志茂田 景樹 【略歴】
志茂田 景樹さん/作家
志茂田さんが絵本の読み聞かせをしていると、子どもたちから、質問が飛ぶ。「どうして、髪の毛をいろんな色に染めているの?」志茂田さんは、嬉しくてたまらない。大人が同じ質問をする時、往々にして表情に浮かぶ非難や軽蔑の色が、子どもたちにはない。本当に不思議だから、「どうして?」と聞いてくる子どもたちに、志茂田さんは答える。「頭が色とりどりだと心も色とりどりになって楽しいんだよ」
七色の髪に、これまた色鮮やかな上着、脚線美を強調したショートパンツとタイツ。奇抜、過激、芸術的、前衛的、さまざまな形容詞が踊る志茂田さんの装いは、誰もが知るところ。
そんな姿に象徴されるように、ご本人もまた多彩で多才な方である。大学を卒業してから、作家デビューするまでに20種以上の職を転々としたというプロフィールからも、その多才さとパワフルさの片鱗が伺える。
ジャンルを問わない作品群、驚異的な執筆スピードともあいまって、志茂田さんにはグループ説やらゴーストライター説まで飛び出すほどだった。
1980年代後半には山本寛斎のファッションショーでモデルをつとめた他、1990年代にはタレント活動に力を入れた。人の目を、関心を引きつけて離さない、強いキャラクター性によって、テレビ界でも引っ張りだこ。その活躍ぶりは、のちにタレント活動をセーブするようになった頃、「死亡説」が流れた程だ。
器用貧乏、移り気、腰が座らない。そんなネガティブな言葉をなぎ払い、思うままに行動を続けた結果、手に入れた肩書きは、小説家の他にも、絵本作家、児童書作家、タレント、ファッションモデル、静岡県観光大使等々、プロフィール欄からこぼれんばかりだ。
さまざまな顔を持つ志茂田さんだが、自ら名乗る肩書き第一番は、「よい子に読み聞かせ隊 隊長」だ。
はじまりは、1998年10月、福岡市の書店で催されたサイン会だった。その二年前、自身の出版社KIBA BOOKを立ち上げ全国各地の書店でサイン会を催す機会が増えた志茂田さんは、サイン会場に訪れる子どもたちの姿に、読み聞かせをするというアイデアを胸で温めていた。
はじめて読み聞かせを行った福岡市のサイン会で、志茂田さんは手ごたえを感じた。子どもだけでなく、おとなも物語の世界に入り込んでいる。
年が明けた1999年、奥様の光子さんとともに、全国各地読み聞かせ行脚を始める。夫婦で始まった活動だが、賛同者が集い、「よい子に読み聞かせ隊」を結成。
現在に渡るまで続くライフワークとなる活動の根底にあるものは「いまの時代に必要なものは、豊かな心をもつことであり、とりわけ時代を担う立場の子どもたちの心を豊かでのびやかな方向へ起こしていくことが急務だ」という信念である。「そのための方法として、童話の読み聞かせに優るものはほかにない」との想いは、自身のパフォーマンスにこだわっているわけではない。家庭での読み聞かせを推奨し、さらなる読み聞かせの普及を目指す日々が続く。
志茂田さんは毎日、早朝のウォーキングを欠かさない。きっかけは、読み聞かせ途中に声が出なくなったこと。読み聞かせに必要な基礎力をつけようと始めたウォーキングだが、得るものは丈夫な体だけではない。初めて歩く道も、通いなれた道も、日々、発見があり、出会いがあるという。
食生活にも抜かりはない。90%が玄米菜食、残りの10%は魚介類で動物性たんぱく質をとる。無農薬の有機食材、調味料も無添加とこだわりを持つ。
また、志茂田さんは歌うことが非常にお好きだ。公認の音痴とのことだが、カラオケで熱唱し、興がのれば講演会でも披露する。これもまた趣味であり、健康法か。
エネルギッシュでポジティブな生き方に、圧倒されるばかりだが、志茂田さんといえども元気な日ばかりではない。迷う時も、やる気のでない時も、死ぬのが怖くなる時もある。そんな時、志茂田さんはトイレの天井を見上げる。そこには、亡きお父様の言葉が貼ってあって、のんびりと志茂田さんに語りかけてくる。
「なあ、楽にせいよ」
子どもたちの心を豊かでのびやかな方向へ向けていく。急務でありながら成果を焦ってはならないそのライフワークの中で、志茂田さんは幾度その言葉をかみ締めただろう。
最後に、「おじいちゃん」と呼ばれてもおかしくない志茂田さんがこれほどお元気なのには秘密がある。1940年生まれだが、志茂田さんは実は、御年新11歳なのだ。「2000年3月25日、普通で言えば、満60歳、還暦を迎えましたが、そのときに、ぼくは新0歳になりました。」というのが、種明かし。
老練にして柔軟な心を持った新11歳は、ますます自由に過激に成長中である。