Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>人―かお>名刺代わりに和紙の千社札。江戸情緒あふれる「松しん」ワールド

人―かお一覧

松沼 茂

松沼 茂 【略歴

名刺代わりに和紙の千社札。江戸情緒あふれる「松しん」ワールド

松沼 茂さん/株式会社 松しん 社長

 和紙工芸品、民芸品の卸・小売店『松しん』は、東京・文京区の中央大学後楽園キャンパスの近くにあった。店内は、昔から正月の遊びには欠かせない、いろはかるたや福笑い、すごろく、それに江戸歳時記暦や江戸玩具、名入り提灯などが棚いっぱいに並び、江戸情緒であふれている。

 出迎えてくださった松沼茂さんは、昭和42年経済学部卒で、白く立派な髭がよくお似合いの68歳。

 初対面のあいさつで、松沼さんは名刺とともに、和紙製の千社札を2枚くださった。江戸文字で、一枚は『ほん郷松沼』、もう一枚には『江戸本郷 創作工芸 松しん』とある。江戸時代に、江戸っ子が千社札を名刺代わりに利用し、互いに「粋さ」を競っていたそうで、なんだか江戸時代にタイムスリップしたようだ。今は和紙での需要が減り、かわって「趣味の千社札シール」として発売されている。

アルバイトから独立し、開業 書家や彫り屋、刷り師の元締め

 いまでは珍しくなった江戸文化を伝える店を松沼さんが構えるようになったのは、「考古学が好きで、大学時代に和紙の製造・卸問屋でアルバイトをしていた」のがきっかけという。「ワンゲル部に入っていたので、訪れた全国各地の里で郷土玩具を買っていた」ことも参考になった。

 文京区内にあった和紙の製造・卸問屋でアルバイトを始めたのは、大学4年のとき。請われてアルバイトから、正社員になり5年間勤めたあと、当時の高度経済成長の波に乗り、独立した。当初はワンゲル部の先輩と2人で営業していた。

 松沼さんは、お客さんの注文を聞いて、デザインを相談し、それを書家に持ち込んで江戸文字などで書いてもらう。次に彫り師といわれる職人が桜の木にデザインを彫り、それを刷り師が刷る。刷ったものを千社札やポチ袋(祝儀袋)などにして仕上げる。松沼さんの仕事は、わかりやすくいうと版元のような、元締め役である。

年配客多く、若者からは敬遠 外国へのお土産として人気も

 「珍しい職業ですが、『松しん』の名前を知っている人も多く、お客さんからしっかりと評価されているなと思うと、嬉しくなります」と松沼さん。

 昔から保存してある、色とりどりの千社札やポチ袋のデザイン集を見せていただいた。ひとつとして同じものはなく、どれも趣と個性がある。最近ではなかなか見かけることが少なくなったとはいえ、まだまだ「粋な人」はいる。

 千社札を注文して購入するお客は、一般人から芸能人までさまざまで、中央大学OBの俳優、阿部寛さんもお客さんのひとりだ。

 「お店には、年配の方が買いに来ることが多い。若者はあまり来なくなってしまった」と松沼さんは顔をくもらせるが、でも、「外国に行く際、日本のお土産として買いに来る人もいる」というから、日本の伝統工芸品は外国の人には人気だ。

20歳で中央大学に入学 ワンゲル部で全国を巡る

 松沼さんは、茨城県の農家の生まれ。高校時代は勉強がイヤで、大学にも行くつもりはなかった。高校卒業後は、1年半ほど民間会社に勤務した。しかし、「世の中は思っていたより不公平で、高校卒と大学卒では、社会での扱いが全く違う」ことを知り、大学に行こうと決めた。20歳で中央大学に入学、駿河台キャンパスにあった大学に1年生の頃は真面目に通った。

 「今のようにコピー機が無いので、徹夜で友人のノートを写させてもらいました。成績は卒業時に、優が20個あれば優秀と言われていたなかで、1年生で9個も優をもらいました。1年生の時に成績が良かったので2年生以降は怠けて、語学以外はあまり出席していませんでした」と笑う。

 ワンダーフォーゲル部には1年生の時から所属。松沼さんは部活の合宿とは別に、個人的にも伊豆七島や会津地方など全国各地を訪ね歩いた。2年生では夏休みを利用して、北海道に1ヶ月ほど滞在した。

 野営の公園やキャンプ場では中央大学と書いてある大きなテントをはるので、他大学の学生が仲間意識を持って、よく声をかけてきたという。学生間交流が楽しみの一つになったが、「中央大学の学生だけは引っ込み思案で声をかけてこなかったです。今の中大生もそのようですね」と、松沼さんは現役中大生に奮起を促した。

「42白門会」の初代会長 西武ライオンズの初代応援団長

 仕事以外でも松沼さんの活動は、幅広く、昭和42年に卒業した同期生の集まりである、「42年白門会」を平成6年に結成し、初代会長となった。硬式野球部の高橋善正監督も同期生の一人だ。

 また文京区に係わりのある人々の集まりである、「白門文京支部」では幹事長・事務局長を兼務している。ホーム・カミングデーの運営委員を5年ほど務め、今でも中央大学の評議委員、白門奨学会員、学員会の幹事も務めている。

 他にも「プロ野球西武ライオンズの初代応援団長も務めていた」と聞き驚いた。「当時、東洋大学の松沼博久・雅之兄弟が、西武に入団すると聞き、どこの出身かと聞くと同じ茨城県の田舎の一族でした。その頃、『松沼』という名字のルーツを探していたのです」と、歴史好きが思いもよらぬ関係を結びつけた。

 その縁から、松沼さんは「松沼兄弟を応援する会」をつくり、その後、周わりの薦めがあって、西武ライオンズの応援団長になった。「年に100日以上は野球の応援でつぶれました。入場料も交通費もすべて実費。ですが、優勝祝勝会には招待されましたよ」とその当時のアルバムを見せてくれた。

 さらに松沼さんは、寄席を開催。「42白門会の同期に落語家の柳家小団治師匠がいましてね、それなら寄席を開こうということになりました。中央大学卒業の桂才紫も出ますよ」。平成12年から10回開催されたが、現在は一休み中という。

 最後に、松沼さんは「『私は中央大学の学生である』と胸を張って正々堂々と、言ってほしいです」と後輩たちにメッセージをくださった。

提供:Hakumonちゅうおう2011春季号 学生記者:荻原睦(法学部3年)

松沼 茂(まつぬま・しげる)さん
1942年茨城県生まれ。高校卒業後1年半ほど民間企業に勤務した後、20歳で中央大学経済学部に進学し、1967年に卒業。在学中はワンダーフォーゲル部に所属し、大学4年次に和紙の製造・卸問屋でアルバイトを始め、そのまま社員に。5年後独立し、和紙工芸品、民芸品の卸・小売店『松しん』を設立。中央大学学員会「42白門会」初代会長、「白門文京支部」幹事長・事務局長、ホーム・カミングデー運営委員、中央大学評議委員、白門奨学会評議員、学員会幹事等、大学との関わりも深い。