法現象を原理的に考察する法哲学の視点から、我々が直面している人口減少社会と法の問題を考えてみよう。果たして立法は人口減少社会の処方箋となるべきなのだろうか。
人口減少社会の到来
日本の人口は、2004年、1億2784万人でピークを迎え、2005年から人口減少社会に入ったとされる。もし出生率(出産可能年齢15才から49才の女性の平均子供数としての合計特殊出生率)が2012年1月の水準(1.35)で推移したならば、2060年の人口は8674万人となると推計される(国立社会保障・人口問題研究所)。この出生率の低下は日本に限定されないものの、日本は深刻な人口減少社会問題に直面している国の1つである。さて、実は、人口減少社会の問題として表されている状況は、(1)人口(数)減少、(2)高齢化、そして(3)少子化という3つの現象が組み合わさったものである。
上で述べたような、人口の数、構造および変化を対象として人口減少の統計的研究あるいは分析を行う学問が、人口分析(demographic analysis)と呼ばれる、いわゆる形式的人口学と呼ばれるものであり、いわば人口統計学といえよう。人口の統計や人口変動の分析を行う際には、人口変動の要素には出生・死亡・移動という3つ(移動は転入と転出からなる)があることを忘れてはならない。形式的人口学は、これら出生・死亡・移動という人口動態と、人口増加・人口構造との法則性を確立していて、1960年代には高齢化が起こり、1980年代には人口減少が起こる可能性を予測していた。
人口増加の「タンカー」は停止してしまった
人口減少問題は、高齢化問題から少子化問題へと比重が移ってきている。しかし、出生・死亡・移動の人口変動の3つの要素すべてを視野に入れなければならない。日本では、1974年以降、出生率は2.1以下であり、1956年以後半世紀にわたっても人口置換え水準を割っていたとされる。にもかかわらず、冒頭で紹介したように2005年までは人口が増え続けていたのは、何故だろうか。答えはとても単純で、死亡数が出生する数より低かったからである。1947年から84年までの出生数から死亡数を引いた自然増加数が、死亡者数を上回り、しかもほぼ20年間50%以上だったわけである。
日本における約40年間の大きな自然増加は人口貯金となって、将来必ず起きる人口減少を先に延ばす結果を招いてしまった。過去の高い出生率と低い死亡率の継続は、「タンカー」がエンジンを切っても進むかごとき増加の人口モメンタム(人口惰性)の現象を引き起こしたのである。しかし、出生率が低下し長期的に人口置換え水準以下に低迷していれば、逆のマイナスの人口モメンタムが働き、累積した人口借金となって逆向きに作用する。いったん停止した「タンカー」は容易には動き出さない。出生率がある程度回復しても、日本の人口が長期的に減少し続けるのは必然である。
社会の近代化が人口減少社会を招いたのか!?
では、なぜ人口減少社会となってしまったのだろうか。言い換えれば、どのような社会の変化、経済状況、政治情勢が、人口動態や構造へ影響したのだろうか。出産と死亡の社会的決定要因を分析するのが、人口経済学、人口社会学のような実体的人口学と呼ばれる学問分野である。回答は様々であるが、重要な成果の一つとして「人口転換論」と呼ばれるグランド・セオリーがある。この理論によれば、18世紀から20世紀半ばにかけて近代西欧社会を皮切りに、社会が近代化するに従い、死亡率と出生率が異なるタイミングで低下する過程がとられ、多産多死から少産少死へと向かっていくとされている。
このいわば、第一の「人口転換論」は、近代の経済発展、都市化、工業化を背景とした議論である。その後、近代化により出生率が低下するというメカニズムを多角的に分析すべきであるとして、第二の人口転換論も唱えられている。この理論では、性的行動、異性との同居、結婚・離婚、出産に関して自己決定や自己実現が重視された結果として伝統的な規範・道徳に拘束されなくなったことが決定的だとする。ただし、この第二の人口転換論は、第一の人口転換論ほど浸透しておらず、異論も多い。ヨーロッパ一部の特有状況ではないか、という意見も強く、日本に当てはめることはより慎重になるべきであろう。
