サイバー攻撃の脅威
四方 光/中央大学法学部教授
専門分野 刑事法学
サイバー攻撃の脅威
現代の社会経済は、サイバー空間を抜きにしては語れない。インターネットが学問的にも重要なのは、それが人類の生活に大きな利便を提供しているからだけではなく、人類の歴史上、空前の速度で社会経済の変化をもたらしているからである。サイバー空間上の時間の流れは、現実空間のそれに比べて数倍早いとされ、そのことを指して「ドッグ・イヤー」という。犬の寿命は人間の寿命の何分の一かしかないから、犬にとっては一年の速さが人間の何倍も速いはずだとして、時間の流れの速いことをこう呼ぶのである。
そして、新たな仕組は、いつも完璧なものとしては誕生しない。何かしら不完全なものを伴って現れ、人々に使われながら改善されていく。サイバー空間の仕組でいえば、新たなプラットフォームには、必ず予想しない脆弱性があり、人々が利用する中で問題点を発見し、改善がなされていく。ドッグ・イヤーの時間の流れにあるサイバー空間では、このサイクルが回るのも非常に速い。
サイバー空間の犯罪者は、このようにして次々に現れる新しいプラットフォームの新しい脆弱性を、誰よりも早く発見して、大きな利益を生む犯罪機会を見つけていく。被害が生じるとプラットフォーマーは急いで脆弱性を解消するが、その前に犯罪者は十分な利益をあげて、次の脆弱性の発見に向かう。
このように、犯罪者の犯罪機会の源泉となるシステムの脆弱性が、サイバー空間において構造的に次々と生ずることが、サイバー攻撃の脅威の本質の一つである。
伝統的な犯罪対策はサイバー攻撃にも通用するか
犯罪学は、犯罪者が被害者を発見し、これを攻撃する犯罪機会を得て犯行に至ると考える。そこで、犯罪学は、犯罪者を生まないようにする対策、被害者を守る対策、犯罪機会を減らす対策という3つの犯罪対策を研究してきた。サイバー犯罪についても、この3つの対策について考えることとなる。
第一に、サイバー空間の犯罪者は、どのようにして生まれるのであろうか。現代の子どもたちにとっては、サイバー空間は、重要な育ちの場となっている。このことが子どもの発達成長にどのような影響を及ぼすのか、心理学においても研究は始まったばかりのようである。犯罪学においても、海外では、いわゆるハッカー文化の影響などの研究が始められているが、日本では研究者がほとんどいない。
第二に、被害者を守る対策であるが、個人や企業の保有するシステムを守るための技術は、いわゆるセキュリティベンダーによって開発、提供されているが、上述したように、新たな攻撃に対して、これを撃退する技術は、必ず後追いの形で構築されるので、若干なりともタイムラグを生じざるを得ない。それでも、早めの対応をすれば、被害は相当防げるのであるが、攻撃の対象となる個人や企業自身の防御の意識が必ずしも高くないことが犯罪被害を拡大する。防御の弱い個人や企業のシステムは、知らないうちに犯罪者に乗っ取られて「ボット」という犯罪者の部下にされ、犯罪者に手を貸すこととなる。
第三に、犯罪機会を減らす対策であるが、サイバー空間の創造者たるプラットフォーマーは、プラットフォーム開発時からセキュリティを十分に意識するとともに、脆弱性をいち早く発見してこれを解消する対策を講じる必要がある。大手のICT企業は、その必要性を十分認識し、必要な対策を講じているように思われるが、すべてのICT事業者が十分な意識をもって十分な対策を講じているとは言い難いのではないか。
犯罪者の発見・検挙は、犯罪学では犯罪機会の減少対策として論じられることが多い。サイバー空間における犯罪者の発見・検挙活動は、現実世界におけるよりずっと困難である。その困難の原因には、技術上の困難性と法律上の困難性がある。技術上の困難性としては、匿名性の高さ、通信記録の不保存、犯罪行為の隠匿の容易さなどが挙げられる。
以上のように見てくると、従来の犯罪学が行ってきた、犯罪者を生まないようにする対策、被害者を守る対策、犯罪機会を減らす対策という3つの犯罪対策を研究するという方向性は、サイバー犯罪においても間違ってはいないようである。しかし、それぞれの対策を立案・遂行する速度が、サイバー犯罪に対しては、従来の犯罪とは異なって圧倒的に速くなければならないのであるが、そのような迅速な対処を行うことができる態勢にはなっていない点に問題がありそうである。
法律学はサイバー犯罪の急激な変化に迅速に対応しなければならない
上述したように、サイバー犯罪の犯罪者の発見・検挙には、法律上の困難がある。具体的には、現実世界の活動と異なり、インターネット上の活動は憲法上の「通信」や「表現」としてとらえられることから、現実世界の捜査であれば任意捜査として行うことができるようなことの多くが、裁判所の令状を必要とする強制捜査として行わなければならないことが挙げられる。
さらにより問題なのは、インターネット上の活動はそのほとんどが国境を軽々と超えて世界規模で行われるのが日常となっているのに対し、犯罪捜査をはじめとする司法活動には厳然とした国境の壁があることである。捜査権や国家刑罰権は、国家主権の重要な一部であるからである。ウェブページの閲覧のような任意活動は他国の主権を侵害するものではないとの共通認識は形成されているが、強制捜査は他国では行うことができず、あくまで国際捜査共助ないし国際司法共助の手続によって行わなければならない。しかし、そのためには1件当たり数か月の期間を要し、それだけ待っても回答がないことすらある。
これらの問題は、日本だけでなく、諸外国でも生じている問題である。各国では、サイバー犯罪の特性に合わせた法改正が徐々に行われているが、どこの国も、サイバー犯罪の変化の速度に十分には対応できていないように見える。さらに難しいのは、国際捜査共助の枠組みのように、諸国の合意をみなければならない国際刑事法における対応である。
刑事法学をはじめ法律学は、自由な発想をもって、以上のようなサイバー空間、サイバー犯罪の急速な変化に対応して、迅速な立法等の後押しをしなければならない立場にあるといえる。ましてや、現実空間だけに通用した過去の発想に拘泥して、迅速な対処を妨げるようなことのないよう自戒しなければならないであろう。
- 四方 光(しかた・こう)/中央大学法学部教授
専門分野 刑事法学 - 東京都出身。1963年生まれ。1987年東京大学経済学部卒業。同年警察庁入庁。
1997年米国ミシガン大学大学院行政管理学修士課程修了。
2007年中央大学大学院総合政策学科博士後期課程修了。博士(総合政策)
警察政策研究センター教授、神奈川県警察本部刑事部長、警察庁情報技術犯罪対策課長、慶應義塾大学総合政策学部教授、警察庁国際課長、特別捜査幹部研修所長等を経て、2018年4月より現職
研究課題は、当面は各論として、サイバー犯罪やストーカー犯罪など対策が確立されていない現代的犯罪への対処を研究しつつ、長期的には総論的研究として、複雑系システム論に基づく犯罪学・刑事政策学の構築を目指している。
主な著書として、『社会安全政策のシステム論的展開』(成文堂、2007年)、『サイバー犯罪対策概論』(立花書房、2014年)がある。