西川 可穂子【略歴】
西川 可穂子/中央大学商学部教授
専門分野 微生物生態系と水圏環境
これまでに生産・使用されてきた化学物質の種類は5,000万種を超えていますが、日々、新しい化学物質が誕生しています。今日は、そんな身近な商品を構成する化学物質が環境や我々に与える影響について話をしたいと思います。我々の生活を便利で快適にするために必要な化学物質のほとんどは、人工で合成されています。一般に多くの化学物質は、環境中において大気、土壌、水系、生物などの媒体を通して分解されていきますが、中には環境中で分解されにくい難分解性という性質を持ったものもあります。これらは、地球の46億年の歴史の中で初めて登場するもので、地球上には分解者がいないか、分解の速度がたいへん遅い物質です。化学的に安定なこの性質は、産業的には大変有用な場合が多いので、大量に生産・使用された後に、環境への影響が発覚するものが少なくありません。ポリ塩化ビフェニル(PCBs)やジクロロジフェニルトリクロロエタン(DDT)等、大きな問題となっている残留性有機物質と言われるものも難分解性の化学物質です。また、オゾン層を破壊するといわれるフルオロカーボン(フロン)も環境中では簡単に分解されない難分解性のガス物質です。フロンは、家庭用冷蔵庫の冷媒として使用されていたアンモニアの代替品として開発されました。化学的に極めて安定で熱に強く、エアコンや冷蔵庫の冷媒、噴霧剤、溶剤に大量に使用されました。しかし、廃棄後にフロンが大気中に放出されると、成層圏でオゾン層を破壊することがわかり、1996年1月以降は全面禁止になりました[1]。環境中への放出が大量になるとその影響が顕著となり、ようやく原因がわかるのが環境問題の特徴といっても良いでしょう。
最近、環境汚染の原因物質として、プラスチックが注目されています。身近な例でいえば、コンビニでもらう袋もプラスチックです。コンビニ袋は軽くて破れにくく、水に強く、畳めばかさばらず、色素を加えればカラフルにもでき、デザインも自由自在で、価格も安い。使用上の利便性を考えると、並ぶものがないほど優れた袋です。軽く、丈夫で、安いプラスチック製品は、玩具から実用品まで日常に溢れています。ところで、これらの製品に使用されているプラスチックのほとんどは難分解性です。生分解性プラスチックというものも存在しますが、まだまだ性能やコストの面で従来品を凌ぐ事ができず、一部の使用にとどまっています。発展途上国の経済発展もあって、環境中で分解されないプラスチックの利用が急激に増加し、それに伴ってプラスチックゴミの量が世界規模で急増しています。
環境中に放出された物質は、最終的には海へ流入します。回収されずに環境中に放出されたプラスチックも同じ道をたどります。海のゴミの実に7割以上がプラスチックであるという報告もあります[2]。プラスチックが海に流れた場合、しばらくは海に漂いながら、時間の経過と共に太陽光や波などの化学的・物理的刺激を受け、小さくなっていきます。5mm以下にまで小さくなったものはマイクロプラスチックと呼ばれますが、肉眼では見えない小さな生き物であるプランクトンと同じくらい、場合によっては動物プランクトンが飲み込んでしまうほど小さくなる[3]こともあって、世界中の海を漂流します。更に、これらのマイクロプラスチックは、漂流している間に海の底にも沈んでいきます。漂流中にマイクロプラスチックに微生物が付着してバイオフィルムを形成し、比重が重くなり沈むようになる[4]のです。バイオフィルムは、シンクなどにできるぬるぬると同じもので、細菌が密集してできたものです。こうして、プラスチックゴミはマイクロ化することで、目にみえない形となり世界中の海中、深海、沿岸部の砂などありとあらゆるところへ拡散していきます。
今や外洋性の海鳥から深海に生息する生物まで、プラスチックが胃袋から検出されており、プラスチック汚染の広がりは生態系食物連鎖の高位の動物にまで及んでいます。北海の海鳥フマルカモメの90 %以上の胃からマイクロプラスチックが検出されており[5][6]、その詳細が調べられた結果、新たなマイクロプラスチックの危険性が明らかになってきています。環境中で漂流する間に、PCBsやDDT等の残留性有機物質を吸着して濃縮していたのです。最終的には、これらの化学物質が環境濃度の100万倍に濃縮されているとの報告もあります[3]。ただのプラスチックのゴミだったものが、長い旅の終わりには、有害な化学物質を濃縮したマイクロプラスチックとなり、残念なことに動物の体内へ入り込んでいます。マイクロプラスチックを飲み込んだ海鳥の腹部脂肪組織からは、これらの化学物質が検出され、体の中への移行も確認されています[7]。こうなると、次はどうなるか賢明な皆さんはもうわかるでしょう。私の大好きな牡蠣や貝類にもマイクロプラスチックが含まれているそうです。日本人胎児の臍帯から、PCBs (0.107±0.040 ng/g湿重)やDDT (0.006±0.002 ng/g湿重), 環境ホルモンと呼ばれるビスフェノールA (4.425±5.037 ng/g湿重)、重金属などが検出されています[8]。これらの物質はプラスチックゴミ由来のものばかりではありませんが、我々は生まれる前から母体胎内でもう有害な化学物質にさらされているようです。
今後10年間で、環境中に放出されるマイクロプラスチックの量は3倍になる可能性が指摘されています。現状は健康被害が出ないレベルだったとしても、この勢いで増加するプラスチックゴミを放置していたらどうなるでしょうか。我々は歴史から学んでいるはずです。さて、ゴミを減らす基本は、Reduce(ごみを減らす)、Reuse(再使用)、Recycle(再生利用)の3Rです。日本のペットボトルの回収率は8割といわれ、世界でもトップレベルです。もちろん、回収率100%を目指すことは大切ですが、これ以上回収率を上げるのはかなり困難です。また、リサイクルではエネルギーを消費しますので、やはり使用量そのものを減らすのが最も有効でしょう。また、プラスチックバックの50%は1度限りの使用で捨てられているとされています。そこで、ここまで読んでいただいた読者の方々にお礼と共にお願いです。コンビニ・スーパーで買い物する時はなるべくプラスチックバッグは受け取らない(ゴミを減らす効果)、また受け取ったものは、せめて2度は使いましょう(再使用)。小さな努力が環境問題を改善する原動力になります。プラスチックゴミを必要以上に増やさないちょっとした行動が、我々自身と子孫を救うことになるでしょう。