トップ>オピニオン>衰退する地方における「生き延びの女性化」
天田 城介 【略歴】
天田 城介/中央大学文学部教授
専門分野 社会学
今日の日本社会の最も大きな変化の一つが少子高齢化であることは言を俟たない。待ったなしで高齢化が進む地方などにいくと、少子高齢化の社会的インパクトの大きさを痛感せざるを得ない。先日も関西圏の小さな地方自治体で話を聞く機会に恵まれた。聞くところでは、その自治体の主要産業は医療と介護などのケア産業であり、その自治体の女性たちの多くは看護職員や介護職員などの身分で「ケア労働市場」で働いているそうだ。それに対して、男性の働き口は減少し、若い男性の人口流出に歯止めがかからない。結果、若い世代の消費支出は相対的に減少し、超高齢化にともなって増大した年金生活者が町の主要な消費者になっているという。ある町役場職員が「私たちの町は高齢者の医療と介護によって仕事が生まれ、高齢者が落とす年金などでかろうじて地方経済が成り立っているんです」と口にしたように、主たる産業がない地方におけるエコノミーは「高齢者ケア労働市場」を中心とする「高齢者関連市場」によって支えられているのが実情なのだ。
社会保障給付費の推移を見てみると一目瞭然だが、1970年に社会保障給付費の総額は3.5兆円(年金0.9兆円、医療2.1兆円、福祉その他0.6兆円)だったが、1980年には24.8兆円(年金10.5兆円、医療10.7兆円、福祉その他3.6兆円)、1990年には47.2兆円(年金24.0兆円、医療18.4兆円、福祉その他4.8兆円)となり、2000年には78.1兆円(年金41.2兆円、医療26.0兆円、福祉その他10.9兆円)まで増加し、2014年(の予算ベース)では115.2兆円(年金56.0兆円、医療37.0兆円、福祉その他22.2兆円)へと膨れ上がっている。とても乱暴に言ってしまうと、いまや115兆円という巨大なお金が日本社会に落とされ、年金で56兆円、医療で37兆円、福祉その他でトータル22兆円のお金が(それぞれの地方自治体での給付費の総額は実に様々であるにしても)地方自治体で動いているのである。世代別消費支出をみても、60歳以上のシニア世代の年間消費支出は2011年に100兆円の大台を突破しており、個人支出全体の44%に当たることが指摘されており、その意味で、現代日本社会、とりわけ主要産業を持たぬ地方のエコノミーは「高齢者関連市場」によって形作られていると言ってよい。
上記の点は介護保険市場の変化を見ても明らかだ。介護保険制度が創出されて15年が経ち、介護保険市場の規模は2000年度の3.6兆円から2013年度は9.4兆円に増大し、13年間で約2.6倍拡大した。いまや介護保険市場は10兆円市場となり、家電小売市場規模7.5兆円をはるかに凌ぐ巨大市場に変容しているのだ。ちなみに、2025年度には介護保険市場は21兆円程度まで増加すると予測されている。更にスケールの大きい高齢者の医療保険市場を含めれば、現代日本における「高齢者ケア労働市場」は巨大産業に変貌しているし、今後は更に爆発的に拡大していくことは確実である。その意味で、地方にこそ大きな社会的変化が生じているのだ。
市場規模のみならず、こうした「高齢者ケア労働市場」の爆発的拡大によって主要な働き手である介護職員と看護職員も増大し続けている。実際、2000年には「介護職員」の数は約55万人、ケアマネージャーや相談員などの「介護その他職員」の数が26万人で合計81万であったのが、2015年には推計で介護職員167万人~176万人、介護その他職員は81万人~85万で合計248万人~261万人に増大したと指摘される。ここには事務職員などは含まれないので、いまや介護保険市場で働く労働者は少なく見積もっても260万人以上になるのだ。加えて、就業する看護職員は2000年には100万人を超える程度であったのが、2012年には153万人となっており、看護師も増大しつづけている。介護職員と看護職員の概算だけ見てもケア労働者人口は現時点でも400万人を優に超えるのだ。
こうして地方経済、とりわけグローバル化や長期不況のもと中小企業や工場が倒産・閉鎖したり、公共事業等なども減少して地元の産業がズタズタになった地方経済を支えている巨大市場は「ケア労働市場」となる。むろん、言うまでもなく、その中心は高齢者であるからして、地方経済は「高齢者ケア労働市場」によって支えられており、その中心的担い手である介護職員と看護職員の多くは女性労働者であるからして「高齢者ケア労働市場」は地方において膨大な女性労働者を生み出していることになるのだ。と同時に、その「高齢者ケア労働市場」のもとでの女性労働は過酷で低賃金であることも少なくないし、少なくない女性たちはパートタイムや契約などの非正規雇用労働であり、いわば「高齢者ケア労働市場」は膨大な不安定な女性労働者を生み出しているとも言えるのだ。加えて、年金生活者が中心的な消費のアクターになっていくことで、町の消費はかろうじて支えられている一方、地方経済は常に先行きの見えなさの中にある。いわば高齢化・人口減少化する地方のエコノミーは「高齢者関連市場」によってかろうじて支えられながらも、その市場の働き手である女性たちは脆弱な労働環境のもとで働かざるを得ないのが現実なのだ。
急速に進展するグローバル化と“失われた20年”と呼ばれる経済不況のもと、地方経済は大きな変容を余儀なくされた。いまや地方の街中のいたるところでデイサービスセンターや訪問看護ステーションやグループホームや病院や介護老人保険施設などを目にするようになった。日中のスーパーや飲食店やスポーツジムやパチンコ屋などは高齢者であふれかえっている。その意味では、超高齢化を遂げつつある地方において「高齢者関連市場」は地域経済を支える一大産業となった。そして、この「高齢者関連市場」とりわけ「高齢者ケア労働市場」を支えるのは圧倒的に女性たちである。
他方で、グローバル化とポスト経済成長時代における産業構造の変容のもと地方経済におけるブルーカラー労働の衰退によって男性ブルーカラー労働市場が圧倒的に縮小した。地方における男性労働市場はその意味で急速にやせ細ってしまったのだ。その意味でこの20年における地方の労働市場のジェンダー構造は劇的に編成された――と同時に、いまだ労働においては圧倒的に不平等なジェンダー構造が維持・再生産され続けている――。
こうした地方における「高齢者ケア労働市場」を中心とする「高齢者関連市場」での労働は、過酷で低賃金で不安定な仕事でありながらも、女性たちの生存・生活をギリギリ可能にしている。いわば超高齢化の進む地方においてこそ「生き延びの女性化」という現象が生まれているのだ。高齢者ケア労働市場の拡大によって過酷で低賃金で不安定であっても女性たちは何とか生き延びていくことができるようになった一方、男性たちは地方で生き延びていくことが相対的に困難になってきている。
かつて高齢社会をよくする女性の会理事長の樋口恵子は「介護の仕事が『社会の“嫁”』に貶められている」と指摘したが、いまや地方における男性の労働も著しく不安定で脆弱なものになったがために「嫁(妻)の座」それ自体さえも極端に不安定になった。そこではシングル女性たちがかろうじて、あるいは不安定な男女が身を寄せ合ってかろうじて生き延びていく現実が生まれている。私たちは誰もがいつでもどのような状況であれ生き延びが保障されている社会を今まさに構想することが求められているのだ。