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中西 又三

中西 又三【略歴

18歳選挙権を押しつけられた選挙権にしないために

中西 又三/中央大学名誉教授
専門分野 行政法、公務員法等

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1 憲法と選挙権

 昨年(平成27年)公職選挙法が改正されて、選挙権年齢が18歳に引き下げられ、今年の6月から施行されることになりました。70年ぶりの「快挙」として、大々的な宣伝がされています。それはそれでよいのですが、今日までの選挙権拡大の歴史からすると、違いがあります。成年男子普通選挙権にせよ、選挙権の女性への拡大にせよ、その背後には、国民の間に選挙権拡大の強い要求があり、幾度もの挫折を経て、獲得されてきたからです。また法的には選挙権が保障されても、その自由な実現は、しばしば、自由な言論や活動を暴力的に抑圧しようする動きに晒されてきました。それは文字通り「血と涙」・「命」と引き替えに確立されてきたものです。そういった歴史的経過を憲法97条は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」としています。憲法は公務員の選挙について成年による普通選挙を保障し(15条2項)、国会の両議院の選挙人の資格は法律で定めることとし(44条1項)、それを定めるにあたっては、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない(同条2項)としています。これを受けて現行の公職選挙法(公選法)9条1項は、日本国民で年齢18年以上の者は、衆議院議員及び参議院議員の選挙権を有するとしています。

2 憲法改正手続法と公選法

 ところで今回選挙権年齢を18歳としたことの理由はどこにあるのでしょうか。国民の側、特に20歳未満の人々から選挙権年齢を18歳にすべきだとの強い要求があったようには見えません。あまり知らされていませんが、今回の選挙権年齢の引き下げの方向はすでに憲法改正手続法(平成26年法律75号)附則3項によって定められていました。つまり、憲法改正手続法が、18歳以上の国民に憲法改正国民投票の権利を与え(3条)、この法律の施行後できるだけ早く、18歳以上20歳未満の人が国政選挙に参加することができるように必要な措置をとることとしていたのです。今回の公選法改正は、この規定を受けて、憲法改正手続法の制定後1年で、選挙権年齢を全体として引き下げたことになります。当初は4年以内にそのような方法をとるとされていました(附則2項)。この場合、国民投票年齢を18歳とすることについて、積極的な議論があったかというと、そうではなく、この法律の制定を時期尚早としていたある政党が、「憲法改正は将来の国のあり方に関するものであるから、若年者の意見も聞くべきだ、投票権者を18歳にするべきだ」と主張し、与党は、当初は20歳投票権を案としていましたが、憲法改正手続の各国調査の結果、「世界的傾向」により投票権を18歳としたとされています。このことに異論はありませんでした。

3 気がかりな幾つかのこと

 これだけ見ると、投票権を18歳にという選択は、世界的傾向に従っただけのように見えます。しかし、そう楽観的になってばかりもいられない幾つかの気がかりなことがあります。 

(1)歴史教育のあり方
一つは高校以下の歴史教育において、過去の日本、特に明治憲法下の社会を一方的に美化しようとする傾向が強まっていることです。現行憲法が保障している国民主権、平和主義、基本的人権の尊重は、みな日本が明治憲法下で歩んできた帝国主義的植民地主義と侵略、軍国主義、民権の圧迫の反省の上に成り立っているものです。憲法の学習は公民科(基礎的な主権者教育)の基礎にあるものですが、それは本来、条文や理念の学習にとどまらず、憲法のそれぞれの条項がどのような歴史的沿革をもって今日に至っているかを学ぶことにあるべきだと思います。高校以下の教育の中で果たしてこうした意味での主権者教育がなされているのでしょうか。上記のような歴史教育はこのような要求に適合しないと思われます。

