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牧野 光則

牧野 光則 【略歴

エンジニアリングに関する高等教育の役割

牧野 光則/中央大学理工学部教授
専門分野 システム解析・可視化、コンピュータグラフィックス

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 今年9月に明らかとなった、フォルクスワーゲン社(VW社)製造のディーゼルエンジン制御用不正ソフトウェアの問題は、同社だけの問題に留まらずに他のディーゼル車メーカーにも調査対象が広がりつつある。

 これまでの報道からは、当該ソフトウェアにバグ(設計者・制作者が意図しない誤り)があったとは指摘されていないため、検査合格と燃費向上とを両立させるという目標達成の観点からは当該ソフトウェアは正しく動作していると思われる。また、著作権などの知財侵害などの違法性も指摘されていない(その意味では一部に見られる「違法ソフト」との表現は不適切なので、本稿では「不正ソフト」と呼ぶ)。それでは、正しく動作したソフトウェアの何が不正なのか?

 まず、目標自体が不正であると指摘できよう。ディーゼルエンジンにとって環境負荷を低減することと燃費を向上させることは二律背反であると従来から指摘されている。よって、検査合格&環境負荷低減技術の常時適用(→社会の利益)、燃費向上(→消費者の利益)、売上確保(→企業の利益)の優先順位や重みをより適切に設定した目標でなければ、社会や環境に受け入れられなかったといえる。

 一方、設定された目標自体に誤りがなかったと仮定しても、達成の手段が不正であったともいえよう。実際、自動車の検査データと街中を走行した場合の結果にかい離があることは広く知られている。しかし、今回の場合、他社では検査時と異なる状況でも行っていた程度の環境負荷低減策を、当該ソフトウェアは停止させたと報道されている。この、見つからなければ何をしても良い、的な考え方で行動することは、受け入れがたい。

 一般に、技術は与えられた制約のもとで目標を達成するために最適なものが用いられる。制約や目標の設定と最適とされる技術の選択は人間が行うので、携わる者の見識が問われることになる。

技術者倫理

 本問題の責任の所在については現段階では調査中だが、ソフトウェアを制作した企業はVW社には一般利用すべきではないと伝えていたと報じられている。よって、当該ソフトウェアを作成・提供した技術者(エンジニア)はその機能を正しく把握していたであろう。もし、作成した人物・企業が前述の目標達成のためにVW社が利用することを承知・黙認していたのなら、法令違反による罰や社会的な制裁の有無にかかわらず、依頼企業との守秘義務を順守しつつ専門職としての倫理(Code of Ethics)に基いて適切に行動したかどうかも問われるのではないだろうか。同様に、該当ソフトを市販車のエンジン制御用コンピュータに導入したVW社側のエンジニアに対しても、当然問われることになろう。技術者が持つべき倫理観については、業界等で明文化されているし、工学系の大学では(研究者倫理より以前から)教えられている。

 例えば、わが国の場合、(一社)情報処理学会倫理綱領では以下の学会員の行動規範がある。https://www.ipsj.or.jp/ipsjcode.htmlnew window より抜粋:

2.専門家として
2.3 情報処理技術がもたらす社会やユーザへの影響とリスクについて配慮する。
2.4 依頼者との契約や合意を尊重し、依頼者の秘匿情報を守る。

 同様に、(一社)電子情報通信学会倫理綱領と行動指針では以下の記述がある。(抜粋)
 [倫理綱領] (https://www.ieice.org/jpn/about/code1.htmlnew window)

3. [技術の重要性の認識] 電子情報通信の社会活動における重要性を理解し、電子情報通信技術とその活用によって生じる、人間・社会および地球環境への影響を客観的に明らかにする。
5. [契約遵守] 公益に配慮しつつ、職務上取り交わした契約を遵守する。

 [行動指針] (https://www.ieice.org/jpn/about/code2.htmlnew window)

2-3 電子情報通信技術の研究開発や活用において、効率や性能の向上のみを追求するのではなく、公益に十分配慮する
4-3職務の遂行において、顧客や利用者が期待する品質要求を満たすことだけでなく、社会の要求(コンプライアンス、環境保全、リサイクル等)を十分考慮に入れる

 すなわち、技術に携わる者(エンジニアなど)には、技術に直接関わる知識・技能はもちろんのこと、幅広い知識とそれを活用でき、正しく判断し行動できる能力が求められている。

高等教育の役割

 前述のようなエンジニアとしての見識や行動を習得するためには、バランスのとれた学習と実践の場が必要である。そのような場の最初として適切なのはどこだろうか?

