私は、この4月から中央大学法学部教授に就任しました目賀田周一郎です。
昨年、11月まで外務省に勤めておりました。40年の外務省生活を振り返ると前半は冷戦下での独自外交の模索、後半は、グローバリゼーションの進展のなかで国際社会への貢献、諸外国との経済関係の強化といったことが主要なテーマとなりました。特に、最後の14年間は、ほとんど在外で、任地は、中国、フランス(OECD代表部)、ペルー、メキシコでしたが、それぞれの任地での印象に残る経験を簡単にご紹介したいと思います。
在中国日本大使館(北京)
2001年9月に北京に経済担当公使として着任しましたが、日中間では農産品3品目の輸入制限と中国側の法外な報復措置という貿易摩擦問題の真っただ中での赴任でした。同年末には中国がWTOに加盟し、これから中国企業が海外にも打って出ようかという時期でもありました。また、小泉総理の靖国参拝後の電撃的な中国訪問の直後でもありました。翌年の2002年は日中国交正常化30周年と江沢民体制から胡錦濤体制への移行の時期で、小泉総理の靖国再訪問でぎくしゃくもしましたが、最近の日中関係の悪化に比べれば、尖閣諸島問題もそれほど深刻化しておらず、日本企業の中国進出は盛んでした。
21世紀における中国の問題に鑑みれば、中国のダイナミズムと自己中心主義、日本に対する歴史カードの意味等について身を持って体験したことは貴重な経験であったと思います。
OECD日本政府代表部(パリ)
2003年9月にパリのOECD代表部に次席代表・公使として転勤し、3年4か月在勤しました。私にとっての最も大きな仕事は、日本政府の提案によりOECDの投資委員会に設けられた「投資のための政策枠組み」という、開発途上国の投資環境改善ための政策指針を取りまとめる小委員会の議長を務めたことでした。この文書は、途上国の経済的自立のためには内外の民間投資を振興することが最も効果的であるとの認識の下、自己評価のためのチェックリストとその解説書です。その策定には3年かかりましが、現在でも、OECDによる投資振興に関する非加盟国への政策支援の基本的な手引きとして活用されているようです。
ペルーでの教訓(リマ)
本省で1年間アフリカ審議官を務めた後、2008年2月に大使として着任したペルーでは、フジモリ大統領の引き渡し問題で悪化した二国間関係を修復することが課題でした。ペルー側は、経済連携協定の締結を強く希望していました。日本側は、まず投資保護協定が先決であるとの立場でしたので、その交渉に全力を挙げ、交渉開始から8か月足らずで署名にこぎつけ、次の経済連携協定の交渉に進むことができました。また、当時、南米では、デジタルTVの方式選択について、米国、欧州、日本が競っていました。総務省の支援に努めた結果、2009年4月に日本方式の採用が決まり、これが契機となって、コロンビアを除く全南米諸国が日本方式を採用することになりました。経済連携協定交渉は、日本の国内事情もあり難航しましたが、2010年11月の横浜のAPECサミットで実質合意に達することができました。
ペルーで得た教訓は、外交の50%は国内対策であること、トップダウンの国柄である中南米では、大統領、閣僚レベルでのコンタクトが重要であること、そして友好関係促進のために様々な記念日や周年事業の活用が極めて効果的であるといったことでした。
メキシコ再発見(メキシコ・シテイ)
その次の任地がメキシコとなり、すっかりラテンアメリカとの縁が深まりました。
メキシコは、不平等ではない通商航海条約を結んだ最初の国、中南米で最初に日本人移民を受け入れた国、そして戦後、講和条約や日本の国連加盟を率先して支援してくれた歴史的友好国です。差し迫った懸案はないとの説明を受けて赴任しましたが、着任してみると豊富な資源や良好な投資環境があり、そのような潜在的可能性が十分認識、活用されていないのではないかとの印象を持ちました。
二国間の歴史的関係を裏付ける史実としては、1613-14年にメキシコとの直接貿易の実現を目指して伊達政宗が派遣した支倉常長使節団があります。この400周年を記念して2013年-14年を「日本・メキシコ交流年」と位置付け、様々な行事を企画しました。メキシコ大統領が2013年4月に訪日、14年7月には、10年ぶりの日本の総理の訪問、10月には、秋篠宮同妃両殿下の公式訪問、月末には日本から24大学が参加する日墨学長会議の開催などが実現しました。この間、民間経済関係も日本からマツダ、ホンダ、日産の新工場の建設が発表され、自動車関連企業を中心に投資ブームが起こり毎年100社以上の日本企業がメキシコに進出することになりました。
グローバル化の中での人材育成
以上の経験を通じ、安定した国際的な相互依存の関係は、日本にとって極めて重要との認識を深めました。また、日本の国益と国際公益を一致させていくことが進むべき道と思います。多くの意欲ある若者が世界に活躍の場を求めることが国全体の活力になります。特に、グローバリゼーションの進展に伴い、国際連合等国際機関の役割はますます重要となりますが、国際機関職員に占める日本人の比率は分担金の比率に比べ極めて低く、このような面での人材育成が強く望まれています。私のこれまでの経験を活かし、世界で活躍する人材育成のために微力ながら何がしかの貢献ができればと考えています。
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目賀田 周一郎(めがた しゅういちろう)
/中央大学法学部教授
専門分野 国際法、外交論
- 東京都出身 1950年生まれ。 1974年東京大学法学部卒業。
1974年外務省入省。1975年フランス・トゥールーズ大学留学
国内:中近東アフリカ局、条約局、アジア局を経て、内閣法制局参事官、外務省経済協力局・開発協力課長、技術協力課長、政策課長、大臣官房国会担当参事官、2007年アフリカ審議官(現アフリカ部長)
在外:在レバノン、在カナダ、在インドネシア、在中国日本大使館、OECD日本政府代表部を経て
2008年ペルー駐箚特命全権大使、2011年メキシコ駐箚特命全権大使
2014年外務省退官 2015年中央大学法学部教授
- 主要な論文等:
「特定通常兵器使用禁止制限条約の締結について」1982年10月ジュリスト
「米加自由貿易協定ー前例ない広範さに注目」 1987年11月5日日本経済新聞・経済教室
「有害廃棄物の越境移動及びその処分に関するバーゼル条約」の研究 1999年西南学院大学法学論集
「投資のための政策枠組みー開発と成長における投資の役割」2007年Human Security 東海大学平和戦略研究所
「TICADに託す国益ー日本外交におけるアフリカ」2008年 外交フォーラム