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トップ>人―かお>いくつもの逆境を乗り越え、アルツハイマーの特効薬を開発

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杉本 八郎

杉本 八郎 【略歴

いくつもの逆境を乗り越え、アルツハイマーの特効薬を開発

杉本 八郎さん/京都大学大学院薬学研究科最先端創薬研究センター客員教授(1969年理工学部卒)

苦労の連続の母を見ながら育つ

 アルツハイマー型認知症の進行を抑える塩酸ドネペジル(商品名アリセプト)。「アルツハイマーの特効薬」として世界90カ国以上で認可されている、画期的な新薬だ。その開発者である薬学研究者の杉本八郎さん(1969年理工学部卒)は、これまでいくつもの逆境をはね返し、自らの手で道を切り開いてきた。そこには常に、「母に孝行したい」という思いがあったという。

 杉本さんは43年、9人兄弟の8番目として東京の下町に生まれた。一家を支えた母親は、昼間は工場で働き、夜は内職という毎日。それでも経済的に窮することもあり、借金をせざるをえないこともあった。
「シジミ売りの行商など、できることは何でもやる人でしたが、一人の女性としてこんなに苦労が続いていいのかと感じるほどでした」

 働きながら定時制高校に通う兄や姉を見て育った杉本さんにとって、大学進学は夢のまた夢。「詩人か小説家になりたかった」という思いを抑え、都立化学工業高校に進学し、卒業後は医薬品メーカーのエーザイ株式会社に就職した。
「当時のエーザイは社員が数百人。業界ではそれほどの規模ではありませんでした。私は高卒の学歴しかないので、大企業だと高学歴の多くの人たちのなかに埋没してしまう可能性があります。そんなことは避けたかったから、『高卒の自分でもやっていける』と思ったエーザイを選んだのです」

大学で学んだ知識を生かし新薬開発に成功

 そんな杉本さんを待ち受けていたのが「大卒」の壁だった。研究員として採用された杉本さんは、入社直後から新薬開発チームに加えられる。とはいえ、任される仕事は大卒研究員の補助ばかり。給与にも歴然とした差があった。大学で習得する多様な専門知識の必要性を感じた杉本さんは、入社から半年ほどして、働きながら大学の二部で学ぶ道を選ぶ。だが、「会社が終わってから受験勉強をするのはけっこう大変で、3度目の挑戦でようやく合格しました」(杉本さん)

 こうして杉本さんは、中央大学理工学部工業化学科の二部に入学。昼間は新薬開発に取り組み、夜になれば化学漬けという、理論と実践をくり返す毎日を送った。そのためか、「有機化学から化学工学までさまざまな角度で化学と向き合い、知識の層は確実に厚くなった」という。

 それを証明して見せるかのように、卒業後すぐに大きな成果を挙げる。26歳にして初めて開発の「主担当」を任された血圧降下剤・塩酸ブナゾシン(商品名デタントール)の開発に成功したのである。
「新薬開発は、既知の物質を組み合わせて、薬効のある新物質を生み出す作業。そこには幅広い化学の知識が必要でした。デタントールは、エーザイが自社開発し、初めて海外で販売認可された薬です。そんな記念すべき新薬を開発できたのも中大のおかげです」(杉本さん)

母の闘病がきっかけで認知症の新薬の開発に着手

 ところが、デタントールの成功もつかの間、思いがけない悲劇が杉本さんを襲う。生きるうえで手本ともいうべき母親が脳血管性の認知症にかかったのだ。
「病院に見舞いにいくと『あなた、だれ?』と聞かれて……。それはとてもショックな出来事でした。そんなことで、認知症の新薬開発を思いいたったのです」

 しかし、開発の途中で母親は他界。新薬も最終段階で副作用が判明し、頓挫してしまった。
「結果的に母を救うことができず、悔しい思いでいっぱいでした。でも、認知症の研究を始めたからには、患者数の多いアルツハイマーの薬にも挑戦したかった。こうして開発したのがアリセプトというわけです」

 新薬開発は成功率0・2%といわれる。そんな厳しい世界で杉本さんを精神的に支えたのが、高校のときに始めた剣道だった。
「エーザイ剣道部の地福義彦先生はとても厳しい方で、その練習に比べれば、創薬の壁など何でもないことのように思えました」

 杉本さんは2003年にエーザイを退社し、京都大学大学院薬学研究科の客員教授に就任。現在では中央大学理工学部など、複数の大学で客員教授を務める。その一方、創薬ベンチャー企業を設立し、新薬開発も続けている。現在取り組んでいるのがアルツハイマーの根本治療薬。成功すれば、アリセプトが効かない患者を救うこともできる。夢の新薬を求める杉本さんの挑戦は、まだ終わらない。

(提供:中央大学学員時報464号)

杉本 八郎(すぎもと・はちろう)さん
1961年3月東京都立化学工業高校卒業後、エーザイ株式会社入社。エーザイ株式会社に勤務しながら、中央大学理工学部に通い、1969年3月中央大学理工学部工業化学科卒業。1993年10月エーザイ科学賞受賞、1998年3月日本薬学会技術賞受賞、同年4月英国ガリアン賞特別賞受賞、同年5月化学・バイオつくば賞受賞。2002年6月恩賜発明賞受賞。2002年7月薬学博士(広島大学)取得。2003年3月エーザイ株式会社定年退職後、京都大学大学院薬学研究科客員教授。2005年中央大学にて名誉博士号取得。その後、中央大学兼任講師を兼務し、現在に至る。