トップ>人―かお>強みである韓国語をいかし、教員と翻訳家とを両立させていきたい
蓮池 薫 【略歴】
蓮池 薫さん/新潟産業大学特任講師・翻訳家
昨年8月に「新潮ドキュメント賞」を受賞した『半島へ、ふたたび』(新潮社)のなかで、蓮池薫さんは北朝鮮での生活の苦労などにふれてはいるものの、体制を批判する言及はしていない。なぜなのか、蓮池さんは明快に答える。
「体制批判は拉致問題にいい影響を与えないと考えているからです。北朝鮮は現在の体制を維持することを最重要課題としているうえに、金正日総書記の側近たちには万事に慎重な人が多いようです。帰国できたぼくが体制批判的なことばかりいったら、側近たちは金総書記に『帰したならこんな発言をします。だから次は帰してはいけません』と進言することでしょう」
なるほど……。しかし、である。1978年、大学3年生のときに拉致され、独裁国家で24年間も生活せざるをえなくなったのだから、いいたいこともたくさんあるだろうし、それを吐露したくなるのがふつうの人間の感情であるはずだ。ところが、蓮池さんは拉致問題に関して冷静きわまりない。24年間という歳月が忍耐力を培わせたのか。
「おそらくそれもあるでしょう。北では、言動は慎重でなければなりません。率直なものいいをしたなら、無事でいられなかったにちがいありません」
蓮池さんにこうさせたのは家族の存在だったという。
蓮池さんは奥さまの祐木子さんとともに拉致された。お二人は当時、恋人同士だったから、不幸中の幸いだったのかもしれない。
「そう思います。結婚して二人の子どもができ、家族の絆が強まったからこそ24年間も耐えられたのだと思います。もしあのような自由のない国で孤独だったら、最悪だったでしょうね」
そんな家族のためにも、蓮池さんは2002年に帰国したのち、「24年間の空白」を埋めるべく努力を重ねてきた。03年の2月からは柏崎市役所で勤務を始めた。
「市役所のほうから声をかけてくださいました。パソコンの操作を覚えるなど、のちに翻訳の仕事をするうえで有益な時期になりましたね」
蓮池さんは強みである韓国語をいかし、帰国した年には柏崎市民プラザで韓国語の講師も始めた。
「ちょうど韓流ブームの真っただ中ということもあって、皆さん、目を輝かせて受講してくれました」
さらに蓮池さんは新潟産業大学の非常勤講師として韓国語を教えることになり、現在は国際センターの特任講師を務めている。
「ぼくは、教員らしくない教員だと思います。たとえば、授業がつまらないから出たくない、と学生がいったとしたら、ぼくは『じゃあ、出なければいいじゃない。無理をしないで、自分の好きなことをやればいいよ』などといいます。また、学生の恋愛の相談にも乗ってあげたり、学生と同じ目線で向き合いたいと思っています」
韓国語をいかしたかった蓮池さんが、教壇に立つほか、翻訳の道に進んだのは当然のことといえるだろう。きっかけは、高校時代の同級生で、英米のミステリー小説を数多く翻訳している佐藤耕士さんがつくってくれた。
「佐藤くんといっしょに柏崎まできてくださった、翻訳出版エージェントのKさんがすすめてくれたいくつかの作品のなかに、金薫さんの大作『孤将』がありました」
豊臣秀吉が朝鮮出兵をした文禄・慶長の役のとき、日本海軍を撃退した朝鮮水軍の指揮官の李舜臣の物語だが、蓮池さんは反日的な内容ではないかと、当初、不安をいだいた。
「しかし、そんなこともなく、自分の信念を貫いた李舜臣の生きざまは現代の日本人にも共感を与えるのではないか、と感じました」
版元の新潮社からオファーがくると、蓮池さんは翻訳という新たな挑戦を開始した。04年8月のことである。だが、翻訳は簡単な作業ではなかった。佐藤さんの助言もあり、まずは細かいことにはこだわらず一気に訳した。そして3カ月後から文章の推敲に移ったのだ。
「この作業が大変でした。翌年の1月には市役所もやめ、翻訳に専念しました」
そうして脱稿したのは2月中旬のこと。編集者のオーケーも出て、05年5月に出版され、「翻訳家、蓮池薫」が誕生したのである。
その後、蓮池さんは『私たちの幸せな時間』(新潮社)などのベストセラーを世に出している孔枝泳さんの作品をはじめ、多くの韓国の小説、詩を翻訳し、翻訳者としての地位を確立していった。
仕事と並行して、蓮池さんは学業にも注力した。帰国後、本学に復学し、08年に卒業証書を手にしたのだ。その年の10月のホームカミングデーでは、長内了法学部教授とのトークショーのために多摩キャンパスを訪れた。
「北に拉致されたために、ぼくができたばかりのキャンパスに通学したのは3カ月ほどですが、卒業したことで、多摩キャンパスにある中央大学を母校と呼べるようになりました。とてもうれしいことですね」
02年に帰国後、「24年間の空白」を埋めるべく、果敢に挑戦を続けてきた蓮池さん。今後とも、教員と文筆活動とを両立させていきたいという。
(提供:中央大学学員時報461号)