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加藤 久典

加藤 久典 【略歴

東南アジアから世界を理解する

加藤 久典/中央大学総合政策学部教授
専門分野 宗教社会人類学、東南アジア地域研究、比較文明学

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 日本にとって東南アジアは、地理的にそんなに遠くに位置しているわけではない。風光明媚なリゾート地や手工芸品、伝統舞踊や伝統音楽は日本人にも人気がある。東南アジアを訪れる人も多いだろう。加えて、東南アジアは物価が安い、つまり企業にとっては安価な労働力が保証される生産の拠点として魅力のある場所だ。近年では、いわゆるミドルクラスが増えるにしたがって東南アジア地域が企業にとって商品を売る市場にもなりつつある。日本の国際的戦略見地からも東南アジアは重要地域で、公的機関からの援助も多く、民間の非政府組織の活動も盛んだ。

東南アジアと日本

 そこで日本人が陥りがちな罠がある。上から目線の態度だ。東南アジアの人々は概して戦後奇跡的復興を遂げた日本に対して敬意の念を持っている。かつてマレーシアのマハティール首相が提唱した「ルック・イースト」、つまり日本を見習えという政策は、日本人に東南アジアに対して優越感を持たせるには十分だった。もちろん、日本には誇るべき効率的なシステムや技術力がある。経済規模も東南アジアに比べれば、桁違いに大きい。東南アジアの人々が日本から何かを学んでくれたら、それは素晴らしい交流の一つになるだろう。しかし、それでは一方通行のままである。「教えてあげた」という態度はなくならない。

東南アジアの価値を学ぶ

 私はこれまでに、東南アジアをずいぶん旅し、インドネシアとフィリピンにはかなり長く暮らした。特にインドネシアはいつのまにか滞在が七年にも及んだ。そういった経験を通して私は、インドネシアを始めとして東南アジアの持っている価値は、実は世界にとっても大変有益なことであると感じるようになった。その価値とは何だろうか。「多様性を保ちながら共存する」ということ。「柔軟に物事を考えるということ」。「自然とともに生きる」ということ。これらは、植民地時代には未開の非文明として打ち捨てられてきたのかもしれない。しかし、グローバル化が進み、世界全体がより緊密な関係を持ち始めると、東南アジア的な思考はとても大切になってくる。私はこれを「ローカル文明」と呼んでいる。多様性にあふれるこの世界のなかで人々が共存しなければならないという現実を前に、日本人を含めて世界の人々は、東南アジアから学んでもいいのではないかと私は思っている。そこには、日本人の優越感にあふれる態度はなくなるだろう。本当にお互いに学びあうという真の意味での交流が生まれてくるに違いない。

インドネシアの多様性と宗教

 東南アジアで最も多くの人口を擁し、300を超えるといわれる民族で成り立っているインドネシアは多様性にあふれている。約1万7千にも及ぶ島々をその領土とし、ヨーロッパ全体に匹敵するほどの国土の広さは、東南アジアの大国というにふさわしい。2億4千万の人口の約8割以上がムスリム(イスラーム教徒)といわれているので、世界最大のイスラーム国家でもある。しかし、世俗の共和国体制を維持しインドネシアのムスリムコミュニティー(ウマット)はまた多様性に富んでいる。「新しいイスラーム」を創造しようとする若手穏健主義者が結成した「イスラーム自由ネットワーク」が活動しているかと思えば、シャリア(イスラーム法)の導入を目指す原理主義的な団体も数多く存在する。

 ウマットの多様性だけではなく、インドネシアではイスラーム伝播以前の仏教やヒンズー教の影響も多くみられる。それは、単体の仏教建築物としては世界最大にして最古と言われるボロブドゥール寺院があることからも明らかだ。世界的な観光地として有名なバリ島はヒンズー教が盛んで、神々の宿る島と言われている。これらの異なる宗教や民族が共存するインドネシアは、まさに世界の縮図ともいえる。

ティダ・アパ・アパの思想

 インドネシアに住むようになって、初めて覚えた言葉は「ティダ・アパ・アパ」だった。「問題ない」という意味。タイやカンボジアにも似た意味の言葉があるが、インドネシアのティダ・アパ・アパは日々の暮らしで魔法の言葉として機能している。しかし、外国人が最も困惑するのもこの言葉だ。時間に遅れた、「ティダ・アパ・アパ」。頼んだことがなされていない、「ティダ・アパ・アパ」といった具合である。南国特有のおおらかさ、とかたづけてしまえばそれまでだ。また、効率性を重視しない非文明的態度と非難してしまうこともできる。

 しかし、私はこの「ティダ・アパ・アパ」は長年かけてインドネシアの人々が暮らしの中で培ってきた知恵だと思っている。数多くの民族が存在するということは、それだけ異なった習慣や生活様式があるということ。それは、自民族優越主義で対立を生む可能性を秘めているのだ。しかし、そんな時「あなたはあなたのやり方でいいよ、問題ない」という態度があったとしたら、少なくとも決定的な対立を避けることができる。そこから、また話し合いを始めて、急がずに共通理解を求めていけばいい。そう言えば、インドネシアは外交術にたけている。北朝鮮に拉致された日本人被害者家族の再会に力を貸してくれたのは、インドネシアだった。もちろん、インドネシアで重要な約束の時に「ティダ・アパ・アパ」といって反故にされるのは困るのだが、多様な価値観が存在する世界の在り方のヒントとして私はインドネシアから今後も学び続けたいと思っている。

加藤 久典(かとう・ひさのり) /中央大学総合政策学部教授
専門分野 宗教社会人類学、東南アジア地域研究、比較文明学
1964年生まれ。1990年から2009年までアメリカ、インドネシア、オーストラリア、フィリピンなどで暮らす。シドニー大学人文学部大学院にて修士号Master of Arts)、博士号(Ph.D)を取得。インドネシアのイスラームや社会文化を中心にフィールドワークにもとづいた研究を行っている。デ・ラ・サール大学准教授(フィリピン)、ナショナル大学外国人教授(インドネシア)、大阪物療大学教授などを経て2015年4月より現職。
主な著書に「Agama dan Peradaban」(宗教と文明:PT Dian Rakyat、2002年), Islam di Mata Orang Jepang(日本人からみたイスラーム:Buku Kompas、2014年)、The Clash of Ijtihad,共編著(ISPCK、2011年) 地球時代の文明学(2)共著(京都通信社、2011年)、文明の未来 共著(東海大学出版部、2014年)などがある。