大ヒットした漫画『Dr. コトー診療所』の作者で知られる漫画家、山田貴敏さん(本学商学部中退)が先日、テレビ番組のロケで多摩キャンパスを訪れた。ロケが行われたのは、関西テレビの『ココロの旅』という著名人が自分の礎となった場所や人を訪ねる番組で、山田さんが選んだのが漫画家としての出発点となった中大だった。
単行本は1000万部を刊行 フジテレビ系列でドラマ化
陽気で気さくな山田貴敏さん
山田さんの代表作『Dr. コトー診療所』は、2000年にヤングサンデーで連載開始し、現在もビックコミックオリジナルで連載中だ。単行本は1000万部を刊行する大ヒットを記録、2003年にフジテレビ系列でドラマ化もされた。2004年には第49回小学館漫画賞一般部門を受賞した。
ロケで多摩キャンパスを訪れた日、撮影の合間の休憩時間や車での移動中に、山田さんに取材することができた。山田さんは気さくで、とにかく面白い人。挨拶に伺うと、「どんな風にでも好きなように書いてくれていいよ」と笑顔で応じてくれ、撮影が始まるまでの間は絶えず面白い体験談を話してテレビ局のスタッフを笑わせていた。
山田さんは中央大学商学部貿易学科を8年で中退した。4年生の時、漫画家としてのデビューが決まり、仕事と両立しながら卒業を目指したが、最後の試験と原稿の締め切りが重なってしまい満期で中退となった。
タダで読めると漫研入り 漫画は4年生まで描かず
「学生生活はバラ色でした」。学生時代を問うと、まずそんな言葉が帰ってきた。いったいどうバラ色だったのだろうか。「どんどんお金が貯まったんです」と山田さん。バイト先がファミリーレストランで、まかない食が出たため食費もかからず、さらに友人とルームシエアをしていたので家賃も半額で済んだ。「そのお金で当時所属していた漫画研究会の後輩達に、学食や牛丼を奢ったりしていました」と懐かしそうに語る。
漫画研究会に入ったのは、「先輩にコキ使われることがなさそうだった」という理由と、「漫画をタダで読める」からだった。「漫画を描く気は全くなかった」という山田さんは、漫研に入部した後も、部屋に行くたび漫画ばかり読んでいた。
「僕は4年生まで漫画を描いたことがなかったんです」というからちょっと驚きだ。漫画を描くようになったきっかけは、卒業が視野に入ってきた4年生の時、「オマエ、漫画を描けないんじゃないのか」という友人の一言が、引き金になった。当時すでにプロだった一年上の先輩、山本貴嗣さんが山田さんの落書きを見るたびに「山田は絵が上手い」と褒めていたことに納得がいかない友人が、山田さんを挑発したのだ。
処女作が新人漫画賞佳作に 二作目でデビュー、連載開始
「友人に『じゃあ、僕が漫画を描いたらどうする?』と聞いたら、『カツ丼を奢る』というので、一作ぐらい描いてもいいかなと思ったんです。当時の漫研部員にとってカツ丼は10万にも値しましたから」と笑う。その日から山田さんの漫画家人生はスタートした。
“古巣”の漫研サークル室前で
後輩達にアシスタントをしてもらい、処女作『二人ぼっち』を完成することができた。「後輩達は毎日交代で手伝いに来てくれました。いかに人脈が大切かということを実感しました」と山田さんは語る。
完成した『二人ぼっち』を後輩の勧めで、講談社新人漫画賞に応募したところ、いきなり佳作を受賞した。
「私は建物も描けず、パース(遠近透視図法)も取れないということで、『二人ぼっち』の舞台は近未来の戦争が終わった後にしました。石とか木とか砂漠ばっかりなので背景がなくていいんです。それに『二人ぼっち』なので二人しか描かなくて良かったんです。それが逆に編集者に評価されてしまったみたいです」
山田さんは、処女作の受賞理由を笑い話風に紹介したが、決して偶然の受賞ではなかった。次ぐ二作目の『マシューズ~心の叫び~』が同賞に入選し、デビューが決まったからだ。その後も、いくつもの連載を持つようになり、2000年には、『Dr. コトー診療所』の連載が始まった。
離島診療所の医者がモデル 医者と島民との人間ドラマ
『Dr. コトー診療所』はどのような発想で生まれたのだろうか。「最初は離島の話しを書こうと思っていたんです」と山田さん。「そしたら、ある編集者が離島に凄い医者がいますと言ってきたんです」。山田さんは眼差しを熱くして当時を回想する。
『Dr. コトー診療所』のモデルになったのは、鹿児島県の下甑島で診療所を営む、瀬戸上健二郎さんだ。瀬戸上先生は、『Dr. コトー診療所』の主人公・五島建助さながらのスーパードクターだった。30代で外科医長を勤め、自分の病院が建つまでの間、奉公のつもりで診療所に勤めた。島民に両手を上げて歓迎されるかと思ったが、実際は信頼されず、風邪を引けば診療所ではなく本土の病院に行かれる始末。しかし、盲腸にかかった島民を診療所で手術し、救ったことがきっかけで島民の信頼を得ていく。結局、瀬戸上さんは30年近くも離島医療に従事した。
「実際に取材して、瀬戸上先生を通して人間ドラマを描いたら絶対に面白くなると思ったんです。要するに、医者が島に一人で入ってきて島民の信頼を得るということは、島民の立場も描けますし、そこには命のやりとりがありますので」
『Dr. コトー診療所』を読むと、孤島の診療所にやってきた五島健助と島民たちとのあつい人間ドラマ、命の重さをずっしりと体感することができる。
最後に、山田さんから次のような中大生へのメッセージを頂いた。
「就活が厳しくなっていますが、自分が好みじゃない仕事は絶対に長続きしません。将来、何をやるかということは、いつか見つかります。だから焦らず自分に一番良い道をじっくりと探せばいいんです。そういう夢を追いかけられる中大生であって欲しいです」
提供:Hakumonちゅうおう2010夏季号 学生記者:堀滝登(文学部3年)