国際貿易の現状と今思うこと
小森谷 徳純/中央大学経済学部准教授
専門分野 国際貿易論、国際経済政策
国際貿易を取り巻く現在の状況
2017年1月にドナルド・トランプ氏が米国大統領に就任してから、国際貿易を取り巻く状況が騒がしい。就任直後の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)離脱を皮切りに、2018年3月には鉄鋼・アルミ輸入制限が発動された。また同年7月に始まった対中制裁関税の引き上げは第1弾から第3弾までが実施されている。そして2019年に入っても安全保障上の懸念を理由とした華為技術(ファーウェイ)に対する事実上の輸出禁止規制や、すべての中国製品に対する関税率を25%まで引き上げる対中制裁関税第4弾に関するせめぎあいが続いている。また、このような米国の通商政策の対象となった国々も直ちに反応し、EUや中国も対抗措置として米国製品に対する関税率を高めた(報復関税)。
この政府間の応酬を企業も静観してはいない。米国の制裁関税に対するEUや中国の報復関税の結果を受けて、米国のハーレーダビッドソンには中国向けの輸出拠点を米国からタイへ、欧州向けの輸出車を現地生産に切り替える動きがある(日本経済新聞2019年4月24日夕刊)。別のケースでは米国の対中制裁関税の発動後、中国から米国への輸出が減る一方で、中国からベトナム、台湾、メキシコへの、同国々から米国への輸出が増加しているとも報じられている(日本経済新聞2019年6月1日朝刊)。つまり企業は直接投資(Foreign Direct Investment, FDI)によって高い関税を回避したり(Tariff-jumping FDIと呼ばれる)、迂回輸出をしたりしているのである。
国際経済学を学び研究し、講義しているものとしては、この状況はある意味とても興味深く、ある意味とても歯痒く思える。なぜなら学部生向けの教科書に載っていることが次々と目の前に起こってきているからである。
国際経済学の基礎で学ぶこと
私が学部生として初めて国際経済学を学んでから約20年が経った。この間に国際貿易の研究には確かに大きな進展があった。もっとも大きな進展は2003年に刊行された現ハーバード大学のマーク・メリッツ教授の論文を理論的な基礎とする新々貿易理論の誕生である。これにより同一産業内でも企業間で輸出や直接投資といった海外展開に違いがあることを理論的に上手く説明できるようになった。もう1つはミクロデータを用いた実証研究の発展である。他の多くの分野においてもデータの整備、計算能力の向上、分析手法の進化が相まって実証研究が発展したが、特に国際貿易研究においては、先に述べた新々貿易理論との関係もあって様々なことが明らかになってきたといえる。
新々貿易理論は既に学部向けの教科書に載るまでになっているが、私が教室の机に座っていたときにも、そして教壇に立っている今も、国際貿易論の基礎でまず学ぶ内容には「交換の利益」と「特化の利益」とからなる貿易利益、貿易政策の弊害が必ず含まれる。貿易は一国が消費するすべての種類の財を自国で生産する必要を無くす。これにより各国が非効率的な産業から効率的な産業へ生産資源を移動させることを可能にし、この生産資源の移動によってより豊かな消費を実現できる。これが特化の利益である。自由貿易へ向かう動きはこの利益を拡大するし、自由貿易から離れる動きは逆にこの利益を縮小する。
また国際価格に影響を与えることができる大国であれば輸入関税によって経済厚生を上昇させることができることも、大抵の教科書で説明されている。だが、そこにはそのような政策が他国に迷惑をかける近隣窮乏化政策であること、そして相手国の報復を生み、関税上昇を繰り返し、高関税を課しあう状態に陥ることも必ず書かれている。これらのことを現実として目撃しながら、教壇で説明することになるとは予想だにしなかった。
現在の状況の受け止め方
現在の状況が普通でないことを理解するために、「保護主義」、「貿易摩擦」、そして「貿易戦争」という言葉が『日本経済新聞朝刊』の記事にどの程度用いられているのかを年ごとにまとめてみた。日経テレコンを使用して1991年から2019年(7月10日まで)の29年間について、それぞれの言葉のヒット数を集計した結果が図1である。
