生記者:宮寺理子(法学部2年)

島袋 洋奨(しまぶくろ・ようすけ)さん
1992年生まれ、沖縄県宜野湾市出身。興南高校出身。高校時代は野球部に所属し、沖縄県勢初の夏の甲子園優勝、全国史上6校目となる甲子園春夏連覇を導いた投手。2011年4月中央大学商学部に進学。中央大学硬式野球部に入部し、1年生の春から開幕投手に抜擢。同年5月13日の亜細亜大学との試合では、同じ沖縄県出身の東浜巨と投手戦になり、1-0で完封勝ち、リーグ戦初白星を手にした。