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阿部 信一郎 【略歴】
―残されるものと削ぎ落とされるもの―
阿部 信一郎/中央大学法科大学院特任教授
専門分野 企業再編・再生、競争法、M&A、争訟
本稿は、JSPS科研費15K03220の助成を受けたものです。(広報室)
大海に浮かんでいる小船が、グローバル化の大きな荒波に揉まれているような状況、これが現在の日本の大多数の企業の状況ではなかろうか。操縦を少しでもあやまると、大波をかぶり、下手をすると難破する可能性もある。難破しないために、小船は装備を最新のもの(グローバル標準)に備え変えなければならない。ところが年老いた船長は、なかなか新しい装備に馴染むことができず、「船の運航に新しい装備は不要である。今までの装備で十分である。」と叫んでいる。その意識を改革させるべく、様々な施策に取り組んでいるのが日本の企業を取り巻く状況である。
その一つのキーワードが「企業価値の向上」である。企業価値を向上させることは株主からの至上命令である。この点、例えば社外取締役(社外監査役)を例にとると、選任によって企業価値の向上に結び付くはずであると考えられているようであるが、これまでの実証研究からは、社外取締役の選任イコール企業価値の向上とは直ちには結びつかず、一定の条件のもとで企業価値が向上する場合があるに過ぎないといわれている。この理由は直ちには論じられていないが、日本の企業における伝統的な出世コースが従業員から取締役(執行役)への昇進であり、そこで昇進したサラリーマン取締役が社長の顔色をうかがって取締役会をコントロールしているという日本の従来型の企業文化がいまだ存続しているとするならば、むしろ上記の実証研究の結果は、日本の企業文化という項目をいわば変数の一つに加えることで説明可能となるとも言えそうである。
他方で最近の新しい流れは、会社法ばかりではなく、いわゆるソフトローによる統制を加えたことである。ごく最近公表されたコーポレートガバナンスコードは、金融庁と東京証券取引所が上場企業に対して策定したものであるが、その意図は日本企業の生産性が欧米企業に比べて低いことを直視し、中長期的な収益性や生産性を高めるためのコーポレートガバナンスの強化を図っていくことである。内容は多岐に渡っているが新聞報道などでなじみが深い項目は、独立社外取締役を複数名選任する点や、投資以外の目的、例えば取引関係の維持のために株式を保有する政策保有株式(いわゆる株式の持ち合い)の開示を強化することなどであろう。日本では、伝統的に上場企業同士が株式を持ち合うことがあったが、これにより互いの会社の経営陣の安泰を図るという日本の企業文化があった。ところが、このような企業文化は、一般の株主・投資家の目線からは、企業の効率化に寄与しておらず、企業の価値の向上が図れないのである。上記の施策を実行することで、経営者の評価・監督を適切に行い、また経済合理性に欠けるいわゆる株式の持ち合いの解消を目指す。企業を効率的に運営して、日本企業のグローバル化を図ろうとする戦略である。
また最近では日本版スチュワードシップ・コードという言葉も目にするようになった。これは金融庁による機関投資家向けの行動規範であり、機関投資家と投資先企業との対話を通じて企業の持続的な成長を促すことが要請されているが、間接的には投資先企業の改革を図ることも期待されている。投資利益の最大化という機関投資家の目線を、投資先企業に伝えるチャンネルをより多様化することで、企業の価値の向上を促そうとしている側面もあるであろう。
これら2つの方策は、日本の企業に対し、従来の日本の企業文化を変容して、さらなる企業価値の向上を迫るものである。
視点を、海外に移すと、さらに日本の企業は大波にさらされている。日本法以外にも各国競争法、贈収賄規制(米国FCPA、英国贈収賄禁止法等)、EUにおけるPrivacy Act等、遵守すべき重要な規制は多い。例えば、競争法(独占禁止法)の分野では、カルテル(談合)が禁止されているが、その制裁は過酷である。EUでは、会社のある製品に関する談合により、該当製品のEUでの売上高の一定割合、会社の全世界における総売上高(該当商品に限らず)の10%以内の制裁金として跳ね返ってくる。EUの2014年度の制裁金は8580万ユーロであるがその中の5%は日本企業に課せられている。また米国においては、罰金が科せられるとともに関係者も刑務所に送られる。最近では自動車部品に関するカルテルの摘発が続いているが、これに関して起訴されているのは現在50人以上である。カルテルを行った会社の役員が、わざわざ刑罰を受けるために日本から渡米し、米国刑務所に入ることも稀ではなくなっている。しかも米国においては、カルテルが公的に処罰されるだけではなく、その後に続くのは損害を被った消費者による巨額のクラスアクションであり、その時間的・労力的・費用的ロスの影響は計り知れない。日本の企業は、当初は対応が遅かったため、例えば2012年度のEUでの制裁金合計18億5000万ユーロのうち日本企業への制裁金の割合が30%弱であったという時期もあった。しかし最近では、カルテル予防を率先する企業も増えており、また上記のようにここ2年で日本がEUにおいて制裁金が激減していることからわかる通り、日本企業が制裁を諸外国で受けることを通して、グローバルスタンダードに追いついてきた。コンプライアンス遵守によって、企業価値が毀損されなくなったきたことを示す好例である。カルテルには手を出さないとともに、特に過去のカルテル行為については、課徴金の減免(リーニエンシー)申請が有効であるが、そのためには企業には組織だった行動が求められる。本社の対応、海外子会社(関連会社)の対応が一貫していないと巨額の損失が降りかかる。この分野を独禁コンプライアンスと呼ぶが、このコンプライアンスは日本の本社で対応するだけでは不十分であり、海外子会社の所在地での現地競争法の精査、日本本社と海外子会社との密接な連携対応が必須である。このような連携対応をグローバル化し、かつスタンダード化(標準化)することで、競争法の分野にとどまらない各国の各種規制にも対応でき、結果として企業の価値も高まってくるのである。
このようなグローバル化の波は、一面では日本企業に試練を与えるかもしれないが、他方でこの波に乗れば企業価値の向上に結び付く。ただし何をやるにも最後に問題となるのは人(ヒト)である。カルテルを行った従業員、賄賂を渡した従業員だけが問題となるのではない。経営者のコンプライアンスの意識・マインドが会社の組織のありよう、会社のコンプライアンスへの意識を大きく決定する。経営者の意識が、企業文化をよりグローバル化させ、コンプライアンスを意識する経営を創造するのであり、企業価値を向上させる。日本人の勤勉さは、コンプライアンスを遵守できる意識が高い人材を育て得る土壌を既に提供しているのであり、このような人が集まる土壌を生かしてポテンシャルの高い人材を育てられる会社は、グローバル社会においても大活躍できるに違いない。