 IEA Graduate Attributes and Professional Competenciesをご存知だろうか?International Engineering Alliance (IEA、http://www.ieagreements.org/new window)は技術に関する専門職の国際的モビリティを確保するための枠組(3協定)と技術に関する専門職につながる高等教育の国際的整合性を担保するための認定協定(ワシントン協定(WA)ほか2協定)の連合体からなるメタ連合である(各協定には専門職あるいは教育に関する審査・認定等を担う機関が加盟している)。このIEAは技術に関する職業人として具備すべき知識とコンピテンシー、ならびに、将来エンジニアになることを想定している高等教育の卒業生(修了生)が具備すべき知識(Knowledge Profile、KP)と能力(Graduate Attributes、GA)を定め、各国・地域(エコノミー)を担当する機関が行う審査等での参考指標としている。WAに関しては、このKPに示される幅広い知識をベースとして、エンジニアリングに関する知識、問題分析、解決策のデザイン/開発、調査、最新ツールの利用、技術者と社会、環境と持続性、倫理、個別活動およびチームワーク、コミュニケーション、プロジェクト・マネジメントと財務、生涯継続学習、に関する能力がGAとして適切に具備されるべきとされている。すなわち、いわゆるジェネリックスキル(素養)を含む幅広くかつ深い知識と専門能力が必要であり、WAでは4年間以上の高等教育を要するとされている。

 このことから、「技術者は目の前に実現しなければならないモノが作れればそれで良い」という極論は国際的には通用しないと言えよう。例えば、国内で国内の顧客に対応する技術者であっても、技術の動向のみならず当該技術に関連する知識、国内外法令や経済・商取引に関する知識、それらを正しく解釈し活用する能力は不可欠である。従って、少なくとも、エンジニアリングに関する専門職は、程度の差こそあれ何らかの意味で「グローバル」である必要があろう。

 エンジニアは「手が動けば良い」だけではないことは、何も最近の話ではない。筆者が少年時代に読んだSF小説「The Rolling Stones」(邦題「宇宙の呼び声」、Heinlein著)には、エンジニアリングにとって数学がいかに重要か、を双子の息子に父親が説く場面があったことを記憶している。

インドネシアの挑戦

 インドネシアでは、前述のWAへの将来の加盟を視野に入れて、大学等の高等教育機関におけるエンジニアリング関係のプログラム(学科、コース等)の質保証を支援し、彼の国のエンジニアリング教育の水準を向上するために、インドネシア技術者教育認定機構(Indonesian Accreditation Board for Engineering Education、略称IABEE)が立ち上がろうとしている。この設立を(独法)国際協力機構(JICA)が支援しており(http://www.jica.go.jp/oda/project/1400553/index.htmlnew windowhttp://www2.jica.go.jp/ja/evaluation/pdf/2014_1400553_1_s.pdfnew window )、JICAから委託をうけた(一社)日本技術者教育認定機構(JABEE)の基準委員長として、筆者は当該プロジェクトに参画している。JABEEはWAの正規加盟団体であり、KPやGA等に準拠した審査・認定を行っている。このJABEEやWA加盟の他地域担当機関のこれまでの経験を踏まえて、IABEEの審査・認定のルールが決まろうとしている。彼らは自分たちの教育の質を保証することで、卒業生の資質を個人ではなく、組織対応で国際的に通用させようとしている。

 WA構成団体が所属するある国では、当該団体の認定を受けている高等教育を経た者が、Professional Engineerと呼ばれる専門職位への受験資格を得たり、試験の一部を免除されたり、している。すなわち、当該個人がいかに優秀かを判断する際に、適切な教育を経たかどうかを前提としている。GAを習得しているかどうかは、ペーパーテストでは測れないので、適切な教育を経ていることが必要との考え方である。これは、わが国でも一部の「士業」に見られ、学・歴・経不問で試験のみで付与の是非を判定する多くの資格とは異なる考え方である。

 企業が国や地域を越えて活動し、そこで活躍するエンジニアも学ぶ場所や働く場所が異なったり、自分が携わる技術や製品の利用先がほとんど知らない国・地域になったりすることも不思議ではない状況になりつつある。VW社の事例のように、エンジニアの不適切な行動は地球規模の不正や違法状態のきっかけとなりかねない。エンジニアとしての矜持を各自が持つためには、彼らを育成する高等教育の質が他国・地域と比して劣らない、という意味での整合性の確保と保証の重要性は、今後さらに増すだろうと感じている。インドネシアの挑戦を他山の石とし、日本をはじめ先行する国・地域の教育関係者は不断の努力を重ねるべきである。

牧野 光則(まきの・みつのり)/中央大学理工学部教授
専門分野 システム解析・可視化、コンピュータグラフィックス
1964年千葉生まれ。1987年早稲田大学理工学部卒業。
1992年早稲田大学大学院理工学研究科博士課程修了。博士(工学)。
中央大学専任講師・助教授を経て2004年より現職。2009年11月~2013年10月理工学部長補佐。
現在の研究課題はコンピュータグラフィックス、仮想と現実の融合(VR、ARなど)、可視化で、「綺麗な映像を作ることより人や社会に役立つ映像を作れる仕組みを構築する」を方針としている。
学術分野での活躍の他、日本技術者教育認定機構基準委員会委員長、電子情報通信学会アクレディテーション委員会副委員長、私立大学情報教育協会情報教育委員など、工学系人材育成や教育認定に関しても積極的に関わる。日本工学教育協会第17回工学教育賞受賞、経済産業省「社会人基礎力を育成する授業30選」選定。
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