コンビニエンスストアから総合スーパー、百貨店、レストラン、それに金融、ITサービスなど日本最大の総合流通グループを率いる鈴木敏文氏。世界15の国と地域に展開する店舗数は約37,500で、毎日約3,600万人の来客数をほこる。世界が注目する日本人経営者の一人である鈴木氏だが、30歳の時(1963年)、どういう会社か全く知らずに当時5店舗、社員500人のヨーカ堂に飛び込んだ。「スーパーって何だ?」というほど、ゼロからのスタートだったのである。
鈴木氏がヨーカ堂に入社したのは、流通の仕事がしたいからではなかった。中央大学を卒業して最初に入社(1956年)したのは、出版取次大手の東京出版販売(現トーハン)。ここで任された『新刊ニュース』という広報誌の編集を通じて知り合った人達とテレビ番組を制作する独立プロダクションを設立する話が持ち上がり、「支援してほしい」と頼みに行ったのが、ヨーカ堂だった。
実は、ヨーカ堂へはこの時がはじめてではなかった。トーハンの仕事が決して嫌だったわけではないが、「何か面白そうなところはないか」と転職相談した大学時代の友人の紹介で、ヨーカ堂に就職の面談に行き、「私には向かない」と断ったことがあったのだ。
そんな縁で、プロダクション設立のスポンサーになってもらおうと頼みに行ったヨーカ堂からは、「いいよ」「どうせならうちでやらないか」と願ってもない答えが返ってきた。それならば、と鈴木氏は、トーハンを辞め、ヨーカ堂に入社したのである。
「それが入社したはいいものの、『独立プロダクション設立は将来の話だ』と言われちゃってね(笑)。これは話が違う。辞めようと思ったけれども、散々方々から反対され、トーハンからも引き留められたのに転職したので、もう意地でも辞められなかった。それでヨーカ堂に居座ったのよ」
鈴木氏は、こう述懐する。縁とは不思議なものだ。「ヨーカ堂って何やっている会社なんだ?」というほど全く知らず、友達から「スーパーというのはデパートよりは小さい。小売店よりは大きい。だけど、これからどんどん伸びるところだ」と言われても、商売には興味がなかった鈴木氏が、ヨーカ堂に入社したのは、成り行きとはいえ、いまからみれば天の巡り合わせというしかない。
「今はグループとして日本の流通業界では一番大きくなっている。これはごく自然にそうなったんだよね。最初からこの会社を日本で一番の流通小売業の会社にしようなんて思っていなかったし、ましてやその会社のトップになろうなんて考えていたわけでは全然ないんだよね」
鈴木氏は、こう振り返るが、日本最大の流通グループに成長させたのは、鈴木氏の卓越した経営手腕と消費者心理を読む技術があったからにほかならない。
セブン-イレブン・ジャパンを創設したのは1973年11月。鈴木氏が40歳の時だった。商店街がさびれ、スーパーが増えていった時代だったが、コンビニエンスストアをつくることには、周りから大反対された。コンサルタントや大学のマーケティングの先生からは、「日本でそんなものをつくっても絶対に成り立つはずがない」と言われた。だが、鈴木氏は、「大型店だけではお客様のすべてのニーズを満足させることはできない。小型店でも今までの商店と違ったものをつくって、いろいろな商品を並べれば、成り立つはずだ」と考えた。
2000年1月、自前の銀行をつくろうとプロジェクトをスタートさせた時も、否定論が渦巻いた。今ではセブン‐イレブンに設置されているATM(現金自動預払機)はお馴染みだが、当時、銀行からは「絶対にうまくいかない。わが銀行にATMを置いているが、全部赤字なんだ」と言われた。
しかし、鈴木氏は、「銀行が無理だと言っても、絶対にたくさんの利用者は見込めるはずだ」とプロジェクトを推進した。24時間営業のコンビニであれば、いつ行ってもお金をおろしたり預けたりすることができる。利用時間が平日は午後3時までで、土日祝日は休みの銀行に比べ、ずっと便利と考えたからだ。
鈴木氏は、「常にお客様の立場に立って物事を見ようとするんだよ」という。「お客様の立場で」というのは、自分がお客様だったらどう感じるか、お客様目線で考えるということである。
「多くの人たちはこれまでの経験で考える。今までやってきて、うまくいったからその延長でやろうとか、本に書いてあったから、その真似事をしようとする。だけど、世の中というのはものすごく変化しているのだから、その変化に対応するものをつくり出していかなければならない、と僕は考える」
こう強調する鈴木氏が、経営の基本に据えているのが「ブレイクスルー思考」である。「将来から見て、今、何をすべきか、ということを考える。世の中は変化し続けるから、先から現在を見て、現在どういう行動をすべきかを考える」のがブレイクスルー思考だ。
鈴木氏は、これからもブレイクスルー思考で、反対があっても諦めずに、お客様の立場に立って挑戦し続ける。
(「Hakumonちゅうおう」2010年春季号掲載のインタビュー記事を再構成しました。編集者:伊藤博)