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オピニオン一覧

梅田 正隆

梅田 正隆 【略歴

中島みゆきの世界

梅田 正隆/元中央大学教授
専門分野 フランス語、フランス文学

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普遍性と独創性

 中島みゆきといえば、今や日本を代表するシンガーソングライターである。手掛けた作品は優に400曲を超えていると思われるが、その数の多さもさることながら、耳に馴染みやすいメロディーやノリのいいリズムは、数十枚のアルバムのそこかしこで出会うことができる。曲調は極めて多彩、扱われているテーマも実に豊富である。いっぽう彼女は極めて個性的・独創的な歌手でありながら、そのファン層は非常に幅広いらしい。かつてFM放送のパーソナリティーを務めていたころの話であるが、下は幼稚園児、上は70代のお年寄りからも「お便り」をもらうことがあると語っていた。このことは彼女の歌に、ある種の普遍性――性別や年齢、境遇や職業の違いを超えて万人の心に響く何か不思議な魅力があるということであろう。一時期彼女は「失恋歌の女王」などと冗談半分に呼ばれていたようであるが、事実30~40代の頃の作品には、恋愛や男と女の関係を歌ったものが多く、そのほとんどが「振られた女」「捨てられた女」「相手にされない女」がテーマになっている。最近の『麦の唄』に出てくるスコットランドの女性が恋を実らせているのが数少ない例外である。このようにみゆきの歌の世界には、恋に破れた女性ばかりが大勢出てくるが、だからといって、みゆきが歌うのは“惚れた・振られた(?)”の浮ついた世界ばかりではない。400曲を超える彼女の歌の中には、テーマがほとんど「政治的」とさえいえる、そんな“硬派”の歌も存在するのである。

「政治的」「社会的」中島みゆき

 『4・2・3』という奇妙なタイトルの歌は、実際に起きたある社会的事件が元になっている。1996年12月に勃発し、解決までに4か月以上を要した、ペルーの「日本大使公邸占拠事件」である。多くの日本人人質を巻き込んだこの大事件は、占拠した犯人側ゲリラ全員の死と、救出活動で犠牲になったペルー人兵士の命と引き換えに、日本人の人質全員が無事救出されたという事件であった。事件の解決をみたのが翌年の4月23日のこと、これが「4・2・3」のタイトルの由来である。作者はテレビ中継された救出劇の一部始終を見ていた。彼女の曲としては異例に長い、10分以上続く歌詞で、テレビ中継の中身そのものを、ほとんど時系列でドキュメンタリー風に綴ったものである。

 テレビの中ではリポーターが嬉々として告げている、「日本人が救けられました。(…)人質が手を振っています、元気そうです、笑顔です!」作者は、そんな興奮気味のリポートの傍らで、日本人救出のために犠牲になった、黒焦げの名もなきペルー人兵士が、担架に乗せられて運び出されていく光景をしっかり見ているのだ。救出劇を“テレビ観戦”していた多くの迂闊な日本人が、気にも留めないような映像の細部にこだわるのである。

 あの兵士にも、父も母も妻も子もあるのではなかろうか
 (…)見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心がある人たちが、何故救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう

 この数行が中島みゆきの発した「慎ましやかな怒り」と「静かな異議申し立て」になっている。彼女はこの国の危うさに警鐘を鳴らしているのである。

諍う者たちへのメッセージ

 1994年に発表された『ひまわり“SUNWARD”』という歌も、ある意味では政治的な色合いを帯びた「社会派」の歌といっていいだろう。

 あの遠くはりめぐらされた    妙な柵のそこかしこから
 今日も銃声は鳴り響く      夜明け前から
 目を覚まされた鳥たちが     燃え立つように舞い上がる
 その音に驚かされて       赤ん坊が泣く

 こんな言葉で始まるこの曲の歌詞は、直接的にはパレスチナとイスラエルの紛争を連想させるが、それに留まらず、今も世界の至る所で起こっている国家間の争いや、民族紛争すべてに当てはまる内容だろう。作者はこうした理不尽な紛争の当事者全員に向けて、熱く、重要なメッセージを送っているのである。

 私の中の父の血と 私の中の母の血と どちらか選ばせるように 柵は伸びてゆく
 たとえどんな名前で呼ばれるときも 花は香り続けるだろう
 (・・・)
 あのひまわりに訊きにゆけ どこにでも降り注ぎうるものはないかと
 だれにでも降り注ぐ愛はないかと

 中島みゆきの提案する解決策は極めてシンプルなものだ。違った名前で呼ばれる花も、地球上すべての場所で、等しく咲き、等しく香り、等しく愛されるように、われわれも、ただ等しく愛すればいい、誰にでも降り注げばいのだと。「妙な柵」越しに飛び交う千発の銃弾より、『ひまわり』の一行の詩句が持つ真の意味を理解することの方が、事態解決には遥かに有効に思えて仕方ない。

 最後に『スクランブル交差点の渡り方』という面白いタイトルの曲について触れておこう。この曲は最後の方に歌い手の「ため息」が入るなど、少しおどけた演出になっているが、どうして内容は実に奥深いものだ。この歌は、解る人にはピンと来るはずだが、一つの人生訓、人としての生き方を示した歌になっているのである。特に現代の日本人に広く蔓延している悪しき傾向、同調圧力に屈しやすく、右へならえを好み、すぐ流行に乗る、そんな日本人の国民性をチクリと皮肉っている、そんな歌なのである。「人の後ろに付けばいいんだと知りました」と作者はいったん譲歩してみせるが、「それでも時折、意外な所へ着いてしまったりもするので、人の行く先を予測するのが大事です」とさりげなく釘を刺している。交差点がどんなに渡りづらくても、人生の中でどんな状況に遭遇しても、われわれは決して思考停止に陥ることなく、“自分の頭で考えて”渡らねばならないのである。もしかしたら世渡りの不器用な人への応援歌になっているかも・・・。

梅田 正隆(うめだ・まさたか)/元中央大学教授
専門分野 フランス語、フランス文学
東京都出身。1946年生まれ。1972年の中央大学大学院文学研究科仏文学専攻在学中より、同大学助手を務め、その後、専任講師、助教授を経て、1989年より教授。2015年3月に同大学を定年退職。専門は仏文学であり、フローベールを中心とした、19世紀の小説をテーマに研究している。ロマン主義、写実主義、自然主義などの文学的潮流や文学運動に関心を持ち、その他、19世紀であれば、歴史、社会、政治、大衆文化、女性問題など、関心分野は広い。
主要論文に、『ボヴァリー夫人』論(文学部紀要、1987年)、『感情教育』論(文学部紀要、1991年)、『聖ジュリアン伝』論(文学部紀要、1994年)、『ボヴァリー夫人』におけるフローベールの描写技法(仏語仏文学研究、2001年)などがある。