中央大学杉並高等学校の一角に刻まれた「一以貫之」の文字。
今から40年前に本校を卒業した浅田次郎さんに在校生へ贈る言葉として選んでいただいたものである。
昨年2月、本学創立125周年記念を祝し、杉並高校の第45期卒業生より卒業記念として作家・浅田次郎さんの文学碑が中大杉並高校に寄贈・建立された。これは、浅田さんの文学碑としては初めてのものである。除幕式後には、全校生徒に対し、浅田さんの講演が行われた。碑には浅田さん揮毫の論語からとった「一以貫之」の書および代表作の一つ『蒼穹の昴』の一節が刻まれている。
一以貫之
「一(いつ)以てこれを貫く」と訓むこの言葉は、論語の里仁篇にある。「夫子の道は忠恕のみ」と続き、解釈は様々であるが、簡単には「一つのことを貫いてやり遂げる(やり続ける)。立派な人間の道は真心のみである」という意味になるようだ。
浅田さんは代表作『蒼穹の昴』の中で、李鴻章にこの語を語らせている。碑文はその一節を彫ったものであるが、浅田さんの生き方もまた、この言葉を彷彿させるものである。
「一つのことをやり遂げるということは、とても大切なこと。若いうちは、あれをやりたい、これをやりたい……と思っている。それはいい。ただ、結果的に人生で成功を収めるのは、一つのことをやり遂げた人。これを早く見つけて、脇目も振らずに頑張る。これが人生のコツ」と浅田さんは話す。
物心着いた頃から小説家になろうと思っていた浅田さん。本を読むのが好き、特に小説、物語が好きだったのがはじまりだったという。こんなに面白いものなら、自分で書いたらもっと面白いに違いない、と思ったのがきっかけであり、それからはまさに、“脇目も振らずに”書きまくった。小説家以外の他の何かになりたいと思ったことはただの一度もなく、まさに「一(いつ)以てこれを貫く」を地で突き進んできたようだ。
それでも、なかなかうまくいかないのが世の常。若い頃からずっと投稿し続け、ようやく文章が売れたのは35歳の時であり、自分の書いたものが初めて本になったのは、39歳の時だった。浅田さんは今年還暦を迎えるから、最初の本を出してからまだ20年くらいしか経っていないことになる。
しかしその20年の中身は濃い。時間はかかっているが、長い下積みは燻し銀の如く、その後の吉川英治文学新人賞、直木賞、司馬遼太郎賞へとつながる。昨年には『蒼穹の昴』が日中共同制作でテレビドラマ化された。
納得するまで向き合った「三島由紀夫の死」
浅田さんが作家になる大きなきっかけとなったもののうち、欠かすことができないのは、三島由紀夫の死である。
幼い頃すでに両親が離婚し、それぞれ別の所帯を持っていたことから、義務教育終了早々に送金が断たれてしまった浅田さん。高校は当時私立の中でも公立高校並みに学費が安かった中大杉並高校を選び、自分で学費を稼ぎながら学校に通ったという。当然資金繰りの面で大学進学は諦めざるを得ず、自衛隊入隊という作家志望にしては風変わりな進路を選択した。この選択の最も大きな理由に、三島由紀夫の存在があった。
「三島由紀夫は、日本語の美しさをとてもよく教えてくれた作家だった。昭和45年の、つまり僕が浪人中の11月25日に、市ヶ谷の防衛庁にいきなり殴り込みをかけて、割腹自殺をした。いくら昔といえども、切腹をするほど昔ではなかったので、これはショックだった。僕は理由を調べた。新聞、週刊誌、いろいろ読みあさった。でも自分に納得のいく答えを出してくれる先生も新聞も全くなかった。皆がわけも分からず、ただ嘆いていた。僕は誰も教えてくれないのなら、自分の目で確認しようと思った。それが自衛隊に入隊した一番大きな動機。そこでいろんなことがわかった。三島由紀夫がその時どういうことを考え、その死が文学的にも政治的にもどういう意味があったのかを確認した。これは今、僕が立場上言うべきことでもないし、どこにも書いていないが、その時の自分の確信、得た結論は、小説家としての自分の核になっていることは確か。だから僕は多分、三島由紀夫の死というものにきちんと向き合うことがなかったら小説家にはなれなかったと思う」
この妥協せずにとことん問題と向き合う姿勢にも、「一以貫之」の精神が垣間見える。
どうしても書きたかった『蒼穹の昴』
昨年からNHKで放送されている『蒼穹の昴』は、浅田さんが全く無名時代に書いた長編小説であり、書き上げるのに1年半かかったという。『蒼穹の昴』は原稿用紙1,800枚の直木賞候補作であったが、長すぎたゆえに受賞はできなかったという。
「僕は、これは別に読まれなくても、受賞しなくても良いと思っていた。ただ、書きたかっただけ。なぜそれほどまでして書きたかったかと言うと、僕が文学を目指した最初のきっかけが、中国文学だったから。中学の時に最初に漢詩に触れて、世の中にこんな美しい文章があるのかと思った」
中国の大詩人の99%は、科挙という役人登用試験を突破した役人・政治家であるため、中国の文学を知るには中国の歴史も平行して学ばなければならない。漢詩への興味から中国史を勉強し、それが浅田さんの小説の軸になったという。いつか中国を舞台にした小説を日本人として書いてやろう、それも、書き尽くされた三国志やそれ以前の春秋戦国時代ではなく、清代末から民国初めにかけたもっと近い歴史小説を――こうして『蒼穹の昴』は生まれ、壮大なスケールゆえに困難と思われた映像化が、中国の協力によってようやく実現されたのだ。
浅田さんはお酒を一切飲まない。お酒を飲む時間、酔っ払う時間がもったいないからだという。
メール交換等にも時間をほとんど費やさない。自らが定義した「余分な時間」を生活からできるだけ排除し、一日に4、5時間は必ず読書の時間を持つというのがスゴイ。
大器晩成の文豪の背景には、いつも「一以貫之」の精神がある。この強靭な精神力とパワーによって、後世に残る大作が生み出されたのである。