児童文学への招待
池田 正孝(いけだ まさよし)/中央大学名誉教授
専門分野 中小企業論
今回私はエクスナレッジ社より『世界の児童文学をめぐる旅』を上梓しました。この本は、皆さんよくご存じの『不思議の国のアリス』『ピーターラビットのおはなし』『秘密の花園』『ニルスのふしぎな旅』など世界名作の舞台を訪ね、写真に収め、物語の背景と創作の源泉を紹介したものです。
この本の題名どおり、私は世界中をめぐり、各国の児童文学作品の舞台を探し求めましたが、とりわけその中心となったのが英国の作品です。そこでは物語の世界が架空のものでなく、眼前にはっきりと捉えられており、その背後にはあらかじめ実在する舞台やモデルがきちんと設定されているのです。
その題材として取りあげられた舞台たるや、2000年前のローマ軍団の砦であったり(サトクリフ作「ローマンブリテン物語」)、スコットランドのメアリ女王が幽閉されていたマナーハウスであったり(アリソン・アトリー作『時の旅人』)、つるバラの咲き誇るバラ園であったり(バーネット作『秘密の花園』)、その舞台や時代はまちまちですが、そこに共通することは、今も現実に存在していて訪ねようとすれば容易に辿りつくことができる点です。
申し遅れましたが、私が児童文学の舞台探索の企画を思いついたのは、今から40年も前のことです。その頃私は中央大学経済学部の教員でした。大学での専門は中小企業論でして、児童文学はそれと関係のない趣味の世界でしたから、多額の費用と労力をかけて児童文学作品の舞台探求の旅を実行することなど、当時の状況では考えられない事態でした。
ところが妙な巡り合わせで、この企画が突然軌道にのり始めます。1980年代、日本の自動車産業は急速に国際競争力をつけて、米国市場を制覇せんばかりの勢いをみせたところから、日米両国間に輸出削減をめぐって深刻なトラブルが生じます。こうした状況の中で日本車躍進の秘密を解明すべくMIT(マサチューセッツ工科大)が中心となって「国際自動車プログラム」が組織され、私も下請企業研究者の立場からその一員として加わりました。
それ以来、欧米自動車産業調査が何度となく繰り返され、その余暇を活用して欧州各国の児童文学名作の舞台めぐりが実現し、予想を超えた成果をあげることが出来ました。
さて、こうして集められたスライド写真と資料はテーマ別に編集され、解説を加えられて、その後、全国の公立図書館や児童文庫などの集いに招かれて「児童文学をめぐる旅」の題目でスライド上映会を上映してきました。それまでに編集されたスライド写真はテーマ別にして46作品にのぼり、最近20年間に催されたスライド会は1000回近くに達します。そのいずれもが、3,40人の小規模な会でして、このボランティア組織は東北地方から西は沖縄まで拡げられました。
この会に参加された方々からは「作品の世界がくっきりイメージ化できた。」「居ながらにして海外旅行を楽しめた。」「この機会にもう一度本を読み直してみたい。」といった驚きと喜びの感想がたくさん寄せられました。その中には「児童文学をめぐる旅を題材にスライド写真を入れて本にまとめて欲しい。」という要望もいくつもいただきました。
この要望は多忙なボランティア活動にかまけて、その実現はのびのびとなっていましたが、2019年末エクスナレッジからの要請を受けて執筆に取りかかり、2020年10月刊行の運びとなりました。
さて、長年児童文学作品に接してきて、改めて感じることは、児童文学の優れた作品(これは児童文学の宝庫と呼ばれる英国に断然多い)においては、その物語の背後に確かな舞台やモデルが実在していて、それらを探し求めることで物語への新たな興味が広げられ深められるのです。
この児童文学の新しい楽しみ方に魅せられた私は、人生の後半をかけてその探索の旅を飽くことなく続け、その成果を児童文学愛好のお母さん方にお伝えして参りました。実際、その発見がどんなに素晴らしいものであったか、その発見によってどんなに私が歓喜に満ち溢れたかは、本書の中の『運命の騎士』や『時の旅人』『トムは真夜中の庭で』の章を一読されればお分かりいただけると信じます。
「子どもたちにとって児童文学は宝物探しである。」と言われますが、戦時中に育ち、良書に出合う機会を逸した私は、大人になって子どものとき果たせなかった宝物探しを体験した想いです。しかし本心を語るならば、宝物探しは矢張り子ども時代にしたかった。その意味では現在ゲームなどで読書ばなれしている子どもたちに是非とも優れた児童書に引き合わせ、宝物探しの喜びをたっぷり味あわせたい。これが私の心からの願いです。
池田 正孝(いけだ まさよし)/中央大学名誉教授
専門分野 中小企業論1932年栃木県生まれ。
東京子ども図書館元評議員、理事。児童文学に情熱をそそぎ、物語の舞台を訪ねゆかりの風物を撮影している。
2011年日英協会賞受賞。