1990年代冒頭は保護主義(青線)も貿易摩擦(橙色線)が比較的多くヒットするが、保護主義については東西冷戦後の世界経済の停滞に、貿易摩擦については日米貿易摩擦によるところが大きいと考えられる。前年のリーマン・ショックを受け各国に保護主義的な動きがあった2009年にも保護主義は多くヒットする。実際に2009年11月22日の記事には、「世界貿易機関(WTO)の調査で金融・経済危機が深刻化した2008年10月以降、52カ国・地域が計290件の保護貿易措置を導入したことが分かった。」と記されている。なおショックによる一時的な保護主義の高まりなので、この時は貿易摩擦という言葉はほぼ用いられていない。
このリーマン・ショック時でも保護主義のヒット数は2008年が145件、2009年が349件あるのに対して、ここ数年のヒット数は2015年の61件が2016年に278件に急増した後、2017年が595件、そして2018年が685件である。またリーマン・ショック時とは異なり、今回は保護主義が貿易摩擦も引き起こしている。その証拠に貿易摩擦という言葉のヒット数は 2016年の37件から2017年の82件と増加し、そして2018年には1470件と爆発的に増加し、保護主義のそれを超えた。それに加えて、これまでほとんどヒットしてこなかった貿易戦争(灰色線)という言葉の使用数までもが劇的に増加していることがわかる。これだけでも現在の状況が少なくとも過去約30年間でいかに異質であるか、そして問題が大きなものであるかが理解できる。
図1: 新聞記事でみる関心の高まり(日本経済新聞朝刊において)
今こそ考えるべきこと
このように保護主義や貿易摩擦がこれまでになく話題になっている状況であるので、国際貿易、国際経済に対する学生の関心が高まっているかと思いきや、残念ながらその実感はない。もしかするとキャンパスの外においても関心のある人々と関心のない人々とに、はっきりと分かれてしまっているのかもしれない。そこで本稿の最後に2つのことを述べておきたい。
1つ目はいかにして貿易利益を追求するかにまつわることである。貿易利益を説明するときには、消費者あるいは生産者、労働者あるいは資本の所有者など、立場の違いによって貿易自由化や貿易政策の導入から受ける影響が大きく異なることも同時に説明されている。一部のグループに与える負の影響に十分な配慮をすることと、一部のグループの利益だけを重視することとは似て非なるものである。一国全体としての貿易利益をどのように追求していくかをあらためて多くの人々の関心を喚起し、議論する必要がある。
2つ目は貿易自由化への歩みとその安定性についてである。図2は財政金融統計月報第795号の104ページ「(参考)2.関税改正と関税負担率等の推移」からの転載であるが、私がこの図を好んで講義で使用している。ここには明治元年以降の有税品輸入比率(実線)、関税負担率(細破線)などが描かれているが、細かすぎて詳細は見て取れないとしても、そのトレンドは理解することができる。第2次世界大戦後、局所的な上下動はあるにせよ、我が国は貿易自由化に向かって歩んできた。これは他の多くの国々も同様である。私たちが暮らす今日の世界は、多くの人々の仕事によって築き上げられたものである。しかしそれを安定した状態と楽観的に思える根拠はどこにもない。
図2:関税改正と関税負担率等の推移(財政金融統計月報第795号より転載)
- 小森谷 徳純(こもりや・よしまさ)/中央大学経済学部准教授
専門分野 国際貿易論、国際経済政策 - 神奈川県横浜市出身。1976年生まれ。2000年横浜国立大学経済学部卒業。
一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、同博士課程単位取得退学を経て、博士経済学(一橋大学)。
2009年中央大学経済学部に助教として着任し、2013年より現職,専門は国際貿易論。特に直接投資・企業の海外展開と貿易政策との関係を理論的に考察している。また企業の海外展開と国際課税についても研究中。
主要論文・著書に、“Stay or Leave? Choice of Plant Location with Cost Heterogeneity,”Japanese Economic Review, 2010(石川城太氏との共著)、『金融危機後の世界経済の課題』中央大学出版部,2015年(中條誠一氏との共編)がある。