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トップ>人―かお>全日本相撲選手権大会初優勝! “持っている”29歳のアマ横綱

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澁谷 悟

澁谷 悟 【略歴

全日本相撲選手権大会初優勝!
“持っている”29歳のアマ横綱

澁谷 悟さん/相撲選手・日本通運実業団所属

 大きなあんこ型の体躯に、コートも着ずに師走の中央大学駿河台記念館にやって来たのは、今年29歳になったアマ横綱の澁谷悟選手だった。

 12月5日に東京両国国技館で行われた天皇杯 第59回全日本相撲選手権大会の優勝報告のために、現在所属している実業団(日本通運、以下日通)の小西監督と共に、優勝カップと金メダルを携えて母校を訪問してくれたのだ。因みに、小西監督も本学出身である。余談だが、日通実業団と中大相撲部のつながりは意外と深い。

 取材に同席していただいた大学時代の師・平岩監督に、優勝メダルを首から提げてもらったところを、カシャリと一枚撮らせてもらった。

 身長180センチ、体重175キロの恵まれた体に、ズシリ……と、重たい優勝カップ。

 初印象は、いま流行の“持っている”である。

 それは取材を進めて行くうちにいっそう深まった。

全日本相撲選手権大会初優勝の重み

 全日本相撲選手権大会は、毎年高校生が数名、大学生と社会人がそれぞれ約30名の、合計約65名が出場する、アマチュア相撲のトップを決める大会である。その出場資格は、月に数回行われる各大会の個人戦において上位入賞を果さなければ得られない。予選3試合のうち2勝以上の30数名が選出され、決勝トーナメントで優勝を争うこの大会は、優勝までに8試合を勝ち抜かなければならないのだ。

 澁谷さんは中大3年時に、同じ大会で3位入賞を果している。

 今回は8年ぶりの入賞であるが、21歳の時とは若さも練習量も違う(日通では、定時まで通常業務をこなした後に、2時間程度の練習をする)。そんな中での優勝なので、本人も応援していた関係者も大喜びだ。

良き師、先輩との出会い

 澁谷さんが相撲を始めたのは小4の時。小さい頃から体格が良く、出身地である秋田県で開催されたわんぱく相撲全国大会の秋田県地区予選で優勝したのがきっかけだった。以来、中学、高校……と相撲を続け、大曲農高で国体優勝を果たした。

 そんな澁谷さんが中大に入学を決めたのは、二人からの強いオファーがあったからだという。同じ秋田県出身でプロ入りした成田旭選手(現 豪風:たけかぜ)は、澁谷さんの2つ年上の先輩であり、高校時代は同じチームで戦ったこともあった。この先輩と平岩監督の勧めで、中大への進学を決めた。

 平岩監督は語る。「澁谷が2年生の時に、現 豪風の成田が学生優勝した。そういう強い先輩がいたことによって、稽古にも引っ張り出されたし、強い試合をよく見ることができたと思う」――なるほど、強い選手が近くにいたことは、大変な成長の糧になったであろう。これが澁谷さんの最初の“持っている”である。

人生万事、塞翁が馬

 しかし良いことばかりではない。澁谷さんは入学してすぐの4月に、毎年愛媛県で行われている全日本大学選抜相撲宇和島大会で、初めて大きな怪我をした。左膝の前十字靭帯を切ったのだ。デビュー戦でのまさかの大きな怪我は、6ヶ月間、彼から相撲と練習の時間を奪い、リハビリの毎日を強いたという。初めての経験であったが、このときの苦労は、その後の辛い練習をものともさせない強力な耐性を作ったようだ。

 中大に入学時は、全相撲部員が南平寮にて合宿所生活をしていた。もちろん、体育会なので上下関係も厳しく、1年生は、先輩から頼まれた買出しや洗濯といった、いわゆる雑用を引き受けなくてはならない。

 「そんなことを言っても、おまえ、雑用なんてやってねぇだろう?」と、平岩監督。

 「大体、買出しを頼まれて出て行ったっきり、なかなか帰ってこねぇんだから。みんな頼まなくなる」

 「いやいや……」澁谷さんはそんな監督にも怯まない。「自分は怪我のせいで歩けなかったんです。雑用をしたくても、怪我でできなかったんです(笑)。高校までは通いだったので、寮生活には正直最初、驚きました。なんというところだ……と。何もかもがカルチャーショックで慣れるのに時間がかかりましたが、この1年生の下積み生活はあった方がいいと今では思います。会社に入って辛いことがあっても、大学1年のあの頃と比べれば……という思いがあります。雑用や怪我に耐えられたから、その後の辛い練習にも耐えられたんだと思います」

 「本当かよ……」と、ニヤリとしながらつぶやく監督を横目に、師弟関係の深さが垣間見える一瞬であった。

個人戦よりも団体戦が好き

 澁谷さんはこの怪我をきっかけに、「角界入りを諦めた」と言われがちであるが、真相はそうではない。プロになることを諦めたのではなく、もともとプロには興味が沸かなかったのだ。アマチュアの相撲で強くなること=プロ、ではない。プロはあくまで個人の戦い。アマチュアのような団体戦は、プロにはない。

 「嬉しいことに、澁谷は団体戦の試合が好きなんですよ」と、小西監督は語る。

 「団体戦のとき、自分は大体大将で出ることが多いんです(3人一組で、先鋒、中堅、大将の順に戦う)が、一勝一敗で回ってきたときには、絶対に勝たねば……と、意気込みます。このプレッシャーが好きなんです」

 チームワークで戦う団体戦好きの澁谷さんは、来年から日通相撲部のキャプテンになる。

自然体で“持っている”29歳のアマ横綱

 「大学4年の時、特に就職活動もせずにボーっとしており、なんとなく決まりそうだった岩手の企業に行こうと思っていたところ、監督や周りの人たちから、環境が整っている日通の実業団に入るよう、強く勧められました。中大に入っていなかったら、今回の優勝はたぶん無かったし、就職も決まっていなかった。中大には感謝しています」

 人生の二人の師は、その横で大いに頷く。

 かく言う澁谷さんに、座右の銘、人生の格言なるものはないかと尋ねたところ、しばらくして、「自然体……流れに任せる、かな?」と、一言ポツリ。

 齢29歳のアマ横綱は、自然体で流れに任せて、全日本のタイトルで見事優勝を果たした「愛されキャラ」である。

 何より。人生の二人の師が、仁王像さながら澁谷さんを優しく見守っている姿が印象的だった。

澁谷 悟(しぶや・さとる)さん
秋田県美郷町(旧仙南村)出身の29歳。2004年中央大学法学部卒。仙南西小学校4年時にわんぱく相撲全国大会の秋田県地区予選で優勝。以来、大曲農高3年時にインターハイで団体準優勝、国体では少年個人を制し、大学3年時にインカレ準優勝、第51回全日本相撲選手権大会で3位に入る。その後、日本通運に入社し実業団で活躍。2007年の秋田わか杉国体では成年A個人で優勝し、2010年の第59回全日本相撲選手権大会で初優勝を果たした。