リモートワークやオンライン授業、これまでもできたはず?これからも続けていく?
中村 彰宏(なかむら あきひろ)/中央大学経済学部教授
専門分野 公共経済学
1.はじめに
コロナ禍で、世界中でテレワーク・リモートワークの普及が進んでいます[1]。物理的に移動しなくても、オンラインでつながるだけで、仕事が成立するのであれば移動時間を節約できる便益は大きいです。大学でもオンライン授業化が進んでいます。仕事でも大学の講義でも対面とオンライン、双方にメリット・デメリットがあります。利用する本人が被るメリット・デメリットを考えて、人々がどのように行動するかを予測するのが経済学の考え方です。
このような新しい形の働き方や教育方法はコロナが終息した後も残っていくのでしょうか。
2.なぜこれまでオンライン化が進まなかったのか?
テレワーク実践による便益は、従来から認識されていました。社会がその効果を認知し、受け入れていても、人々が実際に新技術・新サービスへ移行するには障害があります。今回テレワークが普及した大きな要因として、現場に行かないことを社会が許容するように変化した点が挙げられます。同種の仕事をする多くの人が一度にテレワークに切り替わったことにより、同業者と比較しても自身がテレワークをしても批判されることがなかったわけです。
オンライン授業はどうでしょうか。オンライン授業のメリットも大きいと思います。2020年度の自分自身の経験から言えば、学生の講義への出席率は対面講義より高いと感じられます。今の学生は、対面よりもテキストによるコミュニケーションに長けた世代ということもあり、質問やフィードバックの数は従来の対面での講義時よりも圧倒的に多かったのです。私自身はオンデマンド型(動画をアップして学生が自由な時間に視聴して学習する形)の授業も実施しましたが、学生からは一度視聴して分からなかった箇所を何度か見返したら理解できたというコメントもいただきました。キャンパスでの学生同士や教員との交流はとても大切なものです。一方で、移動時間が省略できることのメリットも大きかったと思います。
このようなオンライン講義のメリットはコロナ以前にもある程度は理解されていました。講義のオンライン化が進まなかったのは、教員がオンライン用の授業に切り替えることの費用も大きかったと考えられますが、他にも経済学としては気になる要因があります。それは、テレワークと同様に、自分だけが、対面ではなくオンラインで講義をすることは、何となくさぼっているように見えることが気になってしまっていた点です。日本人はその国民性として同調性が高いと形容されることがあります。他の人が自分と同じような行動をしてくれないと、自分もその行動をとりづらい。これは自分が新しい行動をすることの費用として感じられます。
3.他人の変化と自分の変化
テレワークやオンライン講義では、自分以外の人たちも同時に実践してくれたため、自分がそれらを実践することの費用が変化しました。このように、多くの人が使うほど自身の便益や費用が変化する効果をもつモノやサービスがあることが確認されています。ネットワーク外部性という効果です。例えば、自分以外にFAX利用者がいなければ、FAXを使う便益は0です。Microsoft Officeは多くの人が使っているため、他の利用者にファイル互換性の便益を発生させます。大ヒットしたゲーム機には、そのゲーム機専用アプリも多数開発され、多彩なバリエーションという便益は他の利用者にも発生します。シェアの高い自動車メーカーの車両は、メンテナンス工場の選択肢も多くなります。これらは他人が自分と同じものを選択していることが自身の便益水準に影響するネットワーク外部性の例です[2]。
ネットワーク外部性に相当する便益(あるいは費用の低下)は、初期の利用者にはほとんど感じられません。その結果、本来、多くの人がそのサービスを利用することが社会全体の便益総量が大きいとしても、普及はなかなか進みません。社会全体として新技術に移行した方が良いにもかかわらず、個々の意思では従来の形にとどまってしまうことを過剰慣性と呼びます。過剰慣性がある場合には、人々の行動を変容させるための方策がとられます。