(2)教える側の中立性の強調
もう一つは、主権者教育と言われる教育の中で教える側の「中立性」が殊更に強調されていることです。たしかに意見が対立する問題について一つの意見のみにたって教育することは正しいことではありません。出来るだけ多様な意見を提示して行わなければなりません。しかし、教え方がもっぱら中立性重視にかたよると、意見のもつ意味の検討をさて措いて、対立意見の羅列となり、そのことが生徒に反映して、判断停止や無難な意見への収斂を引き起こすことにならないかが心配されます。投票には、多様な意見の中から自分の「よし」とするものを選択するという要素があるので、主権者教育としては、それぞれの生徒にそれぞれに理由のある判断の道筋を考えさせるのが大切なのでしょうが、そのことと教える側の中立性の殊更な強調との関係が難しいように思われます。

(3)文科省の高校生政治活動規制方針
また、文科省は、選挙権年齢18歳引き下げを受けて、従来の高校生の学校内外での政治活動を全面的に禁止に関する通知(昭和44年)を廃止しましたが、新たに、高校生の学校内外の政治活動について、校長等に厳しい規制を求めると共に、各校長等の判断で、高校生の校外政治活動への参加について、届出制を採用することができるとする方針を出しました(平成27年通知・同28年生徒指導担当者連絡会議マニュアル)。しかし、もっとも基礎的な政治活動である投票行為は各人の自由な思考と決定によるべきです。このような厳しい規制と届出制は、投票権者としての生徒の自由な思考を萎縮させることにつながるもので全くおかしなことです。

4 「よりよい選択を自分の判断」で

 このような各種の気がかりなことは、18歳有権者の行動を一定の方向に向かわせることを意図しているのではないか、そこに何らかの策略が隠されているのではないかとの疑いを生じさせるものではないでしょうか。しかし、仮にそのような企みがあるとしても、その通りにことが進むとは限りません。若い人の感性は、困難があっても、大人が嵌めようとする枠を乗り越えて進んでいくからです。さらに大学生は高校生より遙かに自由な環境にあります。学生はむしろ「初めて自由に」自分で疑問を見つけ、追求し、考え、選択し、判断できる環境に恵まれたといってよいでしょう。与えられた選挙権を「押しつけられた選挙権」としてでなく、「自分の」選挙権として行使するためには、せっかく与えられたこのような環境を十分に活用することが有用です。始めから全ての物事について100%完全な判断ができるわけではありません。しかし、自分の関心のあるところからでも、少しなりとも「よりよい」と思う「選択を自分の判断」でするようにしようではありませんか。自分の疑問と選択・判断に自信を持ちましょう。間違った選択をするかもしれないけれど、それに気付けばまた直せばいいのです。

最後に

 学生の皆さんの間の気になる現象について触れておきたいと思います。学生の皆さんの中には上のような教育にならされてきているせいか、授業中の学説であっても政府批判に繋がりそうな問題提起をする人がいると、すぐに「偏っている」と声を大にして主張したり、ネットに書き込む人がいて、また、これに雷同する学生も少なくないと言われていることです。このようなことは、大学における教育研究の自由な展開を妨げます。「偏っている」と大声を出したり、ネットに書き込む前に、「偏っている」と思うその学説を検証して、「そういう自分の反応こそ偏っていないか」を考えるべきだと思います。そのような安易な言動は先のような大学生としての恵まれた環境にも背く行為であると私は思っています。こういう主張自体が「偏って」いますか?

関連リンク:
中西 又三(なかにし・ゆうぞう)/中央大学名誉教授
専門分野 行政法、公務員法等
東京都出身、1942年生。
1965年中央大学法学部卒。
1967年中央大学大学院法学研究科修士課程修了(修士)。
1967年中央大学法学部助手(行政法担当)。
1971年中央大学助教授。
1978年中央大学教授。
2014年中央大学名誉教授。

助手時代から特に公務員法を研究、並行して行政法全般を研究・教育。
主著書 行政法1(中大通教2002年)、公務員の種類(有斐閣1985年)等がある。