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長島 佐恵子

長島 佐恵子 【略歴

ハラスメント防止啓発キャンペーン<アルコールハラスメントとLGBT>を終えて

長島 佐恵子/中央大学法学部准教授
専門分野 イギリス小説、ジェンダー/セクシュアリティ論

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はじめに

 中央大学では、毎年秋にハラスメント防止啓発キャンペーン週間を実施し、企画の一環として学生有志NHP(Non Harassment Project)による寸劇上演をしている。2016年10月のキャンペーン週間にはNHPの学生に加えて「多様な性について考える」学生サークルmimosaの協力も得て、性的少数者へのハラスメントについて寸劇で取り上げることができた。本稿では特にこの寸劇について考えながら、本年のキャンペーンを振り返ってみたい。

キャンペーンと寸劇の概要

 学生達が選んだ今年のキャンペーンのテーマは「アルコールハラスメントとLGBT」だった。LGBTという表記は、すでに一般的かと思うが、同性に恋愛感情や性的関心が向かう同性愛(Lesbian, Gay)、同性・異性ともに恋愛や性的な対象になりうる両性愛(Bisexual)、そして与えられた性別に違和を抱くトランスジェンダー(Transgender)の頭文字を取ったものだ。振り分けられた性別を受け入れ、異性のみを恋愛や性的な対象とするのが規範となっている今の社会において、LGBTは性的指向(恋愛感情や性的関心が向かう対象の性別による分類)や性自認(自分が帰属する性別の認識)が多数派と異なる少数派の総称として使われている。[1]

 キャンペーンでは、こうした基本情報をプリントにまとめて寸劇の会場で配布してから上演を行った。舞台設定はサークルの学生の飲み会である。先輩後輩の上下関係の元、無理やりお酒を飲ませたり飲まされたり、という中で、一人の学生が、同席する友人が同性愛者であることをうっかり明かしてしまう。暴露された学生は動揺しつつ誤摩化そうとするが、先輩達から不躾な質問や興味本位のからかいの言葉を浴びせられる、という筋書きだ。本編終了後、演者の学生達が役になり切ったまま司会者からの質問に答える形で、「秘密」を暴露された学生が内心どんなにショックを受けたか、信頼して打ち明けてくれた友人の「秘密」を暴露してしまった学生の後悔、からかっていた先輩達がどれだけ事態を軽く捉えていたのかなども示し、問題の所在を分かりやすく示す仕掛けとなっている。(さらにキャンペーン期間中は図書館下の展示スペースでポスター展示による情報提供も行った。)

クローゼットとカミングアウト/アウティング

 この寸劇のように、特に性的少数者について、本人の了解なしにその人の性的指向や性自認を明かしてしまうことを「アウティング」という。一方で、本人が自分の意志で他人に告げると「カミングアウト」になる。規範から外れる性のあり方を隠す「クローゼット」から、引きずり出される場合と自ら出てくる場合、それぞれの隠喩表現である。

 ではそもそも「クローゼット」とはどのような概念なのか。まず(残念なことだが)性的少数者であることはいまだに社会的なスティグマ(ネガティブな属性を持つ人物だという烙印)になりうる。さらに、あくまで性別違和がなく異性のみを対象とする規範を自明と捉え「他人も自分と同様に性別違和を持たず異性のみを相手とする」という前提で人と接している人が多いだろう。つまり、多くの場合、「目の前にいる人は性的少数者ではない」というのが出発点となる。

 これは性的少数者の側から見ると、存在が最初から見えないようにされる仕組みである。クローゼットという比喩から、カミングアウトについても洋服をしまったり出したりするように、自分について隠すか出すかは最初から当人の決定だと思われることもあるが、実際には当事者が選択する前に「ないもの」として片付けられてしまっているのであって、ことさらに自ら隠すところから始まる訳ではないのだ。

 アウティングの問題性も同様である。アウティングについて論じる際に、誰にでも人に知られたくない秘密はある、勝手に秘密をばらすのは良くないがわざわざ特別な事象のように語る必要があるのか、という論調も見られるが、こうして構造的に「ないもの」とされた上で、一方では自分のアイデンティティに関する間違った推測(「性的少数者ではない」)を押し付けられ、他方ではその間違いを「正す」ことがネガティブなスティグマの顕在化というリスクを伴う葛藤を生きる状況を想像してみれば、一般的な秘密の有無とは異なる性質が見えてくるだろう。

キャンペーンと寸劇の目指すところ

 キャンペーンの寸劇が目指すのは、ひとつには、こうした不均衡な力関係の可視化である。アウティングの瞬間だけに注目するのではなく、そこに至るまでの経緯やその場を構成する人間関係、起きてしまったアウティングについてそれぞれの登場人物がどう感じ考えたのかまで舞台上で明かすことで、複眼的な状況理解につなげる試みだ。また、居酒屋での飲み会という学生に身近な設定も、もし自分がその場にいたらどういう役割だっただろうか、どう行動出来ただろうか、と想像し、何らかの形で「自分ごと」としての介入の可能性を見いだすシミュレーションの経験になったのではないか。

 大学がこうした不均衡やそこから生じる問題を認識しており、学生とも協力しながらその是正に取り組んでいることを示すという点で、こうしたキャンペーンや寸劇企画の意義は大きい。一方的に課された「秘密」の重さを負いつつ管理する苦労も、それが暴露されたときの痛みも、現状では少数者の側に大きくかかってくる。一方で、クローゼットの存在自体が認識されない仕組みのままでは、カミングアウトを受けて適切に振る舞えなかったり悪気なくアウティングをしてしまったりという可能性を減ずることも難しい。このような構図を分かりやすく示し、そこから生じる問題の解決に共にあたるための手段として、寸劇という形式は効果的だと思う。

これからの大学の取り組み

 ここまで学生に焦点を当ててきたが、実はこうした寸劇企画やキャンペーンの実施は教職員にとっても貴重な学びの機会である。アルコールの強要や性的少数者へのハラスメントを学生達が実際にどのように経験しどう対処しているのか、現状の一端に触れることから、教職員もそれらを「自分ごと」として振り返ることが重要だ。今回の寸劇は12月12日(月)の昼休みに、今度はボランティアセンターと学生相談室とも共催で再演が決まっている。このような機会を通じて学内諸機関の協力関係を強め、ハラスメント防止啓発のためのより充実した体制作りが実現するように願う。

学内での相談窓口

ハラスメントに関する相談をしたい場合:新規ウィンドウ

多様な性について考えるサークル、中央大学mimosaの連絡先新規ウィンドウ

  1. ^ LGBTが殆ど同性愛と同義であるかのように使われていることがあるが、それぞれ異なるニーズを持つ性的指向や性自認のあり方の総称であることに留意してほしい。
長島 佐恵子(ながしま・さえこ)/中央大学法学部准教授
専門分野 イギリス小説、ジェンダー/セクシュアリティ論
東京都出身
1994年東京大学文学部卒業
1997年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了
2000年ヨーク大学(英国)修士課程修了
中央大学法学部専任講師を経て2008年より現職
現在の研究課題は、主に20世紀前半の英国の小説におけるジェンダー/セクシュアリティにまつわる表象分析
専門分野はイギリス小説、ジェンダー/セクシュアリティ論、クィア批評