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神山 美智子

神山 美智子 【略歴

「食の安全」を守るために、30年間闘い続ける

神山 美智子さん/弁護士(1962年法学部卒)

毒性の強い物質が農薬として使用されている

 「もし厚生労働省の官僚に『嫌いな弁護士』をあげさせたなら、私はベスト5に入るでしょうね」

 笑みを浮かべながら、こう語るのは弁護士の神山美智子さん。神山さんは現在、「食の安全・監視市民委員会」の代表を務め、「食の安全」におよそ30年取組み続け、何度となく厚生労働省を問い詰めてきた。また、敗訴はしたものの、92年には12名の弁護士や200名近くの主婦などとともに「残留農薬10品目の基準設定取り消し」を求めて、当時の厚生大臣を提訴した。厚生労働省の官僚にうるさがられるのも当然だろう。

 大学を卒業した翌年に司法試験に合格し、25歳で弁護士になった神山さんが「食の安全」に目覚めるのは79年のことだ。
「東京都の消費者保護条例ができ、東京弁護士会でも消費者問題について勉強を始めたことがきっかけでした」

 23歳で結婚し、68年には長男、72年に次男を産んだ母でもある神山さんは、「食の安全」の大切さを痛感することになる。
「妊娠中の母親のお腹に女の子がいたとしたら、その赤ちゃんのお腹のなかにはすでに次の子どもになる卵子の元ができていくことを知りました。つまり、一人の女性の体には三世代の人が存在するわけで、妊娠中のお母さんが食べる食品の安全性は、孫にまで影響をおよぼすことがわかり、とても驚いたものです」

 このころはまだ「闘う弁護士」ではなかった。だが、90年のアメリカ視察が神山さんを変貌させたのである。
「アメリカではイマザリルという添加物を、収穫後に使う農薬、いわゆるポストハーベストとしてレモンに使っていたのです。運送中にカビが発生しないように表面に吹きつける農薬ですが、当時の日本では使用を認められていませんでした。アメリカの業者は使用を隠していたわけですね」

 農薬の専門家に確認したところ、水虫菌を殺せるほど毒性が強く、しかも残留性も高いことがわかった。そこで、神山さんたちは弁護士会として厚生省(当時)に輸入禁止にすべきだという意見書を提出した。
「ところが厚生省の態度ははっきりしません。そして2年後には、なんとイマザリルを殺菌用の食品添加物として認めてしまいました。おまけにほかの農薬にもゆるい残留基準をつくったのです」

 このことを知った日、神山さんは一睡もできないほど悔しかったという。こうして神山さんの闘いは本格化する。その後、事故米不正販売、産地偽装など、食の安全をおびやかす事件が次々に明るみに出ている。神山さんの「闘い」はつきることがないわけだ。

一つのえん罪事件がおとなしい少女を変える

 こんな神山さんも「高校生までは人前で話すこが苦手な女の子」だったそうだ。群馬県伊勢崎市に住む、おとなしい高校2年の少女に衝撃を走らせたのが『真昼の暗黒』という「八海事件」を描いた映画。八海事件とは51年に山口県で起きた老夫婦殺害事件だが、警察は4人を逮捕し、虚偽の自白を強要し、そのうちの一人は死刑の判決を受ける。しかし、最高裁まで争って無実を勝ち取り被告を救ったのが正木ひろし弁護士。正木弁護士の著書『裁判官 人の命は権力で奪えるものか』(光文社)はベストセラーとなり、この作品を映画化したのが『真昼の暗黒』だ。
「少女心に『弁護士ってかっこいい』と思った」神山さんは、「えん罪をなくすために弁護士になりたい」といいだし、両親たちをあわてさせた。
「女の子は高校を出たら花嫁修業をするのが当たり前、と考えられていた時代ですから、両親は動転し、東京で弁護士事務所を開いていた母の兄に相談しました」

 伊勢崎にやってきた伯父、荻山虎雄弁護士の助言はこうだった。
「これから勉強をしても東大は無理だろうから、中大の法学部を受けなさい」

 中大一本に絞った神山さんは見事に合格。荻山弁護士の事務所でアルバイトをしつつ、司法試験に向けて勉学にいそしむ。
「学研連に所属して勉強しましたが、自分の考えを明快な言葉にする訓練の場にもなりましたね」

「食の安全」への取り組みが評価され、「エイボン女性年度賞」を受賞

08年11月19日に行われた「08年度エイボン女性年度賞」表彰式での神山美智子さん(前列左)

 25歳で弁護士登録し、独立するまで約20年間所属した荒井金雄事務所のモットーは「訴訟は勝てばいいわけではない。社会的妥当性があって、だれもが納得することが大切」。また通常の弁護士事務所なら、役所に「評価証明」や「公課証明」といった書類は事務職の人が取りにいくが、荒井事務所の若い弁護士は事務的な業務も自分で行った。
「現在、私の事務所にはほかに事務の人が一人いるだけです。相変わらず、事務的な仕事も自分でしています」

 こんな姿勢だからこそ、神山さんの視線は一般の消費者と同じなのだろう。「食の安全」に取り組んで四半世紀以上たった2008年秋、化粧品会社のエイボンから連絡が入った。「エイボン女性年度賞」を受賞したのである。
「この賞は本当に励みになりました。それに受賞者が推薦する団体に副賞として賞金が授与されたこともうれしかったですね。当然、食の安全・監視市民委員会を推薦しましたが、何せこういった市民団体の一番の泣きどころは資金不足ですから」

 と話す神山さんは今年70歳。とはいえ、いまだ闘う意欲の衰えは見受けられない。

食の安全・監視市民委員会HP新規ウインドウ

(提供:中央大学学員時報463号)

神山 美智子(かみやま・みちこ)さん
1940年群馬県生まれ。1962年中央大学法学部卒業。1965年弁護士登録(東京弁護士会)。1975年から弁護士会の委員会活動として、食品の安全問題や消費者問題にかかわる。現在、食の安全・監視市民委員会代表、NPO法人ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議理事、薬事・食品衛生審議会薬事分科会委員。著書に「食品安全へのプロポーズ」、「食品の安全と企業倫理消費者の権利を求めて」がある。