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大澤 恒夫 【略歴】
大澤 恒夫/弁護士・桐蔭法科大学院教授・中央大学法科大学院客員教授
専門分野 法的対話論、ADR論、コンプライアンス論
本稿は、JSPS科研費15K03220の助成を受けたものです。(広報室)
企業は私たちの社会生活の基盤であり、必要不可欠な存在です。そのような企業の価値(Value)は、その企業が社会で果たす具体的な役割とコンプライアンス(社会から求められる要請への適応)によって支えられます。この二つの側面が良いものになればなるほど、その企業の価値は高まるでしょう。私自身、35年も前のことになりますが企業内弁護士として社内のコンプライアンス推進にかかわったほか、独立後も上場企業の社外監査役等を務め、また法科大学院ではコンプライアンス教育にも携わってきましたが、今年度から遠山信一郎・中央大学法科大学院教授を中心として開始された「企業価値向上コンプライアンス」をテーマとする科研費研究(JSPS科研費15K03220)の末席に加えていただいたことから、これまで私なりに考えてきたコンプライアンスの視点について、簡単にご紹介したいと思います。
日々の報道に接していますと、企業や組織の不祥事の記事が無い日を見つけるのが難しいほど、社会は不祥事で満ちているようにみえます(もっとも、最近の日本が悪くなってしまったわけではなく、昔から伏在する不祥事が白日の下に晒される機会が増えた、つまり社会の透明性が高くなったといえましょう)。超優良と目されてきた巨大企業でさえ深刻な不祥事を起こすことは厳然たる事実です。高層ビルの現代的オフィスは何の曇りもない合理的な理性と冷徹なシステムを象徴しているように見えますが、その中で働いているのは「生身の人間」なのです。不祥事の発生は不可避なことです。
問題は、a)人間の過誤によって不祥事を起こさないようにするためには、何が必要か、b)万一不祥事が起こってしまったときに、企業が直ちに適切なアクションを起こすことができるようにするためには、何が必要か、ということです。この二つの問題を考える際に共通して重要なことは、「直面する事態の問題性を自分自身の目でとらえる独自の思考力」と「目の前の権威や圧力に負けないで、異論を唱え正面から問題を乗り越えていこうとする勇気」だと思います。
私たちは、みな弱い人間です。第二次大戦後、アッシュの同調実験、ジンバルドの監獄実験、ミルグラムの服従実験といった社会心理学的な実証研究がなされ、人間が他者に同調し、他者から期待される役割を演じ、命じられたことに服従してしまうなど、とても弱い存在であることが証明されました。「空気の支配」も、同じです。まず、この事実を冷静に受け止めることが必要です。その上で、人間の弱さを克服し、日常の業務の中でおかしいと気づく独自の思考と率直に異論を唱え、正面から問題を乗り越えていこうとする勇気を励まし(私はこのような実践を「励ましとしてのコンプライアンス」と言っています。)、また、制度としてもそのような異論を保護するシステムを構築することが、真のコンプライアンスを実現するうえで必要です。
そして、独自に思考し発言する勇気を企業の中で育み実効あるものにするためには、日常から経営トップが先頭に立って旗を振り、全ての従業者を含めた対話を通じて、何が問題なのか、どうしたらいいのかを相互の納得のレベルまで高める努力を継続的にすることが大切だと思います。「納得」は「正しいと思えること」と「自分で決めたと思えること」が交錯するところで生まれるものであり、コンプライアンスは経営トップから全ての従業者に至るまで、その正しさと取り決め実行への納得に支えられることで、よりよく企業価値を高めるものになるでしょう。実際、様々な企業不祥事をめぐる第三者委員会の報告書を見ると、必ずと言っていいほど、不祥事発生の原因として「社内にモノを言えない風土が蔓延していた」ということが挙げられ、再発防止策として経営トップが旗振り役になって現場に赴いて従業者と対話を重ねることを提言しているのは、このような文脈でとらえることができるでしょう。私自身の経験でも不祥事発生を契機として、経営トップが旗を振り社内の若手も巻き込んで徹底した激論(対話)を重ねることで、企業の文化が変わり、社員一人ひとりがおかしいと気づく独自の思考と率直に異論を唱える勇気をもって職務に当たる風土が醸成された例があります。
この対話的なアプローチで重要なもう一つのことは、人は皆(人が支える企業も)言葉で構成される「物語」(Narrative)の中で生きているということです。社内のコンプライアンス規程も、当該企業の社会における役割や志を頂点とした物語の一環であり、社内の従業者が共感することで初めて、自らの事として(他人事でなく)これを遂行するものとなるはずです。当該企業の物語はそれだけでなく、様々なステークホルダー(株主、顧客、金融機関、取引先、一般市民など)の織り成す「社会の物語」の中で受容されるものでなければなりません。社会からの受容性が高まることが企業価値の向上を意味することは当然です。これらの意味で、経営トップは常に先頭に立って、その企業の物語を社内の従業者はもちろん、社会の広範囲のステークホルダーに向かって語り掛け、対話し更新し続けていく必要があるのです(最近言われるスチュワードシップはこの一局面ということができましょう)。
冒頭に紹介しました科研費研究ですが、遠山教授のほか中央大学の法律学系、経営学系の研究者の方々や日本を代表する企業の第一線でご活躍の方々が参加しておられ、その成果が大いに期待されます。本稿も上記科研費の助成を受けたものです。