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谷 みゆき

谷 みゆき 【略歴

英語あふれる日本の苦悩

谷 みゆき/中央大学法学部准教授
専門分野 言語学、英語学

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www.superdry.comnew windowからの引用

「極度乾燥(しなさい)」ということば、みなさんは見たことがありますか? 実はこれ、イギリスのファッションブランドSuperdryのロゴに使われていることばです。Superdryは世界46カ国に500を越える店舗を構える人気のブランドで、ロンドンでは「極度乾燥(しなさい)」と書かれた紙袋を持つ若者を多く見かけます。「極度乾燥」という意味はわかるけれども不自然さが否めない単語、なぜかカッコがついている「(しなさい)」。この日本人からすると首を傾げたくなるような日本語を、格好いいと感じる人が多いのだそうです。

 意味はわからないけど、なんとなく格好よく感じる外国語を使う。このような現象はもちろん外国に限ったことではありません。日本国内に目を向けてみても、店の看板や広告、商品の名前など、そこかしこに英語があふれています。そしてその英語が間違っていることも残念ながら少なくありません。

 代表的なのは、店頭にかかっている「開店/閉店」を示す札でしょう。「開店」をあらわす「Open」は問題ありません。Open という語には形容詞の用法があって、「開いている」という意味があります。「Open」という札が店頭にかかっていれば、「このお店は開いていますよ」という意味なのです。問題は「閉店」の場合です。街を歩いていると「Close」という札を下げた店をよく見かけます。しかし、close という語はopen と対になるような「閉まっている」という意味の形容詞の用法を持ちません。Close は「閉める」という意味を持つ動詞なのです。さらに、動詞が原形で主語を持たずに単独で使用される場合、それは命令形であるということをあらわします。つまり、店の入口に「Close」という札がかかっているということは「閉めなさい」という意味になるのです。店の前を通る人に「このドア閉めてね」と呼びかけてしまっていることになります。本来意図されている「閉店」とは異なります。

 このように明らかに文法や語法に間違いがあると指摘できる場合がある一方、文法上は問題ないけれども英語として不自然、または本来の日本語の意味と異なってしまうケースがあり、むしろその方が問題は複雑です。学会に参加するために仙台に出張したときのこと、宿泊したホテルのトイレにこのような札が貼ってありました。「トイレットペーパーの使いきりにご協力下さい」というのは、「本来であればお客様を迎え入れるにあたり、新しいトイレットペーパーを準備するのが礼儀だけれども、環境のことを考えると使いかけのトイレットペーパーを捨ててしまうのはもったいないので、新しいものではなく使いかけのものをお使いください」ということを意味します。いかにも日本らしい「おもてなし」の心があふれたメッセージであると感じました。

 しかし、このメッセージに添えられている英語を見たとき、戸惑いを感じずにいられませんでした。「Thank you very much for using up all the toilet roll」とは、直訳すると「トイレットペーパーをすべて使ってくださってありがとうございます」という意味です。確かに一見すると日本語の「使いきりにご協力ありがとうございます」と同じ意味をあらわしているように見えますが、「すべて使ってくれてありがとう」ということは逆に解すると「すべて使ってくださいね」ということになります。本来ホテル側が伝えようとしているメッセージとは違った解釈がなされてしまいます。このメッセージを見て滞在期間中に一生懸命トイレットペーパーを使った外国人がいなかったことを心から祈るばかりです。

 東京ではオリンピックが2020年に開催される予定であり、外国人観光客がますます増えることが期待されます。そのような中で、「正しい英語」の使用が求められるわけですが、しかしながらこの「正しい英語」というのも実は曲者です。シンガポールではシングリッシュと呼ばれる現地のことばに影響を受けた英語が話されているのはよく知られた話です。日本語の「~ね」や「~よ」にあたる「-lah」が語尾につくことや、「とても」という意味をあらわすために形容詞などを2つ重ねるのがその目立った特徴です。たとえば、タクシーの運転手が乗客に「今日はとても暑いですね」と言う際、「Today is hot hot lah」などと言います。もちろんビジネスなどの正式な場では標準的な英語が使われることが多いものの、彼らの多くが自分たちの英語がシングリッシュであるということを認め、それを正そうとはしません。自分たちはシンガポール人なのだから、シングリッシュを話していても構わないのだと考えているわけです。

 一方で、日本人の中にはネイティブ神話が非常に根強いように思います。英語を話すということは、ネイティブスピーカーのように話さなくてはならないと考えているのです。だからこそ、完璧な英語を話す能力がなければ胸を張って「I can speak English」と言うこともしないし、人前で英語を話すことを躊躇ってしまいます。これは日本人の律儀な国民性や日本の遠慮の文化のあらわれであり、そんな「日本人らしさ」を大切にしたいという気持ちもある反面、日本人が総じて英語が苦手と言われてしまう1つの理由になっている点は否めません。グローバル化が進み、日本国内であっても今後これまで以上に英語の必要性が高まることが予想されます。日本人は店先に下げられた「Close」の札を指して「これが日本の言い方なんです」とジャパニーズイングリッシュを認めて開き直るのか、あくまでネイティブスピーカーを目標に英語を学び続けるのか、その判断が求められる時は近いのかもしれません。

谷 みゆき(たに・みゆき) /中央大学法学部准教授
専門分野 言語学、英語学
東京都出身。1997年に慶應義塾大学文学部を卒業後、株式会社第一勧業銀行に入行。国際関係部署にて勤務ののち、2002年に同行を退職、慶應義塾大学大学院文学研究科に入学。2004年に同研究科修士課程修了、2007年に同研究科後期博士課程を単位取得退学。2006年より立教大学ランゲージセンター教育講師、2011年より中央大学法学部助教を経て、2012年より現職。専門は英語学。現在の研究課題は、英語母語話者と日本語母語話者の物事に対する見方の違いがどのようにそれぞれの言語に反映されているのかを明らかにすることにより、両言語の構造的相違をもたらす要因を探ることである。