オピニオン

「自分が感染させない行動を!」、これってずっと続けられるのでしょうか?

中村 彰宏(なかむら あきひろ)/中央大学経済学部教授
専門分野 公共経済学

1.「利他性」という行動

経済学では、人々の取引を扱って、取引の結果が望ましい結果なのかどうかを分析します。望ましい結果にならないと予測される場合には、できるだけ理想の取引結果になるように人々の行動を促す政策を考えます。

このような考え方で世の中を分析する経済学では、人々の行動を予測することが必要です。人々の行動を予測できなければ、取引の結果も予測できません。経済学での行動予測は、人々は「自分自身の便益」ができるだけ大きくなるように行動するはず、という原則に基づいています。誰もが納得できる行動原則を仮定して、複雑な人々の行動を紐解いていくのが経済学の考え方です。

「自分自身の便益」だけを最大にしようとする人間というと、他人のことは全く考えない人間を想像してしまいますが、実際にはそうではありません。現実の人間は、他者のことも配慮して行動しています。「情けは人の為ならず」という言葉があります。他人を助けることは巡り巡って自分に返ってくるという意味です。巡り巡って、とまでいかなくても、一対一の関係で、相手に配慮した行動をとれば、相手も自分に配慮してくれることはしばしばあります。自分にとって良い結果となるように他人に配慮することも「自分自身の便益」を大きくする行動と言えます。

ただ、人間は、「自分自身の便益」としては返ってこないような行動もとります。返礼がなくても寄付をする人はたくさんいるのです。「自分自身の」心が満たされるという意味では、「自分自身の便益」ということもできます。

利己的という言葉に対応して、経済学では「利他」的という言葉で表現することもあります。他人を気遣う行動である「利他」性を人はずっと持ち続けられるのでしょうか。

2.「利他性」を計測する実験

以前、「利他」性の行動を研究したことがあります。前述のとおり、経済学では市場取引を分析します。ただ、人々の「利他」性について、市場取引データを観察して分析することは困難です。いくらでどのくらいの数が取引されたか、価格が変わった時、景気が上下したりした時に、取引量がどのように変化したか等の単純な数値以上の市場取引データが得られることが稀だからです。自然科学の分野では実験をしてデータをとり、それを分析します。最近では、経済学でも同じようなアプローチがとられるようになってきました。社会実験として大規模に行うものもありますが、実験室の中で被検者に実際に取引をしてもらうのです。心理学の実験をイメージしてもらうのが近いかもしれません。私たちの実験でも、実験室に被検者を集めて取引をしてもらい人々が「利他」的な行動をとるのかを観察しました。

「利他」性に関する研究は、既にたくさんありましたので、私たちの研究グループでは「人々が利他性をずっと持ち続けられるのか」という点に注目して実験を計画しました。実験では、まず被検者同士でペアを組みました。コンピューターで自動的にペアを決め、被検者同士は誰が自分のペアであるのかを知らされません。つまり、全くの他人同士のペアで、相手が誰なのかもわからないという状態です。ペアの一方に「独裁者」、もう一方に「受取人」という役割を与えます。そこで、「独裁者」である被検者ペアの片方だけに800円を渡します。この800円を自分のペアである「受取人」と分けてくださいとお願いします。誰かも全く分からないペアの「受取人」にいくら分けてあげるかで「利他」性を計測しようと考えたのです。私たちの実験では、平均すると150円くらいを渡すという結果が得られました。もちろん、まったく相手に分け与えず自分が800円全額をもらう「独裁者」も一定数いました。一方で400円ずつ分けるというある種の公平感をもった行動をする「独裁者」もいました。

このように全く知らない他人に対しての「利他」性が観察されたのですが、私たちの興味は、「人々が利他性をずっと持ち続けられるのか」という点でした。そこで、私たちのグループでは、同じ実験を23度と繰り返すことにしたのです。その際、1回目の実験で、「独裁者」が平均してどれだけの拠出額(「受取人」へ分け与えた金額)を「受取人」に渡していたかを「独裁者」全員に知らせました。他の「独裁者」の「利他」性の程度を見せた後、2回目3回目の同じ実験を実施したのです。また、2回目3回目の実験では、その都度、元々のペアを解消し新たなペアを組みなおしました。

1回目の実験の平均的な拠出額を知った後、同じ実験を繰り返した結果、次のような実験結果が観察されました。1回目の実験の平均拠出額よりも多い金額を「受取人」に渡していた「独裁者」、すなわち相対的に「利他」性が高かった「独裁者」の多くが、2回目以降の実験では「受取人」に分ける拠出額を減らしました。一方で、1回目の実験の平均拠出額よりも少ない金額を「受取人」に渡していた「独裁者」、すなわち相対的に「利他」性が低かった「独裁者」は、変化はするものの1回目の拠出額を大きく変えることは(平均的には)少なかったのです。

3.実験結果から示唆されるのは

実験結果から、人々が他人を配慮する気持ちの多寡は、周りの人々の行動を観察すると変化しやすいと想像されます。もちろん、なぜこのような実験結果になったのか、その理由を実験結果から判断できるわけではありません。他の「独裁者」よりも多くの金額を自分のペアの「受取人」に渡していた「独裁者」は、他の「独裁者」の行動を見て、もう少し自分自身の便益、すなわち、自分自身が得られる分け前(便益)を増やしても良いかと考えたのかもしれません。

2021年の年明けにこの記事を書いていますが、コロナ禍で首都圏では二回目の緊急事態宣言が出されました。飲食店に対する時短要請が出されています。コロナに関しては、まだまだ未知な部分があります。これまでに分かった事実を積み上げても、完全に感染防止をすることは難しいのかもしれません。一方で、感染防止策は、自分が感染しないようにするということと同時に、自分が感染させないようにするという点が強調されています。後者については、「利他」性の部分です。私たちの実験結果を考慮すると、自分が感染させないようにする「利他」的な行動については、他の人の行動を観察した後には、変化しやすいと予測できます。

冒頭に述べたように、人々の行動を予測して、理想的な結果となるように対策をたてるというのが経済学の考え方です。人々に「利他」性を伴う行動を継続的に実施することを促すには、私たちの実験結果のような行動変化を加味した対策が必要だと考えられます。

中村 彰宏(なかむら あきひろ)/中央大学経済学部教授
専門分野 公共経済学

愛知県出身。
1970年生まれ。
1994年慶応義塾大学商学部卒業。
2000年Yale University, Graduate School of Arts and Sciences, Department of Statistics修士課程修了。
2002年慶応義塾大学大学院商学研究科後期博士課程修了、博士(商学)。
総務省、帝塚山大学、横浜市立大学を経て2020年4月より中央大学経済学部教授。
現在の研究課題は、ICT分野、交通分野の規制・競争政策を中心に、SNS等の無料市場の市場支配力の検証や、ライドシェア・自動運転などの新しいサービスの制度設計などである。
また、主要著書に、『通信事業者選択の経済分析』(<勁草書房>、2016年)などがある。