Chuo Online

  • トップ
  • オピニオン
  • 研究
  • 教育
  • 人‐かお
  • RSS
  • ENGLISH

トップ>オピニオン>碧雲荘のこと─荻窪の文化財保存活動について─

オピニオン一覧

岩下 武彦

岩下 武彦【略歴

碧雲荘のこと

─荻窪の文化財保存活動について─

岩下 武彦/中央大学文学部教授
専門分野 国文学

本ページの英語版はこちら

1 碧雲荘と「荻窪の歴史文化を育てる会」

 杉並区天沼の碧雲荘(へきうんそう)は太宰治が昭和11年11月から、12年6月まで住んでいた建物である。「Human Lost」を執筆し、また、「富岳百景」の舞台の一つとなったことで知られる。建築の立場からは、和洋折衷の「高級下宿」で、都内には現存例がなく、昭和初期の郊外文化の様式を知る上で、貴重な文化遺産である。

 昭和2年に田中豊作氏が住居兼下宿として建て、そのお嬢さんが下宿を営みながら住んでおられた。数年前、文化財としての価値に注目した区が、保存を申し出た折には断られたそうで、その方の没後、相続のこともあり、土地を売却された。区は隣接地と合わせて福祉施設と特別養護老人ホームの建設を計画している。

 昨年末、「『碧雲荘の移築を希望します』という看板が出ている」と知らせがあった。早速、「どうしたら残せるか」という話になり、その2日後の12月29日には「荻窪の歴史文化を育てる会」が立ち上げられた。というと、迅速で順調な発足のように聞こえるが、その実、何をどうやったら残せるのか、はっきりとした見通しを持っている者は誰もいない。「ともかく何とかしなければ」という勢いだけで立ち上げたのだった。ただ、中心メンバーとして、学員の峰岸誠、土屋隆一の両氏の他、NPOやボランティア活動を通して地元の様々な事情に精通する人、地域史の研究家、建物応援団で古民家の保存・活用に携わる人など、多士済々で、その多様さが運動のエネルギーとなっている。

2 太宰サミットと署名

 年明けの今年1月5日、杉並区の新年賀詞交換会に、直接区長に嘆願書を手渡した。その頃から区と折衝を始め、何とか保存活用できないか、模索と交渉が続いた。1月25日付東京新聞には、その間の経過が掲載された。私たちは、ともかく建物が保存され、地区のために活用できれば良いとの考えから、建物の持ち主と、区との間で土地の引き渡し契約が成立するまでは、区や、地域の情報収集など活動の準備をしながら事態を見守っていた。4月、土地の売買契約が結ばれてから、具体的な活動が始まった。

 碧雲荘の問題について周知するために、5月30日に「太宰サミットin荻窪」を開催した。セシオン杉並で行ったこの会は、参加者こそ80名あまりとこぢんまりした会であったが、本学名誉教授渡部芳紀先生をはじめ、各地で太宰に因む場所・施設の保存に取り組んでおられる、太宰に関わる人たちや太宰ファンとの絆が出来た。

 同時に、碧雲荘の保存・活用に向けて署名活動を開始した。これも、会のメンバーの個人的な繋がりで、協力できる方にお願いしたのであるが、サミットに参加された方の支持などもあり、7月27日まで、約2ヶ月で3780人の署名が集まった。

3 区長会見と五所川原訪問

 7月28日、田中区長に署名簿と要望書を提出した。区長からは、率直に、建物自体の保存は難しいこと、ただ、何らかの形で保存を考えたいので、意見を出してほしい、との意向が示された。これを受けて、区との交渉に向けて、具体的な保存案の検討を始めると同時に、メディアを通して、また直接の交流により、碧雲荘の保存・活用に向けて、世論に訴える試みを行った。その一環として、7月30日(木)~31日(金)に五所川原市を訪れた。金木太宰会の木下巽会長は、太宰の生家斜陽館保存の中心となった方で、反対する住民を説得された。今日斜陽館への訪問者は、年間10万人に達するという。そこに、それがあるということの意義を痛感したのであった。

4 福祉と文化と

 区との交渉の過程で、地元の方々や、若い人たちにアピールする必要を感じ、9月14日碧雲荘に近い杉並公会堂大ホールで、「太宰サミット第2回 太宰に会う、又吉に会う」を開催。太宰研究者の安藤宏東大教授、建築史家の松本裕介氏、芥川賞受賞の又吉直樹氏、作家・翻訳家の松本侑子氏を迎え(全員ボランティア!)、1000名を越える聴衆の熱気で満ちた。そのエネルギーは私たちの活動の源である。

 区との応酬は今も重ねており、区からも新しい施設の一角に、碧雲荘関連の展示コーナーを設けては、という案が提示されているが、建物そのものを残すことは考えていない、という方針も示されている。そこには一貫して、福祉最優先という姿勢がある。私たちも福祉の必要性は十分に認識しているが、同時に文化財を残すべきとも考える。福祉と文化との両立の可能性を探って、なお最後まで区と交渉を続けるつもりである。

岩下 武彦(いわした・たけひろ)/中央大学文学部教授
専門分野 国文学
1946年熊本県出身。1971年東京大学文学部国語国文学科卒業。1974年東京大学人文科学系大学院修士課程修了。1974年国文学研究資料館助手、名古屋学院大学経済学部専任講師、東京女子大学文理学部専任講師、助教授、教授を経て、1995年4月より中央大学文学部教授。2014年12月より「荻窪の歴史文化を育てる会」会長。