ポピュリズムは、民主主義への脅威か?
古賀 光生/中央大学法学部准教授
専門分野 政治学
ポピュリズムとは何か?
近年、「ポピュリスト」と呼ばれる政治指導者が、世界各地で支持を集めています。アメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領や、フランスのマリーヌ・ルペン国民連合党首などの政治家が、その代表格と目されています。この現象の原因を探るべく、「ポピュリズム」をめぐる研究の蓄積は飛躍的に増大し、日々、新たな成果が発表されています。
しかし、これほどまでに注目を集めながら、ポピュリズムとは何か、という問いについては、専門家の間でも一致した見解が得られるに至っていません。そもそも、ポピュリズムが、"-ism"の語から想起されるような、何らかの一貫した価値体系を備えたイデオロギーであるのか、それとも、政治的な手法を指すのかについても、専門家の間では議論が分かれています。そのため、「誰がポピュリストか」については、緩やかながら、一定の合意があるものの、その根拠については、論者によってまちまち、という事態が続いています。
ポピュリズムの何が問題か?
ポピュリズムの定義と並んで、近年、ポピュリズムの影響についても議論の対象となっています。一方では、トランプ大統領やハンガリーのオルバン首相の排外主義的な姿勢、あるいは、強権的な手法を念頭に、ポピュリズムが民主主義を脅かす、という主張がなされます。他方、こうした懸念を共有しながらも、背景にある既存の政治体制の制度疲労を指摘して、ポピュリズムは「民主主義の自己刷新作用」、あるいは、「改革のエンジン」であると主張する論者も少なくありません。
ポピュリズムへの懸念を表明する人々の中には、この語に「大衆迎合主義」との訳語を当てて、非理性的な、あるいは、反知性主義的な「大衆」の短絡的な欲求に「迎合」するのがポピュリズムである、と非難します。たしかに、現実のポピュリストたちを見れば、時には事実に反する主張を展開しつつ人々の不安に付け込み、分かりやすい「敵」を設定して分断を煽るような政治家も少なくありませんから、こうした主張には説得力があります。
しかし、こうした手法そのものはポピュリズムに固有とは言えません。残念ながら、選挙の場において、多くの政治勢力が、自らへの支持を拡大するために競争相手を貶める手法を用いています。さらに、「大衆迎合」との語彙は、一般的な有権者たちを無知な存在として見下すだけでなく、専門家たち、あるいはエリートたちが、特定の領域においては無謬の存在であるかのような誤解を招く表現であるように思われます。実際に何か専門分野を持つ人たちは、たとえ範囲を狭く限定したとしても、専門知識そのものの限界や実際の社会問題の複合的な性格から、自身の専門知だけでは問題を解決できないことを知っているはずです。むしろ、特定の専門性を根拠に万能感を持つような人々こそ、否定的な意味での「大衆」と呼ぶにふさわしい存在でしょう。
ポピュリズムは、民主主義と同義か?
それでは、具体的なポピュストたちと切り離して、純粋な思想としてのポピュリズムを抽出できたとすれば、それは、民主主義と合致する思想なのでしょうか。思想としてのポピュリズムは、「民意こそが政治的意思決定の唯一の正統性の源泉である」と考えます。この原理は、ルソーの一般意思の議論にも似て、人民主権の理想を体現しているように見えます。この思想からは、多くのポピュリストが唱える「選挙で勝利した政治勢力は、すべてを決定できる」「政治的な意思決定は、究極において、すべて国民投票で決定すればよい」という主張が導き出せます。
この主張のどこに問題があるのかを考えるには、民主主義の原理に合致しながら、ポピュリズムとは異なる発想を考察するのが適切でしょう。まず、ポピュリズムと緊張関係にある思想の一つに、立憲主義の思想があります。多くの国で、独立した司法機関が違憲立法審査権を有しており、たとえ、議会が全会一致で可決した法律であっても、憲法に違反するものは無効とすることができます。裁判官は、国民が選ぶわけではなく、民意を反映させる存在でもありません。このしくみは、一見、民主主義と矛盾するように見えます。しかし、思想・信条の自由や言論の自由をはじめ、個人の権利の尊重こそが健全な民主政治の根幹です。そのため、あらかじめ多数決ですら決定できない領域を確保しておくことが、実は、民主主義を守ることにつながるのです。中央銀行の独立や食品や環境規制に関する専門家集団による評価などのしくみは、程度は異なりますが、類似の発想に基づきます。
また、「民意による決定」は尊重しつつも、ポピュリストたちが「一枚岩の民意が既に存在する」ことを暗黙の了解としていることに異議を唱える考え方もあります。例えば、利益集団多元主義のように、多様な利害が存在することを前提として、それらを基礎に人々が自由に集団を組織して、集団ごとの競争や連携を通じて合意を形成することを目指すしくみもあります。あるいは、「民意」とは、常に移り変わるものであることを前提としながら、議論を通じて合意を創出する努力を重視する仕組みもあります。熟議民主主義は、こうした発想に根ざしていいますし、議会制民主主義も、そもそもは、こうした試みを具体化するためのしくみです。
ポピュリズムが脅かすもの
もちろん、ポピュリストたちが支持を集める背景には、代議制をはじめ、これまでの政治のしくみが多くの人々から支持を失っている現状があります。それでも、ポピュリズムが、「民意こそすべて」であり、「選挙ですべてを決められる」と考えるのであれば、それは、民主主義の最も重要な側面を強調するあまり、別の側面を過小評価しており、民主主義の根幹を脅かしかねない考え方です。具体的には、個人の権利、とりわけ、言論の自由や法の下の平等は、選挙や議会における多数決でも、揺るがしてはならないことを、ポピュリズムは過小評価する傾向があります。
ポピュリズムとは何かを考えるためには、民主主義とは何かを考えることが不可欠です。既存の政治制度を批判的に検討する姿勢を維持しながらも、そのような制度の背後にある発想を再度確認することが、ポピュリズムと対峙するうえで重要な手掛かりとなるでしょう。
- 古賀 光生(こが・みつお)/中央大学法学部准教授
専門分野 政治学 - 東京都出身。1978年生まれ。2003年東京大学法学部卒業。2010年東京大学法学政治学研究科単位取得。博士(法学)(東京大学)。立教大学法学部助教、二松学舎大学国際政治経済学部専任講師を経て、2016年より現職。専門は、比較政治・比較政治史。オーストリア自由党を中心に、特に政党組織に着目して、西欧の急進右翼・右翼ポピュリスト政党の比較研究を行う。近著として、水島治郎編『保守の比較政治学』岩波書店、2016年、岩崎正洋編『大統領制化の比較政治学』ミネルヴァ書房、2019年(いずれも共著)。