繰り返しますが、コロナ禍で多くの人がテレワークやオンライン講義を必要に迫られて実践しました。厳密にいえば、ネットワーク外部性という捉え方はできない面もありますが、一度実践すると、そのメリットをリアルに認識します。メリットの認識のみならず、多くの人がオンラインツールをパソコンやスマホにインストールしているため、今後はウェビナーなどオンライン開催のイベントをしやすくなりました。他の人も同時にオンライン化することによって誰もがオンラインを活用しやすくなったという意味でネットワーク外部性と似た効果があったと考えられます。また、人間の心理には、自己正当化のバイアスがあります。自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう特性のことです。テレワークやオンライン授業の実践前には、自分がやっていないので、その良さを過小評価しがちです。一度自分が実践すると、今度は逆にオンライン化していないことを過小評価します。人間の心理にある自己正当化のバイアスは、一度変化したものを変化後の形にとどめる効果を持ちます。
4.普及が進みにくいものを普及させる方法
テレワークやオンライン講義のように、もともと、もっと普及が進んでもいいはずだったのになかなか普及しないサービスがあります。ネットワーク外部性や自己正当化の心理的バイアスなど、消費者が従来利用していた財・サービスを別のものに変更する際には抵抗が見られるからです。経済学では、購入先の変更や新技術への移行に伴って消費者に発生する経済的・心理的費用を総称してスイッチングコストと呼びます。
高スイッチングコスト市場で消費者の流動性を確保する施策がこれまでも観測されています。Windows10への無償移行や、フィーチャーフォンからスマートフォンへの移行に携帯電話各社が大幅割引するなど、供給側の企業がスイッチングコストを負担する試みも多く見られました。バージョンの古いOSサポートの打ち切りなどで供給側が新OSへの移行を促す例もあります。
また、クールビズでは、もともと個人としてはその実践の満足度が高いものの、他者との関係で自分だけが実践するのは周りの目が気になるという費用が発生していました。クールビズは環境省が音頭を取り、一度に普及させることにより過剰慣性を克服して定着しました。ビジネスでは、継続的に購入してくれる顧客をリピーターと言います。初めてその商品を買ってくれた顧客は、多少その商品に不満があっても、自分が購入したという事実は消せないため、自分の行動を正当化したいという気持ちが働きます。そのため、お店側は消費者になんとか最初の購入に踏み切らせる努力をします。もともと価格に見合わない品質の商品はリピートされないでしょうが、自己正当化の心理的なバイアスが働く分、リピートの方がハードルは低くなります。
多くの人が一度にオンライン化したことで、コロナ終息後も何らかの形でオンラインは残っていくのだろうと思います。
[1] 日本テレワーク協会HPなど(https://japan-telework.or.jp/tw_about/)では、テレワークは「tele=離れた所」と「work=働く」を合わせた造語であり、「ICT(情報通信技術)を利用し、時間や場所を有効に活用できる柔軟な働き方」と定義されており、リモートワークのみを指すわけではありません。
[2] ネットワーク外部性の詳しい概念などは、Michael L. Katz and Carl Shapiro (1985) "Network Externalities, Competition, and Compatibility," The American Economic Review Vol. 75, No. 3, pp. 424-440. 等を参照されたい。
中村 彰宏(なかむら あきひろ)/中央大学経済学部教授
専門分野 公共経済学愛知県出身。
1970年生まれ。
1994年慶応義塾大学商学部卒業。
2000年Yale University, Graduate School of Arts and Sciences, Department of Statistics修士課程修了。
2002年慶応義塾大学大学院商学研究科後期博士課程修了、博士(商学)。
総務省、帝塚山大学、横浜市立大学を経て2020年4月より中央大学経済学部教授。
現在の研究課題は、ICT分野、交通分野の規制・競争政策を中心に、SNS等の無料市場の市場支配力の検証や、ライドシェア・自動運転などの新しいサービスの制度設計などである。
また、主要著書に、『通信事業者選択の経済分析』(<勁草書房>、2016年)などがある。