日曜大工が好きでよくDIY店に行くのだが、ひとまず近場の100円ショップ「ダイソー」に寄ってから、というのが常だ。あ、これは使える、これも代用できると、そこでいくつか使えるものが見つかれば、トクした気分になるわけである。
ところで、秋葉原に本社をもつ大型電気店(千葉市)の2階に、ダイソーが店舗オープンしたのは、4、5年前だった。いわば店子だが、大家の電気店はもうない。昨年のうちにクローズ(店舗撤退)して、エスカレータだけが上り下りする。2階は変わらぬにぎわいというのに、下はガランドウ――。
明暗の光景の、寂しからずや。デフレ経済下のけわしい時代模様である。
「ダイソー」(大創産業)を率いるオーナー社長、矢野博丈さんは1966年中央大学理工学部卒。「気を吐く時代の寵児」は、中大経済人のひとりだ。
日本経済新聞のリレーコーナー「こころの玉手箱」(09・11・16~)に登場して、人生のいくつかのシーンを書いている。
<父親が「手に職のつく理工系の学部でなければ大学には行かせない」と厳しかったので結局、慶応に行くことはできなかった。スポーツ推薦で慶応に行くとすれば当時は文学部しかなかったからだ。/しかし、1浪して16の大学を受けたもののすべて不合格。ようやく17番目に受けた中央大学2部(夜間)の土木工学科に受かったが、まともな就職はできず、その後の波瀾万丈の人生につながった>
「スポーツ推薦」の言葉が出てくるが、じつは高校時代、ボクシングの選手だった、という経歴話が、5回連載の中でも目をひく。
高校1年から広島市内のジムに通い始めた。2年生で広島県の代表として慶応大学との対抗戦に臨むのだ。対戦相手がアマ・フェザー級チャンピオンで東京五輪候補、のち世界ランカーともなった河合哲朗だったそうだ。それが「メチャクチャ手加減してくれた」そうである。試合前に「慶応に来てくれ」と話があったらしい。
「ノックアウトされずに、チャンピオンに善戦」――東京五輪(64年)の強化選手にも選ばれたほどである。控え選手で出場はならなかったのだが。
後年の<転職9回、夜逃げ1回、火事1回>といった波瀾万丈に重ねれば、まるで「あしたのジョー」……ではないか。いや風貌は違いますけどね。下がり眉、ずんぐり、人なつこい印象を、人気キャラクター「たれぱんだ」風、と形容した記事もあった。
大学では学部のワンダーフォーゲル部を創設して、勉強より山歩き、だったそうだ。その資金稼ぎのために、バナナのたたき売りなど仲買いのアルバイトに精だす日々。
<その間、ずっと地下足袋ですごした。授業はさぼってばかり。時たま学校に行く時も、よくその格好で向かった。東京・水道橋の坂を、地下足袋のまま歩くのが気持ち良かった。「あの学生の格好は何だ」と珍しがられて>
愉快そうに、述懐している。
「ダイソー」の本格的なチェーン展開がはじまるのは90年代からである。
すこし古い記事になるが、「アエラ」掲載「現代の肖像」(2000・7・31)は、当時の社内の様子をこう活写している。
<社長室は、階段の下にある、薄暗い物置同然のスペース。しかし部屋の主である社長の矢野は、ほとんど座ることなく、自社製品の百円ネクタイを首にぶら下げ、百円スリッパをバタバタいわせ、商談だ打ち合わせだと、ひがな一日社内をかけずり回っている>(現在は別館も建ち、新装されている)
その経営哲学を、雑誌などの発言から拾ってみよう。
「地震が起きたり、超インフレになったり、何が起きるかわからない。おまけに我々は、いつかお客様に飽きられるという宿命を背負っている。いいことがつづく人生なんて絶対、ないんです」
「(失敗の原因は? と問われて)何ですかって言われても……物ごとは失敗するようにできているのだから。いろんなことが要因で失敗しますよ」
「(大きくするのは、まだ怖いですか? の問いに)怖いです。最近ではここまできたらなるようになれと思いはじめました。なーに、最後は商社や大手流通業に買ってもらうという手もあるじゃろとね」
ある達観を含んだような人生訓と、重なって聞こえる。だから強い、「自己点検」のまなざしはきびしい。
ある新聞社主催のセミナーで「賢い消費者をどう取り込むか」という講演を頼まれたが、「賢い消費者に取り込まれることはあっても、取り込むことなんかできるわけないじゃないか!」と言って、断った。そんな話も披露している(「バリュー・クリエーター」09・11)。
「これも100円!? 安すぎる」とサプライズの声で満ちていたのに、「コレ、100円では高すぎるんじゃない。似たようなのがスーパーで98円で売っていた」なんて声も、本社のもとに寄せられるようになったという。
デフレの深さを象徴するような話である。
そこで、「自己否定で会社は生き残る」という独自の矢野哲学が立ち上がってくる。
<自己否定>――おお、全共闘世代のテーゼだよ、と懐旧の世代もあろう。
<とにかく21世紀は「しまった」と思いつづける、自己否定の積み重ねが大切です。環境が変わったのだから、自分を変えるしかない>(日経ビジネス・日経BPムック08・7・30)
「自己否定」による経営改革。そういえば、200円商品や300円商品も見かけるようになった。08年お目見えした埼玉・越谷市の「イオンレイクタウン」に入る「クールダイソー」はまるで意匠を一新。100円から1800円までの商品群を扱う。ジャスコに次ぐ客入りだという。
そんな喜ばしさは脇において、矢野社長の弁はこうだ。
「21世紀、大きく成長するという言葉は死語だ。生きていれば幸せと思わなければならない。今までが良すぎた。努力の量に比べ、得られる果実が大きすぎた。……昨年までは現役引退も視野に入れていた。だがリーマンショックと円高で特に海外の業績が急速に悪化し、初心に返って働き始めた。そうしたら、不思議と体も元気になった。……社員が全員、取引相手が見つからなかった創業当時の気持ちに立ち戻らなければいけん」(日経ビジネス09・10・19)
デフレとの「格闘技戦」――いよいよ闘志がわいてきた、ということか。