人口減少社会への対策としての立法
上で述べたように、実体的人出生率の低下の社会的決定的原因の特定は難しい。社会経済的要因と文化的な要因との関係も複雑である。人口問題への対応する政策の立案にあたっては、この点に留意することが肝要である。加えて、実は、政策が立法という形式で実現されるときに意識しなければならない重要な問題がある。急速な少子高齢化の進展に対応するために立法されたのが、2003年の「少子化社会対策基本法」及び2014年の「まち・ひと・しごと創生法」である。この二法は、いわゆる「政策法」に分類される法であり、典型的な法としてイメージされる民法や刑法とは異なる特徴を有している。
現代国家では、立法は、社会のいろいろな問題に対処して多様な公共政策を実現する重要な手段になっている。数の点でいえば、立法の多くは、社会的資源・財・サービスの配分を行ったり、一定の社会経済政策を推進したりすることを主眼とする資源配分型の政策法なのである。「基本法」という名称がついた法律を代表とする様々な政策法は、各政策の実施機関の組織・権限や活動の基準・手続きを定め、訓示規定、プログラム規定によって構成されている。こうした基本法は、社会が複雑化した結果として政治への負荷が高まったためか、1990年代から急速に増加している。
「政策法」に内在する問題点とは何か
現代国家の立法の特徴は、資源配分型の政策法の増加にみられるだけではなく、一般に、立法の数は増加しつつある。また、内閣法制局のありようの変化もしばしば指摘されるし、法制審議会が常設設置でなくなったということも、社会における専門家の役割の変容という意味で、実は大きな変化である。これらをまとめて、統治基盤の大幅な変動という言葉で表すこともできる。そして、こうした現象を受けて、法哲学の領域では、立法の質、良き立法システムとは何かということを探求する「立法学」、立法の規範理論の構築が真剣に検討されている。基本法のような政策法の状況も取り組むべき重大問題の一つである。
政策法をめぐる問題のうち重要なものの一つは、立法としてふさわしい条件を政策法が備えているか否か、つまり立法の限界と関わっている。具体的には、道徳や国民の意識、個人の価値観に絡むような問題に法律が積極的関わったり、法律を政策の宣伝として用いたりするような場面さえ生じていることである。例えば、まち・ひと・しごと創生法は、第2条の基本理念で「結婚や出産は個人の決定に基づくものであることを基本としつつ、結婚、出産または育児について希望を持つことができる社会が形成されるよう環境の整備を図ること」としているが、どうしても法律により政策の宣伝が行われているという印象を受けてしまう。
立法は人口減少社会の有効な処方箋か
さて、冒頭の問い、「立法は人口減少社会の処方箋となるべきなのだろうか」に戻ってみよう。政策法が、その性質上、政治的な性格を帯びることはやむを得ないことかもしれない。しかし、これまで、法律で定めるべき内容は、国家の権威・権力の裏付けにより実現されるにふさわしいものであるべきということが共通の認識としてあったのではないか。人口減少社会の到来が日本の「未曾有の事態」(少子化社会対策基本法前文)であるとしても、むしろだからこそ、立法に人口減少社会の処方箋を加重に求めることには慎重になるべきであるというのが、現在の「一応の回答」であるとしたい。
- 山田 八千子(やまだ・やちこ)/中央大学法科大学院教授
専門分野 法哲学、民法
- 中央大学法学部法律学科卒業、中央大学大学院法学研究科私法学専攻博士課程前期課程修了。
単著として、『自由の契約法理論』(2008年、弘文堂)、最近の立法学に関わる業績として、「提題 立法の法哲学―立法学の再定位」『法哲学年報2014』(2015年、有斐閣)、立法学学術フォーラム――立憲民主政の変動と立法学の再編<小特集>「集合的決定としての「立法」への懐疑――私法の視点から」(2015年、法律時報87巻8号)、井田良・松原芳博編 「第7章 民法(債権法)改正過程と立法過程の在り方-立法の哲学の視点から」井田良・松原芳博編『立法実践の変革』(2014年、ナカニシヤ出版)。