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トップ>人―かお>だれもやっていないスポーツを探したら、クリケットとめぐりあった

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松村 謙一郎

松村 謙一郎 【略歴

だれもやっていないスポーツを探したら、クリケットとめぐりあった

松村 謙一郎さん/NPO法人日本クリケット協会顧問

競技人口はサッカーに続く世界第2位だが、日本ではほとんど知られていない

 ポジティブで、かつ天邪鬼の人――。日本クリケット協会顧問の松村謙一郎さんの印象である。この松村さん、「大学ではとてつもなくおもしろいことをしたい」と願いつつ入学した。

 「そのころは、テニス、スキーなどを楽しむオールラウンドサークルが花盛りでした」

 キャンパスライフを謳歌しようとの心根はそんな学生と同じだったが、手段がちがっていた。だれもやっていないスポーツをしたかったのだ。同様の「志」を抱いた仲間が9人。じゃあ何をするのか、となった。

 「大学の図書館にこもって百科事典などを読みあさり、めぐりあったのがクリケット。英連邦諸国を中心にサッカーに続く競技人口をもち、1975年からはワールドカップが開催されているほどです。でも、日本ではほとんど知られていない。おまけに中央の前身は英吉利法律学校。これだ! という感じでしたよね」

ルールはわからないし、用具も簡単には入手できなかった

 「中大英吉利倶楽部」(Chuo University Cricket Club)を設立してからが大変だった。野球の原型であることは知ってはいても、ルールはわからないし、用具も入手できない。そこでアプローチしたのが日本で働くインドやパキスタンの人たちと、在日英国大使館。

 「日本で働いている人たちなどをつかまえていろいろ教わりました。そうしてやっとの思いで、約100ページの手づくりのルールブックができました」

 松村さんたちの手によって日本語版ルールブックが作成されたことは、英字新聞などで取り上げられたという。同じほどに苦労したのが用具。

 「英国大使館を通じて一式を取り寄せたのですが、3本が対になって計6本必要なウィケットと呼ばれる用具が3本しか届かない。残りは自分で材料を購入して手づくりでつくりました」

 「先駆者の苦しみ」とでもいおうか、諸々の問題を解決しつつ、松村さんたちは府中市の多摩川河川敷でクリケットのプレイに打ちこみ始めた。

週の半分は全国をまわり、子どもたちにクリケットを教える

 わいわいクリケットを楽しむ松村さんたちの周囲には、徐々に英国人をはじめオーストラリア人、ニュージーランド人、インド人、パキスタン人などが集まってきた。当然、彼らのチームが試合相手となり、松村さんたちも力をつけていったのだ。

 「他大学でもクリケットクラブができ始めました。いまでは早稲田、慶應など、女子大では聖心女子などにクラブがあり、毎年、大学選手権が開かれています」

 天の邪鬼のうえ、ポジティブで何事にも前向きに取り組まなくてはすまない性分の松村さん。2001年に「日本クリケット協会」をNPO法人化し、理事長をへて現在は顧問を務めている。

 「ぼくには大きな目標があります。まずクリケットのすそ野を拡大すること。いま全国には小学生のチームが約10あり、全国大会が開けるほどになりました。でも、日本ではまだマイナーのスポーツ。だから、子どもたちにクリケットを教えるために週の半分は全国各地をまわっています」

女子代表がアジア大会で銅メダル。20年来の悲願が達成される

世界中のトップ・クリケット・プレイヤーが集まる「ゴールデン・オールディーズ・ワールド・クリケット・フェスティバル」での松村謙一郎さん(10年8月、イングランド・ハロゲイト)

 そして日本代表が国際大会で好成績を残すこと。

 「女子の代表は着実に力をつけています。昨年の11月に中国・広州で開催されたアジア大会ではクリケットが正式種目となりましたが、女子日本代表が出場をはたしただけでなく、銅メダルに輝きました。20年来の悲願が達成されたわけですが、このチームに中央大学の現役生一人と卒業生が一人加わっていたことも、ぼくの喜びを倍増させてくれました。女子代表の次の目標は年内にバングラデシュで行われるワールドカップの世界最終予選の突破。また2020年のオリンピックではクリケットが正式種目になる予定ですので、夢はまだまだ続きます」

 八面六臂の活躍をする松村さんは、いくつかの栄誉に浴している。08年には国際クリケット評議会から日本人初、史上最年少(41歳)、世界で33人目の「功労賞」を受賞。09年にはこの100年間に功績のあった「世界の歴史上の1000人」に日本人で唯一選ばれた。日本で催されるエリザベス女王のバースデーパーティーに招かれたり、オーストラリアのケビン・ラッド前首相などが来日した際のレセプションに招かれたのもむべなるかな、である。

 「それよりもクリケットで世界中に友人ができたことがうれしいんです」

 こう語る松村さんは、2年に1度、世界の40歳以上の一流プロ・アマが一堂に会する「ゴールデン・オールディーズ・ワールド・クリケット・フェスティバル」に、27歳で招待されている。

 「『なんで20代のぼくが?』と思いましたが、オーストラリアの友人が『ケニー(松村さんのクリケット仲間の愛称)を招待しよう』といってくれたらしいんですよ」

 以後2年ごとに世界中で開催される大会に日本人代表として参加を続け、08年のフェスティバルでやっと規定の年齢に達した松村さん。昨年も8月、イングランドのハロゲイトで開催されたフェスティバルに参加、世界中の友人たちとともにクリケットを楽しんだ。

提供:中央大学学員時報467号

松村 謙一郎(まつむら・けんいちろう)さん
1967年東京都生まれ。1993年中央大学法学部卒業後、NPO法人日本クリケット協会を設立し代表に就任。父親の後を継ぎ、不動産管理会社の2代目社長を務める傍ら、協会顧問としてクリケットの普及に全国を走り回る。08年には国際クリケット評議会から日本人として初、史上最年少で、世界で33人目の功労賞を受賞。09年にはこの100年間でクリケットに功績のあった「歴史上の世界の1000人」にも選ばれた。妻と長女の3人家族。
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